小学生から多摩地区立川市の東の外れで育ったわたしには、南武線矢川駅前「肉の万世」は、いつも気になる存在だった。デニーズやロイホとは次元が違う。なんか高そうなのだ。
赤いウシがこっちを見て笑っている店の看板も、ウシを食うつもりが、逆にこっちが食われそうな感をかもしだしていた。「おまえがくるところではない」とウシに言われているような気がした。ウシのくせに。
小学生のときの塾の行き帰り、中学生のときの多摩川への釣りの行き帰り、高校生のときのパチプロ修行、学生のときの麻雀とアルバイト通いで、いつも「万世」の脇を通りすぎていた。赤いウシが最初に気になってから、35年以上が風のようにすぎた。
昨日、田舎から出てきた老母(と言ったらわたしより元気のいい母にぶん殴られるが)が、府中の病院の診察を受けるというので、わたしが付き添いでついていった。診察の結果は、本人と家族がはんぶん覚悟していた深刻な結果ではなかった。
眼鏡をかけたハリガネムシみたいな有能そうな若い医者は、手術を受けても受けなくてもいい、判断するのはあなたです、と言う。さいきんの医者の言い分としては、そういうスタンスがふつうなのだろう。だが素人のこちらに、実際のところが分かるはずがない。
医者の前に座らされた老母が(しつこいので間違いなくぶん殴られるが)、困ったような表情でわたしを見あげた。わたしは母がベッドに寝ている姿を見たくなかった。わたしは口をへの字に曲げてみせた。それで手術はないことになった。
レゴブロックで作ったみたいな大病院から解放されると、もう昼すぎだった。わたしは、とりあえず、深刻なあれではなくて、よかったよかった。ということにした。そうするよりほかにないではないか。
ならば、お目出たいランチにしよう。そのときわたしの脳へパチンコのリーチ灯のように光ったのが、病院から車で10分ほどの場所にある、矢川駅前の「肉の万世」だった。母に、「万世はどうか」と聞いてみると、「じつはおかあさんも前から入ってみたかった」と言った。今までずっと気になっていたけど入れなかったと言う。そうでしたか。そうでしょう。
心臓バクバクで入った「万世」のお店の人は、接客がすばらしかった。やはりデニーズやロイホとは次元が違う。お味の方は「これが万世か」と思った。もはや「万世」であることに意味がある。二人で4620円のお会計はわたしが払った。母と二人で店を出て、「万世にしてよかったね」と言いあった。そのまま南武線で田舎へ帰ることになった母は、「万世」の駐車場の端っこに立って、わたしの車を見送ってくれた。手を振って母と別れた。
わたしは病院というところが死ぬより嫌いだ。昨日も病院から帰った後、午後はコタツでぐったりして動けなかった。どうやらおっさんのくせにわたしは精神的によわいらしい。
でもあこがれの「万世」で35年越しの願いをかなえてお食事したのだから、そのいきおいで年末年始をのりきれると思う。レゴの城へ閉じ込められずに済んだ母は、ますます元気バリバリに違いない。しょぼんとされるよりグーで殴られる方がよほどいい。
そしていつかはわたしの家族一族郎党を引き連れて、ディナーで赤いウシを食えるような身分になりたい。あと35年かかるのだろうか。