フライの雑誌-第77号
(2007年5月20日発行)
特集◎フライフィッシングの教え方
Please Please,FlyFishing
フライフィッシャーマンは優しくて親切で教えたがり。
自ら水先案内人をかってでて、私と一緒に愉しみましょう、
そこまではいい。けれど愉しむ前にフライをやめちゃった
気の毒な方が世の中にあふれているのはなぜ。
こんなに奥深いフライフィッシングの魅力を
新しい仲間に伝えたいセンセイ役の心構えについて、
様々な立場の方に聞きました。
先生のやり方を真似させるのは
フライフィッシング的じゃない。
だって我々は、虫を真似ようとしているんだから。
誰かに説明すると自分も再発見する。
改めて自分のフライフィッシングが
楽しくなってくる。
特集目次-フライフィッシングの教え方
Please Please,FlyFishing
初心者に教える
●座談会 フライ的な「教え方」とは何か
養沢毛鉤専用釣場フライフィッシングスクールから
●まずはノットを完璧に覚えてもらうこと! 大熊喜也
●しゃべりすぎ、世話の焼きすぎにご注意下さい 伊井明生
●スクールの生徒さんへアンケート
●「何を釣りたいんですか?」 稲見一郎
経験者に教える
●ベテランフライマンへの教え方 近藤雅之
●メーカーのスクール担当者に聞く 坂上圭一
●「お座敷大将」で名キャスター 大竹京子
女性に教える
●どうか彼女が釣り嫌いにならないように 芦澤牧
子どもに教える
●キャスティングなんてコマ回しとおんなじだ 本村雅宏
●フライキャスティングの比喩あれこれ 編集部まとめ
●トラウト・イン・ザ・クラスルームが人生を変えた 石村美佐子
入門書を考える
●入門者にポンと渡したい一冊とは 小柳健太郎
「プロ」の場合
●インタビュー 岩井渓一郎さん
フライフィッシングに飽きないために、
あるいは「岩井渓一郎」という生き方
聞き手/編集部
・・・
【特別公開】
入門書を考える
帯に短し、タスキに長し
入門者に渡したい一冊とは
小柳健太郎(東京都)
・・・
『フライの雑誌』第51号に、「フライフィッシングの『入門書』は面白いか」という駄文を載せてもらった。中身は、国内で出版されていたフライフィッシングの入門書のうち、私の本棚からいくつかをとりあげてそれぞれに勝手な論評を加えたものだ。
今回、編集部に「フライフィッシング入門者にはじめてポンと渡す本でお薦めはないですか」と聞かれた。いわゆる「入門書」に限らず、とにかく「これ読んでみなよ」と手渡したい本はなにか、ということらしい。
やっぱりそれか、それなのか
「これを読んだらフライがいやになる」本は挙げられるけれど、「この一冊しかない」と胸を張れる本は、すぐに思い浮かばなかった。そこで周囲の釣り仲間数人に聞いてみた。「入門者へ最初に読ませたい本はなんですか」。
すると皆が口を揃え、したり顔で「だったら『フライフィッシング教書』だね」と言う。私の仲間には中年のオヤジが多いことから、この反応は予想通りであり、しかしやっぱりそれかと言いたくなった。『フライフィッシング教書』(S・アンダーソン&田渕義雄/晶文社 1979)は名著だと思うけれど、それは発行当時の時代性と絡んでの要素も強く、あの時代にあの本が出たからこそ凄かったと思う。
21世紀の若者にオヤジの想い出をもとにして「これが面白いですよぉ」とすすめても若者には鼻であしらわれるだけだろう。
昨今、フライフィッシングをやる若い人が激減しているのも、我々オヤジ世代のそのへんの価値観の押しつけに原因の一つがあるように思う。「フライとはそもそも…」「そのキャスティングはちがーう」とか耳元でいちいち言われたら、うざったいもんな、たしかに。
オヤジとしてはそりゃ言いたくなるんだけど。私だって言うさ。
消すに消せないあのフレーズ
初心者向けの一冊でフライフィッシングの魅力のすべてを語ろうとしてもそんなの無理に決まっている。フライフィッシングの楽しみ方には膨大な背景があるので、その中から無理やりに力業で編集したところで、大山鳴動して蟻一匹か虻蜂取らずになってしまう。
山と渓谷社の『フライフィッシング・マニュアルNEW』(増沢信二/2000)をはじめとするシリーズは、フライフィッシングの大海を一定の羅針盤をもって突っ切ろうと試みた点で意欲作といってよく、編集上のテクニカルな処理もダントツである。著者のパラノイアな意思がひしひしと伝わってくる。フライマンには必読の定番本だ。
ただしこの本を、夢と幻想にあふれている(?)入門者へ、入門書として手渡すのは、疑問がある。莫大な情報が整理されすぎているので、ゲームの攻略本に慣れた若者にとっては「フライってそういう釣りなんだ、情報を多く覚えている人がエライんだ」と勘違いされるかもしれない。
米国のバスプロトーナメントではその日の状況をいち早く読み、蓄積した知識と経験から適切な釣りパターンを選択する選手が勝つらしいが、私はゲームは苦手だし、バスプロみたいな釣りをフライフィッシングの入門者にしてほしくない。
アテネ書房の『ザ・フライフィッシング』(1980)も、オヤジ世代のフライフィッシャーマンには必読&大人気の一冊だ。この本には技術的な解説も載っているが、今の釣り師のテクニックと比べれば、種子島銃とレーザービームくらいの違いがあるのは否めない。
それよりも私には、作中に登場する「木曽御岳のOBLADI OBLADA」や「国道246号線の飛男」や「ドライがあるからフライフィッシングはいい」といった各寄稿者が残した名フレーズの方が、ずっと記憶に刻まれたままで消すに消せない。『水生昆虫アルバム』(島崎憲司郎/フライの雑誌社/1997 新装版2005)の力強さと相通じるものがある。
『ザ・フライフィッシング』の寄稿者にはもう亡くなってしまった人も多い。なかには今も釣り絡みの文章を発表している人もいる。ただ最近の雑誌などで同じ書き手が書いた最新の文章を読んでも、ちっとも感動しないのはまったく残念である。
こちらの感覚の変化など理由は色々あるが、いくらかつて評判がよかったからといって、いつまでもひとつ覚えのスタイルから成長しない書き手の芸風に飽きてしまったのが一番大きいか、とよけいなことを言ってみた。昔の名前で出ていますと言われてもね。
技術論なんかどうでもいい
釣りなんて、本で読んでお勉強して覚える遊びではない。しかもフライフィッシングの場合、魚釣り以外の要素がフライフィッシングの魅力そのものである。
だから入門者にはとにかくその人の人生にとって、決して消えない文学的なくさびになるような一冊を私はすすめたい。そのくさびにやられちゃった人の方が釣り仲間として長くつきあえるような気がする。
技術論なんかどうでもいいのだ。
それにしても出版社やライターにはもっとがんばってほしい。いつまでも30年も前の本を、いいよいいね、と言いたくない。
こんなことを書いていたらつり人社から単行本『トラウト・バム』(ジョン・ギーラック著/東知憲訳)が発行された。「源流」がよかった。和モノで定番な自意識への粘着がない。舶来ものだけあって、フライフィッシングは翻訳文体と相性がいい。
まあしかしこれを入門者にポンと渡して「フライの魅力にはまれ」というのは無茶だし、原著の初版が20年前というのがまた泣かせるのである。
(2007年)
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