番台パラダイス

昨夜は吐夢の和子さんが千葉から来るというので阿佐ヶ谷のあるぽらんへ。

変声期のキリギリスみたいに鳴く重い扉を右の肩で押しあけてお店へ入ると、和子さんがすでにカウンターのイスへ座っていた。気づいて手を振ってくれる。ちょっと迷って、和子さんの右隣に座る。

なんかすごい違和感。和子さんが主人だった吐夢でのように、カウンターを挟んだ向こう側とこちら側ではなく、和子さんと並んで座っているからだと気づく。

のみやでも喫茶店でも、カウンターはあちらとこちらを斬り分ける結界だ。なのに、そういう大事なことをツユほども考えず、酔っぱらってホイホイとカウンターの中へ入りたがる常連ぶった人は、わたしはむかしからすごくきらいだ。結界破りを気軽に許す店主は破戒僧だ。

とはいえお店は店主の城というより家である。家主が許しているのであれば、それが正解だ。たまの通りすがりがケチをつける資格はないよね。だまれ俺。

というようなことが一瞬のうちに脳裏でぐるぐるした。すねた厨二みたいなけちな薄ら笑いが頬のあたりへ浮かんでくるのを自覚しながら、わたしが

「カウンターに並んで座るのはなんか違和感ありますね。」

というと、ビンビールを自分で小さいグラスに注いで呑んでいた和子さんに

「そうお?」

といわれて、この話はそれで終わった。

カウンターでひとりで呑んでいたちょっと鋭い感じのカッコいい人を、和子さんが、「ほら、モンローのバンマス」と紹介してくれて、あ、言われてみればほんとだ、この沈着冷静ベースリズム正確無比な感じ、見た見た、と思った。モンローさんはやたら楽しいアイリッシュバンドで、今年の2月に吐夢でやったライブがすごくよかった。そのあと、きれいな女のひとと一緒にモンローの笛&MCのひとがお店に入ってきて、(あ、モンローのひとだ)と思った。いやだからどっちもモンローのひとなんだってば。

和子さんを真ん中にしてカウンターへみんなで並んで座った。

今年に入って阿佐ヶ谷のとある銭湯の店主が盗撮でお縄になったという話題になった。和子さんが「そんなの番台からいつも見ているだろうに。」と言ったのが面白かった。「(盗撮は)銭湯のひととしてもっともやっちゃいけないことですよね。」とわたしが言うと、その場にいたみなさんがウンウンと同意してくれた。

酒場で交わすどうでもいい会話に、大人になった自分が自然に入っているのが普通にうれしい。でも、「おれはそっち系(盗撮)には興味がないなあ!」と付け加えたのは余計だった。じゃあどっち系に興味があるというのか。

モンローの笛のひとは銭湯者らしく、どこかの銭湯が廃業するのをとてもざんねんがっていた。寺山修司で有名な、阿佐谷・川北総合病院そばの玉の湯はまだ健在だということだ。

玉の湯には、結婚する前のわたしの妻がときどき通っていた。そのころ彼女が住んでいた古いアパートは、一日中陽のあたらない路地の奥にひっそりと隠れるようにたたずんでいた。あきらかに建築基準法違反の建物だったので、この場合、ひっそりと隠れるようにして、は正しい表現だ。

六畳ひと間の自室には共同通路へはみ出す感じで、バランス釜で沸かすタイプの昭和テイストあふれるお風呂がついていた。このお風呂、ガスのコックをひねるとカンカンカンカン!と巨大な異音がずっと鳴りつづける。半分以上剥がれているタイル張りの風呂桶のへりには、一か所、深い赤茶色の大きな染みがあった。ちょうどひとの頭を置くあたり。どれだけ拭いてもその染みだけはぜったいに落ちなかった。世の中には詮索しないほうがいいことはたくさんある。

生来の風呂好きの彼女だが、どうしてもその風呂桶へお湯をためて浸かる気がしなくて、仕方なくバランス釜とセットになっているシャワーで済ませていた。すぐそばの銭湯にはたっぷりとお湯をみなぎらせた大きな湯船があるというのに、若いので銭湯代をだせない。仕事も修行中であり色々とたいへん厳しい時代だった。週に一度と決めた玉の湯通いだけが人生の愉しみだったという。

当時まだ二十代の前半だった彼女はわたしと知り合った後にわりと早く阿佐ヶ谷を離れて結婚した。それから幾星霜、いまわたしたちが暮らしている築30数年の家には、そこだけ平成製の自動ガスお湯張り式のお風呂がある。好きなときに好きなだけお風呂タイムを楽しめる。なんなら湯船からお湯をあふれさせたっていい。ホースから水は漏れるがシャワーはもちろんあるし、なんとボタンひとつで追い炊きもできる。もう赤茶色の染みとか、カンカンカンカン!に脅えることはない。

これが人生の充実とか、経済の成長というものだよ。よかったね。

それなのに、妻は最近お酒が入ると「あたしの二十代を返して」と夜更けに泣く。

和子さんたちにさよならを言って、中央線にひとりで揺られて帰った。電車の中は年末の呑み会がえりらしい老若男女であふれている。「濹東綺譚」をキンドルで読みはじめてすぐ消した。「読みさしの本をパタンととじた」ではない。「リンリンリリンと鳴る黒電話」が街から消えてだいぶたつ。フィンガー5とかどうするんだろう。

銭湯で盗撮の件、もちろん犯罪である。むかしの扇情的なビデオには銭湯ピーピング系の作品があったと思う。いまタイトルつけるなら、「実録 ザ・銭湯」、「番台パラダイス」、「番台の穴」、「番台バンザイ」とかかなあと考えて、センスないなあと寂しくなった。

葛西善蔵と釣りがしたい』 そっち系には興味がない 堀内正徳=著

ISBN 978-4-939003-55-4
B6判 184ページ/本体1,500円
2013年6月10日発行

本文とは関係ないないが、オホーツクはサロマ湖の「こたろう」牡蠣。ぷるんちゅるん! 濃い。殻ごとアルミホイルでくるんで魚焼きグリルで5分の蒸し焼きもすばらしかった

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