【公開】みいさんに会いに(二)(堀内正徳)|フライの雑誌-第102号より

フライの雑誌-第102号より、「みいさんに会いに(二)」(堀内正徳)を公開します。舞台は1990年代後半、20代の若者二人と40すぎのおじさんが、トラックに乗って東京都中野区から北海道へ釣りに行く話です。

「みいさんに会いに」は、フライの雑誌-第101号から第105号まで連載されました。その第二回分です。

(編集部)

本文とは関係ありません

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【特別公開】

みいさんに会いに(二)
(堀内正徳)
フライの雑誌-第102号より


背中をまるめたコジマさんがステンドグラス風の小窓がついた扉を肩で押して、店の奥へ入っていった。「はやく入ればいいしょ。」

促されてわたしも足を踏み入れたところで、店の電気がついた。湿度がたかい。入って右側の壁に、ディートリッヒのポスターが貼ってある。カウンターの向こう端には、頭の割れたマリリン・モンローのちいさな陶器の人形が置いてある。前頭葉にエンピツがさしてある。

さっき店の前でコジマさんに会ったのだ。業界的にはわたしは今日の〝口開け客〟ということになるが、そういう言葉があるのをわたしが知ったのはずっと後だ。コジマさんは自分の店に、一般的な水商売の雰囲気が持ち込まれるのを好まなかった。

奥でコジマさんが、わたしのボトルを探しながら言った。

「今日はくにさんはどうしたのけ。おれくにさん好きなんだよ。」

わたしはくにさんの保護者じゃない。それよりわたしのボトルはずいぶん奥に仕舞われたもんですね。週に二回は来てるのに。

コジマさんが背中を丸めてまだわたしのボトルを探している。

わたしは〝大きなトラック〟を運転して、深夜の東北道を走っている。トラックにはコジマさんとくにさんが乗っている。これから三人で北海道へ行くのだ。わたしが夏に北海道へバイクで釣りに行く計画を、ついコジマさんの店で話してしまったのが、今回の旅の発端だった。

コジマさんの大好きな奥さんのみいさんが、夏のあいだ北海道へ帰省している。みいさんに会いたくて仕方ないコジマさんに、「おれを北海道へ連れて行ってくれよう。」と懇願されて、ついほだされた。わたしも北海道でみいさんに会いたかったし。

すると「くにさんも連れて行こう。」とコジマさんが言いだして、わたしの友人のくにさんも一緒に、三人で北海道へ行くことになった。わたしはひとりで釣りに行きたかったはずなのに、いつか知らない間にそうなった。

コジマさんに運転してもらって都内の道を走り出すと、コジマさんの運転はとんでもなくデンジャラスであることがすぐ判明した。そこで運転をわたしが代わり、コジマさんには道案内をお願いした。するとうれしそうに、「あっちだ、こっちだ。」と適当なことばかり言う。

いらいらしたわたしは、「コジマさんはもういいから、黙って後ろに座ってて。」ときつく言いすえた。この北海道行きはもともとわたしが計画を立てた。仕切るのはわたしだ。

年下の若僧にハンドルを取られ、かつ沈黙を強要され、後部座席へ追いやられたコジマさんは、「あっちじゃなくて、こっちだっていってるのに。」と、しばらくはまだ小さな声でぶつぶつと道案内を試みた。しかし相手にされないと悟ると、後部座席のシートに沈み込み、たぬきの置き物のようにビールを飲み続けるだけとなった。

旅の始まりの狭いクルマの中で、わたしとコジマさんはあきらかに妙な空気をかもしだしていた。コジマさんと入れ替わりでくにさんが助手席に移ってきたが、そんなコジマさんに声をかけるでもない。くにさんはこういう時にけして踏み出してこない。

学生時代からのつきあいで、わたしはくにさんの性格を知っている。その頃くにさんの住んでいるアパートとわたしのアパートとはすぐ近かったために、毎晩のように互いの部屋を行き来していた。

助手席に来たくにさんは、さいきん名画座で見た映画だとか、読んだ小説の感想などを、いつもと同じように淡々と話してくれた。わたしは運転しながら適当に相づちを打った。

わたしとくにさんが、コジマさんの店で会ったときに映画だとか小説だとかの話を二人でしていると、コジマさんはかならずカウンターの中から、二人の間へぐいっと自分の笑顔を分け入れてきた。

「きみたちはむずかしいことを話しているねえ。そんなこと話してないでもっと飲めばいいっしょ。語り合おうぜ。夜は長いんだから。」

コジマさんは、店主である自分が放っておかれて、お客同士で楽しげに会話されるのがいやなのだ。自分がいつも中心になって喋っていたいから、店をやっているようなものだった。

夜がふけてくると、カウンターの中へお客を立たせて自分はスツールへ移った。壁に背をもたれて両脇の客の肩を抱え、古い流行歌を放吟するのが常だった。暑苦しい’70年代のメンタリティを持っていた。

コジマさんはお客を〝仲間〟と呼んだ。むしろ、お客をお客とはこれっぽちも思っていなかった。お客と〝仲間〟のあわいは、ちょっと複雑で、コジマさんによれば「こころをひらく」のがそのカギだ。

お客が「こころをひらいた」かどうかは、店主のコジマさんが独断で決める。そしてコジマさんの店は、いつも〝仲間〟でにぎわっていた。

そういうコジマさんを、店の常連のテツヤさんは、〝コジマさんはさびしがりやだからなあ。〟と言ってよくからかった。わたしはそれを聞くと内心で(いいトシこいてさびしいもないよな。)と、鼻をならした。

いくつになったって、さびしいものはさびしいんだと、コジマさんの歳をすぎた今のわたしは分かる。

いま後部座席でコジマさんが黙ってひとりでビールを飲んでいる。

20代の二人と40すぎのおじさんの三人を乗せたトラックは、苫小牧行きのフェリーがでる仙台港に着いた。フェリーは予想より新しくてきれいだった。コジマさんはちょっとうれしそうだった。

コジマさんは基本的にミーハーなところがある。もしフェリーが小汚かったらかならず文句を言っていたはずだ。コジマさんの斜めだったご機嫌も少しは持ち直したかもしれない。明日の朝になればいよいよ北海道が待っているし、うまくおさまってくれてよかった。

と思っていたら、

「ところでさ、朝はあったかい味噌汁は飲めるんだろうね。」

フェリーが動き出すと、コジマさんが言った。

「味噌汁、ですか?」

「おいらは工場労働者だから(コジマさんは昼間は精密機械の製造工場で働いていた。)、きちんとしたタイムスケジュールで動いてるわけ。夜は布団で寝て、朝は味噌汁を飲むのはあたりまえっしょ。明日の朝は定食屋で朝の定食を…。」

わたしはとにかく早く釣りがしたかった。せっかく休みをとって北海道へ行くのだ。だから、ばしっと言ってやった。

「苫小牧に着いたら、そのまま道央へ走ります。味噌汁を飲んでいる時間はないですね。北海道に定食屋なんかないし。(これはうそ)」

「── 海は、海はないのけ?」

コジマさんは海が好きだ。毎年お店の仲間十数人で、離島へわたってのキャンプを恒例にしている。わたしも一緒に連れて行ってもらった。コジマさんは北海道の海を見たいのだろう。でもわたしは川へ行きたい。海でニジマスは釣れない。

「苫小牧から旭川へ行くルートに海はありませんね。」

「ちょっとくらい海に寄り道してくれたって、いいっしょ。」

コジマさんが北海道の地理をまったく把握していないことを、その時わたしは初めて知った。

また、いらっとした。

北海道の7月は、すばらしい。北海道の大地に降り立ったトラックは快調に走り出した。窓は全開だ。

わたしはウキウキして、ハンドルを握りながら鼻歌もとびだしていた。助手席のくにさんに「いい気分ですね!」と言えば、「うん、そうだね」と答えてくれる。

コジマさんはというと、ビールは飲んでいないが、左右の窓のカーテンをふさぎ、薄暗い後部座席に目をつぶって腕を組み、深々とシートに沈んでいる。眉をぎゅっと真ん中に寄せて「定食屋が…」とか「味噌汁が…」とかつぶやいている。

町外れのセイコーマートで、朝食用に名物の巨大おにぎりを買った。わたしが「コジマさん、インスタントなら味噌汁あるよ。」と声をかけたら、「そんなもの飲めるわけないっしょ。」とぷいと横を向いた。

せっかく買ったおにぎりも食べようとしない。なんてめんどうなひとだろう。

計画を立てないところが釣旅の楽しさだと、わたしは思う。

予定では、みいさんのいる旭川までの間で、よさそうな川をみつけ、わたしは釣りをする。その間コジマさんとくにさんには、適当にその辺りを散歩でもしていてもらう。いい川だったら、河畔でテントを張る。そして翌日は、次のいい川を探して、さらに北へ向かう。

出発前に、わたしの旅行はそういうものですと伝えてある。

あくまで〝釣り旅行〟ですよと強調するわたしに、

「おう。北海道へカンパイしようぜ。」

コジマさんはかつんとグラスを合わせた。聞いちゃいなかった。

「みいさんに会った後は、道東から知床周りで戻りましょう。途中でオショロコマくらいは釣らせてあげますから。」

というわたしの〈初心者向け親切釣りプラン〉も、全然聞いていなかったに違いない。

開け放した窓から入ってくる初夏の北海道の空気はこんなに気持ちがいいのに、札幌市内をすぎてもコジマさんはシートに沈み込んだままだった。休憩時にも車から降りてこなくなった。

早く釣り場へ行きたいのは山々だが、さすがにコジマさんの状態も気になってきた。そこで当初の滝川経由ではなく、いったん日本海側へ出て北上して留萌から旭川へ入るように、ルートを変更した。かなり遠回りにはなるが、しかたない。

石狩湾が遠くに見えた時、バックミラー越しに後部座席のコジマさんへ、「コジマさん、海だよ!」と大きな声で叫んだ。海を見たかったんでしょ、これで気分も直ったでしょう、というつもりだった。

しかし返ってきたのは、「うう、ああ。」という覇気のないうめき声だ。せっかく今日の釣りをあきらめてまで、コジマさんに海を見させてあげたのにと、わたしはがっかりした。そして腹が立った。

北海道初日でもあるし、どうせ釣りもできない。今日は早めに泊まろう。小樽近くの銭函海岸にトラックを停め、積んできた四人用のテントを下ろした。

わたしとくにさんがテントを張っている際中に、「布団は…。」とコジマさんが言いかけたが、もちろん無視した。するとコジマさんは「おれは寝る。」と言って、ひとりだけテントに入ってしまった。

薄暗くなりはじめた砂浜で、買ってきた缶ビールのフタを開けた。

数台の車が近くにとまり、10代後半から20代の若者10数人が、どやどやと中から降りて来た。男は革ジャンにリーゼント、女の子はワンピースに大きなリボンで揃えていて、見かけはちょっと怖い。地元の若者が因縁でもつけに来たのかと思ったら、様子がちがうみたいだ。

大きなラジカセを砂浜に置くと、’60年代のロックンロールを大音量で流し始めた。若者たちはラジカセの周りをぐるりととり囲み、男女ともに、全員なぜか無言ではげしく踊りだした。10数人が砂を踏む音だけがシャリシャリいっている。

ロックンロールが小樽で流行っているのかなとその時は思ったが、たぶんそんなことはない。

テントへ何かを取りに行っていたくにさんが、こちらに戻ってきた。ロックンロールの若者たちに気づいて肩をすくめたあと、困ったようにぼそっとわたしに言った。

「コジマさん、車を降りるって言ってるぜ。」

くにさんが立っている向こうに、わたしたちの黄色い四人用のテントが見えた。

あの中でコジマさんがひとりで寝ている。

「もうこれ以上、耐えられないって。明日降ろしてくれって。」

リーゼントの男の子が頭をブンブン左右に振りながら、くるったように腰をひねって踊っている。女の子がスカートの裾をひらひらさせてくるくる回っている。

プレスリーがシャウトしている。

銭函海岸の波が、ざざーん、ざざーんと寄せていた。

(つづく)

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※「みいさんに会いに」は、フライの雑誌-第101号から第105号まで連載されました。

第101号 バンブーロッドのキャスティング
第102号 シマザキ・ワールド14 島崎憲司郎
第103号 すぐそこの島へ。はじめての島フライ
第104号 これが釣り師の生きる道 シマザキフライズ・セレクショント
第105号 日本の渓流の「スタンダード・フライロッド」を考える
第115号 エッセイ特集◎次の一手

葛西善蔵と釣りがしたい』 堀内正徳 ISBN 978-4-939003-55-4