年明けから早くも二週間以上がすぎた。
「今年も楽しい年になりそうですね」、「今年も楽しい年になりそうですね」、「今年も楽しい年になりそうですね」と、何人の方へ念仏を唱えるように言っただろう。今年「も」が肝心。言霊頼り。いやほんと。
その意味で、年末にもらってきた成績表の数字が本人と家族の期待をはるかに下回った子どもに対して、
「やればできるんだよ。君にだって脳はあるんだから。」
と肩をポンしたのは、親の態度としては微妙に不適切だったと反省しています。
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ちょっとした言葉が、長い時間をかけて大切に育んできた人間関係を、一瞬にして闇へ葬り去ることはよくあります。
その一例が、新年早々、葛西善蔵ばりに、「あ〜あ、毎月30万円くらい空から降って来ないかな。」と妻へ優しく笑いかけたら、「降って来る訳ないじゃん。」とあっさり返された件です。
これはかなり洒落にならなかったみたいで、大失敗でした。
頼むよ善蔵。
今年はもっと何とかしたいです。
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わたしが資本主義社会から脱落したのには、ちゃんとした理由があります。
自分が若い頃に読んで影響を受けたマンガが、「釣りキチ三平」、「男おいどん」、そして「迷走王 ボーダー」でした。(おまけに葛西善蔵)
その成れの果てが現在と思えば、いまこうして真っ白な通帳を開いて浅川の畔で立ちすくんでいることにも、大いに納得する次第です。しょせんこっちはボーダーだよと。失うものはないのよ。
「迷走王 ボーダー」の、蜂須賀と久保田と木村の三人が嵐の夜に「Like A Hurricane」を演奏するシーンは最高でした。素人が楽器もってライブなんてできるわけないのに、当時は震えた。ニール・ヤングを求めてRAREに走った。ありゃ、意外とのんびりしてる曲なんですね。と思った。
うだるような暑い夏の夜中、蜂須賀を真似して下半身下着のトランクスで高円寺の街なかをうろうろしました。劇中でのセリフの通り、「ブリーフはない」と。でも、トランクス姿でファミレスには入れなかった。そこが自分の限界でした。
「迷走王 ボーダー」にやられた十代の子どもは、その後の人生設計が「ボーダー」基準になってしまい、充分すぎるほどおっさんになった今もって、そこから抜けられません。なんなら、蜂須賀が暮らしていた便所部屋でもおれ全然オッケーですみたいな。妻には言えません。気の毒すぎる。
人生の道筋を教えてくださった狩撫麻礼さんに合掌。
あからさまに説教臭かったセリフ回しを今読み返すとどうなんだろう。
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最近のあれこれを写真で紹介。