今季、日本国内でのシラスウナギの漁獲高が過去最低というニュースが話題になっています。ウナギ資源の減少は、ずっと以前から指摘されていました。川と海との両方を生活の場とするウナギにとって、日本の河川環境が暮らしやすいはずがありません。
cf.> ウナギ減少で稚魚獲るなと cf.> 護岸で固めればウナギが減る
この間、人々はウナギと末永くつきあうための方策を講じてきたと言えるのでしょうか。
フライの雑誌-第105号から、〈釣り場時評75 ウナギの資源管理は無理である〉(水口憲哉)を公開します。
フライの雑誌-第103号掲載〈水産庁 内水面漁場管理官に聞く|新しい「内水面漁業振興法」をどう使うか〉(特別公開中)とあわせて読んでみてください。
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(編集部)
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釣り場時評78
ウナギの資源管理は無理である|
内水面漁業振興法、原発事故の漁協への損害賠償を考える
(水口憲哉)
フライの雑誌-第105号より
ウナギの資源管理というのは、
不可能という言葉を代表するようなことで
話にもならない。
本誌の前々号(第103号)で内水面漁業振興法を日本釣り場論の拡大版で扱ったときに、ウナギについてのわかりにくい話がらみで次号で詳しく検討すると書いた内水面漁業振興法について、あらためて今回取り上げる。
ウナギについてのわかりにくい話のうち、環境DNAについては前回の本欄で、海ウナギや回遊についてのどちらかというと生物学的なことは今回[水辺のアルバム(二)](122ページ)で扱っているのでここでは生臭い、政治的、社会的なことを中心に迫ってみたい。
ただし、内水面漁業の振興をということで議員立法で進められたが、今回終わりのほうで紹介する国会質疑のような事情により、水産庁がウナギ養殖の実態にもとづく資源管理を行おうという本来無理なことを考え後付け的に追加したウナギ養殖がらみが、事をややこしくしている。
無理なややこしいことというのは整理すると三項目になる。
①内水面漁業とウナギ養殖業(養鰻業)は、異なっており、業界としても全く別の世界である。
②養鰻業界の実態は複雑すぎて水産庁が下手に手を出すと火傷をしかねない世界である。
③ウナギの資源管理というのは、不可能という言葉を代表するようなことで話にもならない。
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内水面漁業は大部分が遊漁者のための
釣り場管理業になっている
まず、今回の振興法を働きかけた内水面漁業の窮状を見ておく必要がある。
全国的にダムや河口堰がつくられアユの天然遡上の途絶えた河川ではどこでも、稚アユを入手して放流しなければならなくなった。そこで大供給源となったのが琵琶湖の稚アユである。その配布網が拡充してゆくと共に琵琶湖の総合開発による水ガメ化や環境悪化による水質汚染や生態系の変化が進む。
そのような動向の中で琵琶湖のアユで冷水病が発生し、稚アユ配布網にほころびが出始める。このことと釣り人の世代交代がらみでアユの友釣りが減少し、ルアーによるバスフィッシングがブームとなる。そのブームが、生物多様性の関心の高まりとバッティングして、外来魚騒ぎとなる。そして川に釣り人の姿が少なくなるとカワウの活動が目立つようになる。
芦ノ湖のように外来魚騒ぎとは関係なくワカサギの放流用種苗を自家生産することに努力してきたところは成果が上がりだし、桧原湖などそれに習うところが次々とでてくる。このようにして、放流依存や高齢化で内水面の専業者が減ってゆき遊漁依存に大きく転換してゆく。
水産行政は、これも後付けで、遊漁や自然環境を内水面で楽しむ人々を念頭に置いて「水産多面的機能発揮対策」という施策の中に組み込んでゆく。
内水面漁業振興法というのは、これらの問題への対症療法的小手先の事業費をつけて内水面漁協等を延命させる栄養補給の装置のようなものである。現在の内水面漁業にはウナギ漁を始めとして、漁業と呼べる実態のある河川、湖沼は数えるほどしかなく、大部分が遊漁者のための釣り場管理業になっている。
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国別のシラスウナギ採捕量と
その国間の移動の実態の資料が心もとない
養鰻業というのは内水面漁業であると考えている人は殆どいない。だから当初立案された内水面漁業振興法には養鰻業に関連する要望が全内漁連からは一つも出されていない。養鰻業界にとっては冷水病、外来魚、カワウ、遊漁政策、河川環境どれ一つとっても全く関係ない。
養鰻業界は次に述べるような問題をいろいろ抱えてはいるが、法律をつくって延命事業費や対策を施せば、その問題がどうにかなるとは考えておらず、むしろそのことによって国等の規制がかかることを嫌うしたかかで強い業界なのである。
扱っている製品がウナギのかば焼きなので、水産業や内水面漁業のように考えられるが、ビジネスとしては国際競争の厳しい食品製造業であり、経営者の考えていることはユニクロなどの衣料品製造メーカー(?)とあまり変わりはないと思う。内水面漁連全くお呼びでない業界なのである。
魚類養殖業の三大要素は種、水、餌と言われるがこれが安く入手出来る日本、台湾、中国、韓国がウナギ養殖では日本という大市場を狙っての競争相手ということになる。水温は高い方がよいので、加温の燃費もからみ、より南のほうが有利ということはあるが、一番の急所は養殖原料であるシラスウナギの確保である。
水や餌はコストと技術の兼ね合いでどうにかこなせても人工生産の出来ない、お天道様次第と言わざるを得ないのがシラスウナギの漁獲量変動である。相当以前には、採捕したシラスウナギの日本国内では県間、そして欧米やアジアの国の間でのシラスウナギの売買や輸出入にともなう移動があったが採捕量が世界的に減って、需要との関係がタイトになってくるとそのような移動が減ったり、制限されたりするようになっている。
しかし、国別のシラスウナギ採捕量とその国間の移動の実態はどうなのかということが、ウナギ養殖を巡る管理や規制を考える際に最重要かつ出発点となる資料なのだが、それがどうも心もとない。
貿易統計や農林統計が日本にはあるが、それがもう一つというのだから、中国においては資料が無いに等しい。漁業統計そのものが中国では使えないということを体験しているので、それがビジネスがらみとなればなおさらである。日本におけるシラスウナギ採捕量にしても暴力団の資金源の一つと言われているように闇の流通ルートがらみの世界である。
養鰻業界の実態を数字で把握しようと思ったら、①シラスウナギの採捕量と移動量、②養殖池に収用する池入れ量、③製品出荷量の三項目について、それぞれの単価を知る必要がある。そしてこれらの数値が、1、個々の採捕業者、2、個々の養殖業者、3、養殖業組合、4、県または地域、5、国ごとに把握されまとめられることを考えると気が遠くなる。
思惑やかけ引きもあるので、資料を出せない、出したくない、出さないこともあるし、もし出て来たとしても実際値、公表値、公式値と何種類にもなる可能性がある。それでも数字がでて、量的変動のグラフも出来ているから不思議である。
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水産庁は養殖生産量を制限しようとするだけで
この問題には深入りしていない
日本の場合はもう一つ養鰻業発展の歴史がらみの地域間競争という問題があるのでややこしい。
ウナギ養殖は明治時代に静岡、三重、愛知の東海三県で始まり昭和四〇年代まではここを中心にシラスウナギも集まり生産の中心であった。しかし、配合飼料の普及やハウス加温方式の導入により生産地が拡大し、それまでシラスウナギの供給地であった四国、九州でも養鰻がさかんになった。
そして現在は愛知、静岡中心の日鰻連と九州地区中心の全鰻連という二つの業界団体があり、それぞれの地区選出の国会議員の集まりの中心となるのが、前者が養鰻振興議員懇談会、後者が自民党養鰻振興議員の会と二つに分かれ、入り交じってもいる。そして、今回の議員立法である内水面漁業振興法にそれぞれが個別の利害関係、すなわち、シラスウナギの確保問題でからんでくる。
具体的には自県採捕量とシラスウナギの輸入量の問題である。水産庁は養殖生産量を制限しようとするだけでこの問題には深入りしていない。だから、資源管理ではなく、市場規模のゆるい規制で、要は食べる量を減らそうということを間接的に言っているだけである。鹿児島県のように、大手三業者が牛耳っているところでは県の行政指導や国の規制は難しい。
大体ニホンウナギと言っているが、そのシラスウナギは東アジアの台湾、日本、中国、韓国どこでも漁獲されている。そしてそれを原料として自地域の養殖にまわすのと輸出にまわす分との兼ね合いは、シラスウナギの各地域での漁獲量がらみの国際相場や各地域の養殖業界の事情次第ということである。
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ウナギが世界中で減っている理由として、
原発取水の影響を考えている研究者もいる
このことを出発点として、ウナギの資源管理は絵空事に過ぎない理由を数え上げてゆく。
①シラスウナギの国や地域別漁獲量の数字はどうなのかよくわからない。それにもかかわらず、アメリカ、東アジア、ヨーロッパのウナギのシラスウナギ資源量(漁獲量だと思われる)が三種ともここ五〇年から三〇年前より激減している図が当然のように流布している。世界中でウナギが減っているのは事実だが。
②ウナギが世界中で減っている理由として、海洋環境の変化と、日本の市場に向けてのシラスウナギの獲り過ぎが主に考えられているが、イギリスには原発取水の影響を考えているまともな研究者もいる。
③稚魚を補給する産卵親魚の量はどうなのか、全部がサルガッソー・シーやフィリピン東方沖に向かっているのか、その量は?
④産卵場に向かうウナギの川から出かけるものと海ウナギとして沿岸域から向かうものとの割合は? それぞれの親ウナギの量の増減は?
⑤東アジアの場合、台湾、日本、中国、韓国のすべてから、フィリピン東方沖の産卵場に向かっているのか。そしてそこで生まれた稚魚は親の来たそれぞれの国や地域にもどるのだろうか、サケのように。
⑥それぞれ四つの国と地域にどれだけの量がたどり着くかは海流(黒潮)の流れ方次第で年々変わるのか。これも結局四つの国と地域のシラスウナギ漁獲量がわかっていないと検討できないという、このやっかいな出発点にもどる。
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内水面漁業振興法にある協議会などで話し合って
サクラマスについても対応してゆけばよい
内水面漁業振興法における指定養殖業の許可および届け出養殖業の規定などウナギ養殖業の規制措置等についての衆議院、農林水産委員会での質疑が昨年の六月十一日にあった。質問者の畑浩治委員は林農水相に次のようなことを言わせ確認した。
二〇一二年九月からニホンウナギの主要な養殖国・地域である日本、中国、台湾の三者で国際的な資源管理についての協議をしており、翌年から韓国も参加した。今年九月の第七回協議で養殖業界を含む非政府機関による資源管理の枠組みのもとで養鰻生産量の制限について結論を得るようにする。いっぽう、二〇一六年のワシントン条約国会議の附属書掲載の提案が早ければ二〇一五年八月ということでそれに向けての取り組みも求められている。
そして、ということで、法案の三倍の時間をかけてサクラマスの増殖、維持管理について本川水産庁長官と質疑を続けている。
〝私の選挙区のある地元の河川にあるウライ堰〟について(安家川という名前を出さないが)ということで、拙著『桜鱒の棲む川』を読んでいるかのような国会では珍しいまともな議論が行われている。その結果、内水面の漁業権の管理については、内水面漁業管理委員会や、内水面漁業振興法にある協議会などで話し合ってサクラマスについても対応してゆけばよいという長官の前向きな答弁を引き出している。
この長官答弁には後日談がある。昨年九月に安家川漁協の大崎組合長からウライに関する顛末報告の手紙を頂いた。その中の一節を引用する。
「去る六月二六日には、内水面全国連の創立六〇周年記念式典が東京で開催されまして、私も出席いたしましたが、懇親会の席で、思いがけなく畑先生のウライについての質問に答弁された本川水産庁長官と面談することができ、意外なことに安家川をご存じの様子で気さくにお話しすることが出来ました。」
岩手県の内水面漁連の会長も交代し、岩手県の取り組みも変化しだした中での水産庁のこういった対応である。安家川のウライ問題も、発生から二三年、本誌第八四号で取り上げてから六年目にしてサクラマスが安心して棲める川になったようである。
なお、生活の党の畑議員は昨年十二月の衆議院議員選挙で落選した。そして、『桜鱒の棲む川』でダム建設反対についてはサクラではないかと評された小沢一郎民主党代表が新たにつくった政党「生活の党と山本太郎となかまたち」の共同代表になった。新党の政策の一番目が「原発の再稼働・新規増設は一切容認せず、二〇二二年までに原発を全廃する」というものである。
よい川にはサクラマスが棲み続けるが、人の世と流れは変わる。まして政治の世界は。
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川の守り人としての内水面漁協役員の
ボランティア的かかわり方は非常に綿密であり
日常的かつ苦労なことでもある
一昨年十月の全内漁連の漁業振興大会は内水面漁業振興法を念頭においたものだったが、全くそれと相反する第一議案、福島第一原発事故による放射能汚染に対して内水面漁協に対する支援。と関連するのかもしれない相談があったことを第一〇三号の「釣り場時評76②」で紹介したが、その相談会で具体的内容がどうなったかを最後に報告する。
すでに多くの内水面漁協が東京電力との損害賠償の交渉に入っており、本誌一〇三号で、小国川漁協とダムとの関連で詳しく検討した内水面漁業における損害賠償の考え方は、その相談会に参加した弁護士も内水面漁協関係者も大体理解していた。
問題は、漁協の漁業権漁場である河川が帰還困難区域に入る富岡川、室原川高瀬川、新田川太田川、そして真野川の各漁協が損害賠償をどのように考えるかということであった。なお、大熊町の熊川と楢葉町の木戸川井出川は漁協として独自の交渉をしているのか、弁護士も漁協関係者も相談会には参加していなかった。
話し合いの行きつくところは、これら四漁協の組合員、特に内水面漁協の場合は後述するように組合役員、が川へかかわることの生きがいや未来への希望を奪われたことに対する損害賠償としての慰謝料ということで東京電力に責任を認めさせるしかないということになった。
内水面漁協で、出資金を払ってまでなぜ組合員であり続けようとするのかを考えた七項目(第103号67ページ)が出席していた組合役員からは明確な同意があった。内水面漁協では川の守り人としての組合役員のボランティア的かかわり方は非常に綿密であり日常的かつ苦労なことでもあることが、多くの人々に理解されていないことを痛感した。
参加した弁護士の一部が別途取り組んでいるふるさとを喪失したことに対する慰謝料を参考にして、筆者なりに、「人々には多様な生活と生き方がある。個々人のそのような人権は保障されている。多様な形での損害賠償や慰謝料の請求」という結論となった。