【特別公開】
異分野対談:
画家の視線とシマザキワールド
中村善一×島崎憲司郎
企画・写真 青木修(桐生タイムス)
編集・構成 堀内正徳(フライの雑誌社)
群馬県桐生市の中村アトリエにて2016年12月18日収録
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◎大注目を集めた対談の後篇をお届けします。
『水生昆虫アルバム』への評価への返礼で島崎さんから中村さんへ手製のフライを贈ったことから、濃密な会話が始まりました。
重力を操るシマザキ式フライキャスティングと、それを実現する羽舟竿誕生の背景、自然を見つめる視点、アートとフライタイイングの交叉、周囲の声にとらわれない独創の力強さなど、話の裾野はさらに広がってゆきます。
それぞれのステージで、それぞれの時間を突き詰めてきた画家とフライタイヤーが、『水生昆虫アルバム』をきっかけに出会ったことで、互いを刺激し合い、新しい世界が始まりました。(編集部)
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●中村善一さんと島崎憲司郎さんの対談は『水生昆虫アルバム』が結んでくれた縁でした。桐生という小都市のローカル紙で私が長年記者をやってこれたのは、いつでも示唆に富んだ話を提供してくれる人々に巡り会えた幸運に尽きるでしょう。たとえば中村さんです。そして島崎さんです。中村さんはモノゴトの本質を鋭く見抜き、とにかく、対象に迫っていく態度がきっぱりしています。
● 『フライの雑誌』110号の特集の後、「シマザキフライが見てみたい」と中村さんが希望し、島崎さんがその機会をつくってくれて対談は成立しました。老画家の炯眼から発される少年のような質問を受けて、すぐに核心へと案内する博覧強記のフライタイヤー。
●二人は、私がわかったつもりでいただけのフライフィッシングを、また創作の世界の奥深さを、ズバリことばに置き換えていってくれました。私が20年前、『水生昆虫アルバム』に出合い、夢中で島崎さんを訪ねてしまった衝動も、いまならもっと具体的に語れるかもしれません。登り口は違っても山頂では一つになる。そんな高みを感じたアトリエの2時間でした。
(青木 修)
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※本対談は青木修さんが企画・収録し、本誌編集部がまとめた。(編集部)
※『フライの雑誌』第111号(2017年3月)、第112号(2017年7月) 初出
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雑魚の美
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中村 私は釣りはやらないんですが、魚の手づかみは子どものころよくやりましたよ(両手で手づかみの動作)。
島崎 うんと魚がいたでしょう。
中村 いましたねぇ。渡良瀬川に入る田んぼの水が流れるようなちょっとした小川にもきれいなメダカがすいすい泳いでましたよ。それをとってきて、水槽で飼ったりしました。
島崎 水槽に入れると横からも見ることもできるので、魚という生き物の美しさがよくわかりますね。
中村 本当にきれいですね。形がいいの。
島崎 メダカといっても昔ながらのメダカですよね。天然の魚はどんな小さな魚でもそれぞれの美しさがあります。世間では錦鯉みたいなものの方がお値打ちなんでしょうが、私はああいうのはどうも。(※個人の感想です)
中村 あまりにも人工的すぎちゃって、面白くないですね。
島崎 キッチュというか造られたフリークですよね。何百万だか何千万だかの錦鯉もいるそうですが私は千円でもいらないです。「千円やるから持ってってくれ(←談志師匠の口調)」っていう感じですよ。(笑)
中村 雑魚一匹の方がはるかにいいですね。
島崎 ずっと上品です。ハヤやオイカワなども実にきれいな魚です。昔の人はオイカワのことをアサヒバヤとかザラッパヤと呼んでましたね桐生では。
中村 ホンバヤっていうのもいましたね。あれはウグイでしょう?
島崎 ウグイですね。フライの人はウグイを小馬鹿にする人もいるんですが、私なんかは子供のころからの長い付き合いのせいかウグイはウグイで憎めない愛着を感じます。
中村 あとはウナギの置きバリもやりました。ミミズを付けておく。朝あげるとき、ひょいっと引くと魚がついているかどうか分かる。
島崎 わたしもやりました。桐生川にはウナギも多かったですね。腹が黄色っぽいのと青っぽいのとがいました。
中村 でも竿で釣ったことはないです。もっと直接的なんですかね、こう、手で握ってみたり。
島崎 先生のようにご自分の手で魚を捕まえたりした人の方が釣りをやっても巧くなりますよ。季節ごとの魚の居場所とか習性とかを手触りを含めて身体で覚えていますから。
中村 なるほど、確かにそういうことは忘れませんね。
島崎 最近は子供のころに魚とりをしたことがない人も多いようです。子供さんでもいきなりフライから始める子もいますよ。我々のころはもっぱら手づかみとかあんま釣りとか。
中村 あんま釣りとはこういうやつでしょう(手まね)。
島崎 そうです。いまは差別用語でうるさいんですってね。教育委員会なんかでも「ピストン釣り」なんていってます。胡散臭いですねぇ。「あんま釣り」の方がむしろ按摩さんへの親近感も感じますよ。「ピストンってのは英語のスラングじゃファックだぞ~」って大声で怒鳴ってやるんですけどね(笑)。
中村 島崎さんの『水生昆虫アルバム』を開くと、いろんなことが書いてあるんですけども、いわゆる文学雑誌なんかに出てくる文章形態とは、全く世界が違うんです。書いてあることと、書き手が自然そのものに直結しているから、言葉がひじょうにきれいなんですよ。メダカがきれいなのと同じように。
島崎 先生のようにものがわかる限られた人には、そういうことを感じられるのだと思います。とてもありがたいことです。
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ジュラシックフライ楽屋噺
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(フライの雑誌・第48号を開いて)
青木 島崎さんにはこんな作品もあります。
島崎 1999年にアメリカで「Confluence:芸術とトラウトフライ展」という催しがありまして、実は当初なぜか当方に日本側の事務局のようなことをやってくれないかと打診があったのですが、即辞退して東知憲さんを推薦しました。私はさっきも言いましたようにロクな教育もないしエーゴもメチャクチャですからネ。そのころ東さんは今でも語り草の専門誌「タイトループ」のバリバリの編集長でしたし、当方などとは雲泥の差の秀才なんです。で、その催しの趣向ですが「フライを含む関連の芸術作品を集めた世界で最初の展覧会」ということでした。結局あれは世界11カ国の百五十何人だったかのフライタイヤーが参加しまして、その中でサイズだけは一番大きかったフライが、青木さんのおっしゃった拙作のジュラシックフライだったわけです。
青木 これがその時の記事や厳選10作品を選んで美術館などで追加巡回展をしたパンフレットです。島崎さんのジュラシックフライはその中にも入っていて、ここにその写真があります。
中村 これはまた、すごいなあ!
島崎 今見ると直したい部分だらけでゲンナリです。
中村 これ、向こうでは評判だったでしょう。
島崎 同業者にも面白がられました。ご来場の子供さんや女性の方々にも楽しんでもらえたようでよかったです。ご覧になった方に楽しんでもらいたいと思ったのがこのフライのコンセプトの一つでしたので。「遊び心」っていうのは万国共通なんですね。
青木 ただ大きく作っただけではなくて、ジュラ紀の地層から出た巨大な水生昆虫の化石を土台にしているんです。
中村 ジュラ紀の化石からねぇ。化石を見てフライを作ろうなんて考える人はいないでしょう。これ(ジュラシックドレイクの写真を指して)で何グラムぐらいなんですか?
島崎 そのフライは出品した三つフライの中で一番重かったのですが、それでも4グラム以内です。
中村 一円玉4つ以下か…軽いねぇ。
島崎 すでにあるものの二番煎じなどでは見る方もつまらないでしょうしね。予定調和を壊すこともアートですから。
中村 その化石はどこで見たのですか?
島崎 現物を見たわけではなくて恐竜展のカタログです。それに載っていた何種かの古代魚の化石と一緒に出た原始的な水生昆虫の化石の写真を見ていてハタと閃きました。
中村 ハハァ。
島崎 その中にエフェメロプシスとかいう原始カゲロウの化石があったんです。ニンフの段階の不完全な化石なんですが、これが羽化するときは古代魚たちにさぞかし貪り食われただろうなと妄想しまして…。落語の三題噺みたいなもんですよ。
中村 こんなに大きなカゲロウが実際にいたわけね。
島崎 実は先生、本当はこの半分ぐらいなんです(笑)。でも、そのスケールで試作してみたところ今一つ何かが足りないんですよネ。知らない人が見たら、このくらいのは今でもいるんじゃないかと思われるのではと。それで誰が見てもインパクトがある200%拡大にして…。
中村 ジュラシックフライという名前のセンスもいいねぇ。
島崎 ネーミングは重要ですね。もしかしたら作品そのものより大事かもしれません(笑)。こんなに大きくても水面にちゃんと浮くんです。浮かなければドライフライではないですから。
中村 いまもあるんですか。
島崎 ええ。どこかに押し込んであるでしょう。残念なのは、あのとき風邪をこじらせまして4本作るところ3本しかできなかったことです。本当はやり残したジュラシックストーンフライというのが造形的にも一番面白かったんですけど時間切れで未遂に終わりました。どうもフラフラするなと思って熱を測ったら39度近くあってギョッとしたんです。これが締め切り三日前。風邪薬飲もうなんて発想は全然なかったですね。そんなの飲んだら眠くなっちゃいますから。こういう時の手段として某マンガ家に教わった「リポDガブ飲み(リポビタンDを水代わりに飲み続けるリスキーな緊急スキル。←真似しないでくださいね)」でヘロヘロ状態でやったんです。
中村 そんな状態でやりましたか。
島崎 根が馬鹿ですから(笑)。リポDは一番安い普通のあれです青い瓶のやつ。高い方のリポDスーパーが良さげですが、あの青い瓶の当時100円のリポDをガブガブやるのが王道なんですってね。そのころのマンガ家さんは今のようなデジタルツールなしで手作業ですから締め切り間際は凄まじい修羅場なんだそうで、そういうハードな現場から出てきたシノギの技術(?)ですから説得力ありますよねリポDガブ飲み。
中村 身体に悪そうだなぁ(笑)。
島崎 これは楽屋噺ですが、サイズを勝手に化石の倍にしてしまったために普通の羽根とか獣毛だと長さ的に足らなかったりしてフライとしてしっくり収まらないんです。結局そのサイズの巨大昆虫の翅脈のパターンの版を泥縄式に作ってプリントゴッコで刷ることにしました。プリントゴッコというのは先生もご存じの通り理想科学社が当時製造していた簡易版シルクスクリーンもどきなんですが、あれの大判の方を持っていたんです。時間的にそんなことやってる場合ではないわけですけどね、直接手描きしたタッチを出したくなかったんです。
中村 芸術品だね。
島崎 リポDガブ飲みのやっつけ仕事です(笑)。
中村 化石からそこまで発想して一気にフライにしてしまうがむしゃらさが凄い。
島崎 子供のころから何かを見て途方もないものを妄想したりするような性分だったんです。未だにそれが残っていて不思議な夢などもたまに見たりしますよ。そのせいか、中村先生の絵とか彫刻とか、そういう異なる分野の作品や生物学や進化論のテキストなどがヒントになって芋蔓式にイメージが膨らんだりします。電気館(昔あった近所の映画館)でゴジラの映画を初めて観たとき、怖くなって途中で帰ってきてしまったこともあります。そういえばオモチャのゴジラが夕空を背景にジュラシックドレイクをパックリくわえた写真を遊びで使ったりしましたっけ(とフライの雑誌48号を開き)ああこれこれ、この青いゴジラ、これ天満宮の骨董市で500円で買ったやつです(笑)。
中村 青木さんが『水生昆虫アルバム』を教えてくれたおかげで島崎さんに行きあえました。本と今日のお話でフライフィッシングというのがどういうものかを感じられたんですが、並大抵じゃないね、この世界は。いやあ、今日は珍しい話を聞けて楽しかった。
島崎 こちらこそ先生のご慧眼に感謝しています。本当にありがとうございました。
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