釣り師に定住型と放浪型がいるとすれば、自分は定住型だ。十代のころは人並みに、なにくそ嵐、なにくそ孤独、地球の魚とたたかうぞ、知恵と勇気じゃ負けはせぬ、くらいに思っていたが、人間の質が違った。
裏庭の釣りが、一番落ち着いていて好きだ。そもそも自分はフライフィッシングで魚が釣れるだけで満足してしまうような単純なところがある。出不精だし、できれば自分の部屋の窓枠からフライロッドをつきだしてキャスティングしたいくらい。
さいきんとくに目につく、釣りをなんらかの自己実現の手段にするような釣り人を自分は軽蔑する。かといって、伊藤桂一さんのように、この世で得たいなんらかの志があるわけでもないし、慰めたい立派な魂を持っているわけでもない。自分の釣りはただの釣りだ。
あさ川は毎日ちがう顔を見せてくれる。ふつうにオイカワのフライフィッシングが楽しい。家から5分の川で面白い釣りができなければ、どこへ行ったってそんなに面白くないんじゃないだろうか。ここらへんには「水生昆虫アルバム」の影響があると自己分析する。
とかなんとか言ってる時点で不純度がせりあがってくる感じなのがいやでもある。ぐだぐだ言ってないで川へ行け。
昨日に続いて、今日もドライフライの日だった。試しに沈めてみるととたんにアタリなし。オイカワのフライフィッシングは深い。