『宇奈月小学校フライ教室日記』の本村雅宏さんが養沢毛鈎専用釣場へ釣りに来られるという情報をつかんだ。本村さんがヨーザワへ来るのに自分が行かずば逝ってしまう。
夏休みに入った勉強しない近所の厨坊をつかまえて、養沢行くかと聞いたら「そりゃ行くでしょう」と返してきた。きみそれは違う。行きたいのなら「はい行きたいです」と言うのが正しい会話だ。そりゃ行くでしょうって、なんだそりゃ。ひとごとじゃねえぞ。きみは自分の意思をなんだと思ってるんだ、というようないつもの説教が始まる。
語っているうちに話がどんどん大きくなる。最終的には、人間は我思うゆえに我あるのだ、とか、僕たちにとっての実存とは?みたいになる。どっちが厨坊だかわからない。すまん。わかっちゃいる。
先週の殺人的な猛暑がすこし落ち着いた陽気とはいえ、早朝の養沢はやはり都内とは比べ物にならないほど、涼しかった。ここも東京だ。川は渇水ぎみ。でも過去にもっとひどい渇水を知っている。ポイントを選べばじゅうぶん釣りになる。
今回の養沢行きの企画者は、「フライの雑誌」の第114号にも寄稿してくれた稲垣宗彦さん。彼のご友人をふくめて総勢五人いたため、上・下流に別れて釣りを始めた。本村さんは富山県のご自宅から、5フィート台の極端に短いパックロッドを持参してきていた。『宇奈月小学校フライ教室日記』に出ていた〈山川風呂式ロッド〉だという。おおこれが世に聞く風呂式ロッド。
5フィート台のフライロッドは物理的に短さの限界を越している。さすがに短すぎやしませんかと聞いたら「まあこれでいいでしょう」と水辺に立った。本村さんは意外とでかい。本人が言うように姿勢がわるいのであまり大きいように見えないが、180センチくらいあるらしい。やせたでかい猫がつま先立ちしてフライロッドをつまんでいるように見える。体を半分に折るようにして釣りはじめた。水際からかなり離れている。
狭い養沢川は左右の岸から真夏の木々が被さり、さらに狭くて釣りづらい。そこを本村さんは、ロールキャストピックアップからのシュートで器用にフライをキャストしていく。投射するという表現が似合う。魚が出ないとすぐにシュートしなおす。この季節の養沢は出るなら一発ですよと言っているのに、同じポイントへ筋を変えてけっこう何度も流す。せっかちで、しつこい釣りだ。
本村さんとはもう十年以上も前に、白馬八方ニレ池で一緒に釣ったきりだ。あのときは池の釣りではあったけど、いま養沢を釣っている本村さんの背中を観察すると進化しているのがわかる。この間、色んな釣りをしてきた。あるいは、色んな釣りへ思いを馳せてきたのだろう。激しい流れの白泡のなかに、アップストリームで投じたフライへ魚が飛び出した。
ふつうアップでショートロッドで釣ると、合わせるときに大袈裟にのけぞってしまうものだ。本村さんはそれをラインさばきであわせた。フッキングした。流れの中を右に左に走り回る魚をいなしながら(短竿なのでたいへん)なんとか寄せた。黒点を全身にちりばめた美しい小さなニジマスだった。
その子は養沢生まれのニジマスですよ、と教えてあげた。「自然再生産しているんだ、いいなあ」。本村さんは三種類の富山弁(富山弁、高岡弁、朝日町弁だったかな)を操るトライリンガルだ。そのうちのどれかのイントネーションで、うれしそうに言った。
>【特別公開】単行本
『宇奈月小学校フライ教室日記』第一章(本村雅宏)