【公開】〈石木ダム問題と辺野古は同じ 国策だから我慢せよと言われた住民はどうするか〉(水口憲哉) 『フライの雑誌』第114号より

編集部より…

最新『フライの雑誌』第114号 (2018年6月15日発行)より、巻頭記事「釣り場時評87」〈石木ダム問題と辺野古は同じ 国策だから我慢せよと言われた住民はどうするか〉(水口憲哉)を全文公開します。

✳文中に登場している翁長雄志沖縄県知事(当時)は2018年8月8日に亡くなられました。後継をえらぶ沖縄県知事選挙は9月30日に投開票されます。

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石木ダム問題と辺野古は同じ
国策だから我慢せよと言われた住民はどうするか

水口憲哉(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)

石木川、川原の人々が闘っているのに居ても立ってもいられず何か言おうと思い、五五年の闘いの歴史を知ってと、いろいろ考えるうちにパタゴニアの全面広告の果たしたことをもう一度検討しようとインターネットで検索するうちに、石木川まもり隊のブログでいろいろなことに出合い考えが変わってしまった。

大体石木川ダムの問題については、パタゴニアの意見広告を切り口として、本誌第一〇六号の本欄でかなり難しく迫っているのでここでは少し変わった視点から考えてみる。

石木ダムについて世の中は、もういい加減にして
あきらめたらという中止勧告の状態になっている。
しかし、やめたとは言わない。

「この旗は、権力を国民大衆が取り囲んでいる。日の丸は権力が国民大衆を囲みこんでいる。やがて、白丸はだんだん小さくなるだろう。」

これは、山下弘文が一九八二年月刊「総評」七月号に書いた「小さなダムの大きな闘い 石木ダム建設阻止闘争の経過」の冒頭の文章である。この旗を室原知幸老は蜂の巣城にかかげ、新聞記者達にも室原王国旗であると言ったらしいが、冒頭の解釈は誰が言ったかわからない。

室原老自身は、松下竜一(一九七七)「砦に拠る」によれば、この旗を八五枚つくらせた妻のヨシに「おりんこつを、世間じゃ、国んするこつになんちゃかんちゃ反対んじょうしくさって、アカッなんのいいよるばってん、なんのおりがアカなんかじゃろうかい。アカん中にちゃんとシロも入っちょることを見するたい」と言ったという。

〝この「赤字に白丸」の旗が、いま、石木ダム建設予定地の川原郷入口にへんぽんとひるがえっている。〟と書いた山下弘文も二〇〇〇年七月に急逝した。その三〇年前の六月、室原老が亡くなり、松原ダムが湛水し、志屋の集落は消滅した。

その五年後、一九七五年に石木川ダム建設を国が事業認定し、川原、岩屋、木場地区の一二二世帯が「石木ダム建設絶対反対同盟」を結成した。

しかし、一九六二年長崎県は川棚町と地元に無断でダム建設を目的に現地調査・測量を行なうが、地元と川棚町の抗議で中止しているので、室原さん達志屋の人々の闘いと、川原の人々の闘いは八年重なっている。

長崎県の有明海をはさんで対岸にある熊本県境に近い大分県志屋での闘いと、後半三分の二は同時並行で進行しているので、この赤字に白丸の旗にはいろいろな意味が込められている。

山下さんのこの報告から三二年後の二〇一五年四月にパタゴニアの全面意見広告が出て筆者も初めて石木川における川原の人々の闘いを知るのだが、五〇数年間全国にも広く知らせる動きがなかったのか筆者が無関心だったのか、多分両方あったのだと思うが、パタゴニアはエライということになる。

この全面広告の前後の石木ダム問題に関する社会の動きを見てみる。

●二〇〇四年八月:佐世保市は反対同盟の「過大な水需要予測」に対しての抗議で計画取水量を「最大取水量6万㌧/日から4万㌧/日」に下方修正する。三年後に長崎県もダム計画を縮小。
●二〇〇九年五月:シンポジウム「強制収用を許さない」を川棚町公会堂で開催、参加五〇〇名。田中康夫氏、今本博健氏、荻野芳彦氏が参加、石木ダムは不必要と断言。
●二〇一三年一一月:「やめさせよう石木ダム建設! 全国集会(長崎原爆資料館ホール)
●二〇一四年七月:長崎県知事、弁護団と反対団体との交渉に出席、県のこれまでの川棚川河川改修で洪水は防げると明らかにする。
●二〇一五年四月:パタゴニアの意見広告。
●二〇一五年七月:長崎新聞が社説「強硬姿勢をやめよ」を掲載。
●二〇一五年一〇月:公共事業チェック議員の会、初鹿議員、真島議員が視察。

集会をやったり、企業や個人が何かをしたからどうだというのではなく、川原の人々の持続的意志と主張する道理がそのような動きをつくり出し、その動きがまた新たな動きをつくり出して、広く大きなうねりがつくられつつあるということのようである。

そこいらの事情は石木川まもり隊の石木ダム問題の今のカテゴリー報道に詳しい。例えば、今年三月号のビーパル誌では、野田知祐さんが彼の連載するエッセイの中で四ページにわたって石木ダムについて述べている、〝石木川のまもりびと〟というタイトルで。

パタゴニアが二〇一七年六月に石木ダムについて県民を対象とする意識調査を行ったという朝日、毎日、テレビ長崎の報道に対して、長崎県もやりましたよという牛肉景品付きのアンケート調査はおかし過ぎて悲しくなる。

このように世の中は、もういい加減にしてあきらめたらという中止勧告の状態になっている。森加計問題の安倍首相の様相である。しかし、やめたとは言わない。

石木川問題では法廷の場で決着をつけるしかないと、二〇一五年に三件の提訴が行なわれた。

(一)石木ダム事業認定取り消し訴訟。
(二)事業認定執行停止申立。
(三)工事差止仮処分申立。

二〇一六年一二月に(三)が不当却下され、翌年三月に本訴である石木ダム工事差止訴訟提訴というように苦労が多く大変である相手の土俵の上での闘いをやらなければならない。

ダム建設や海岸埋立てに反対の漁業権者が新たに
漁業協同組合をつくり、漁業権放棄をしなかったらどうなるか。
辺野古ではそれが可能な情況にある。

ところで、川にダムをつくるということについて漁協はどう考えているのだろうか。

長崎県は大きな川もなく、唯一ある内水面漁業協同組合が川棚川に漁業権をもつ川棚川漁業協同組合である。そこでこの組合の連絡先に石木ダム建設計画がらみの漁業権はどうなっているのかを問い合わせてみた。

現在組合員は四八名おり、高齢化しているとのこと。石木ダムについては十年ほど前に長崎県よりダム建設について同意を求めてきた。川原地区の組合員(一名)とその考えを支援する組合員達ともよく話し合い理事会で決定をし同意をしたということのようである。多数決で無理やりということでもなかったようでもある。

実は、川棚川水系には既に十五の農業用貯水堰があり、川の流れは寸断されているので、上流部の支流石木川に新たにダムが造成されても何が問題なのかということだったのかもしれない。ただし、漁業補償金といったものは受け取っておらず、その代わりにそれまで行なっていたアユの放流等について、上乗せして放流量を増加するようにしてもらったということである。

実は、筆者は五〇年ほど前に、シーボルトのファウナヤポニカにおけるオイカワの採集地ということで川棚川にはこの魚の採集に行っている。この川での現在のオイカワ(ハヤ、シラハエ)についての話題というか問題は佐賀県からの密漁で、それへの対策として、投網の使用を禁止している。甘露煮用で、球磨川でも福岡から獲りに来ると言っていた。ツガニ(モクズガニ)などと共にオイカワも増殖しており、餌をやっているという。具体的には、米ぬかを橋の上から撒くことを年に何回かやっている。

アユ等が遡れない堰に魚道をつくるよう県に要望すると、〝はいつくります。予算がとれました。〟というが結局何も変わりはない。どうもその予算は顧問のいる「組合」の川に使われているようだ。この顧問というのには、国交省や県の課長あたりがなっているらしく、ふた昔前か、どこかよその国の話を聞いているようで、もっと詳しく問いただすと迷惑がかかりそうでそれ以上突っ込めなかった。

ところで、川原地区の地権者達が今回新たに石木川を漁業権漁場として内水面漁業協同組合をつくり、ダム建設に同意せず漁業権放棄をしなかったらどうだろうか。これは、ダム建設や海岸埋立てに反対する人々が歯止めとしてよく考えることである。

たしかに漁業権というものの理屈からゆけば、ダムが建設されたり、海が埋立てられる前の川や海が生きている段階では可能である。しかし、よく言うように理屈としては可能だが実際には、漁協の設立を認め許可するのは県知事だからこの場合長崎県知事が絶対認めるわけがない。

なぜこんなことを考えたのか。次に述べる沖縄県では名護沿岸での新漁協設立が可能な情況にあるからである。

「個々の自治体の声を聞いていたら話は進まない。
国策なのだから我慢せよ。沖縄でやったのと
同じことをするだけだ」という政府

実際に今年二月二一日付朝日新聞は〝名護新漁協設立申請取り下げへ〟という二五行ほどのベタ記事を載せている。

〝漁師らは昨年一一月に申請し、県は追加資料を出すように求めたが、期限だった今月一九日に住民側から「提出は難しい」と連絡があったという。─中略─ 関係者によると、再申請する方向で事業計画を検討しなおすという。〟

中略の部分に、名護漁協が漁業権放棄した海域に申請するとあるから、埋立工事に漁協としてストップをかける可能性がある。

これと同時進行している県と国との漁業権をめぐる訴訟がある。昨年七月二四日に沖縄県は、名護市辺野古で国が進める米軍普天間飛行場移設のための埋立工事の差し止めを求めて提訴した。

『県の訴状は、漁業権について、漁協が一部を放棄しただけで、現場海域には引き続き漁業権自体は存在すると主張し、その状態で国が県から岩礁破砕許可を得ずに工事を進め、海底の岩礁が破壊されるのは違法だとし、岩礁破壊行為を止めるように訴えた。』(朝日、七月二五日)

この主張は筋が通っており、朝日はよくまとめている。埋め殺しといって、埋め立て工事が完了すれば工事海域の漁業権は消滅してしまう。しかし、海が海として存在している限りは、漁協の一部放棄とは関係なく漁業権は存在しており、新たな漁業協同組合もそこに設立できる。また、ダイナマイトを使用する破砕工事に対しては、水産資源保護法違反として水産庁が止めさせなければならない。

また、水産庁については、朝日は同年一〇月一九日の社説「衆院選 辺野古の海 沖縄だけの問題か」において、〝しかしこれまで水産庁は、議決だけでは漁業権は消滅しないという見解を示していた。〟と沖縄県の主張を認めている。

この社説の言わんとしていることは、全国各地の公共工事で、個々の自治体の声を聞いていたら話は進まない。国策なのだから我慢せよ。沖縄でやったのと同じことをするだけだ。という政府に対して地方は何もできないではないかということである。

今年の三月一七日に那覇地裁の判決が出た。朝日の翌一八日の社説ではこの辺野古判決を真正面から批判した。

〝辺野古判決 司法の存在意義どこへ〟

として、実質的な審理に入らないまま県を敗訴にした地裁の無茶をやり玉にあげている。というのは、宝塚市のパチンコ条例をめぐる二〇〇二年の最高裁判例をよりどころにしているからである。そこでは「行政が国民に対し、単に条例や規則に従うよう求める裁判を起こすことはできない」と判断しているのである。この国民を国に読み替えて地裁は一種の門前払いをして逃げたのである。社説では、この最高裁判決そのものが学説としても批判されていることを具体的に指摘している。

〝岩礁破砕に関しては、知事の許可が必要だとしていた水産庁が、詳しい説明をせずに見解を変更するなど、不可解な点が多い。〟

と朝日は水産庁のいい加減さにも鋭い。

沖縄県としては、実質審理に入らず何の対応も無しなので当然納得は出来ず控訴した。上に行くほど悪くなる日本の裁判所、期待はしにくいが止むを得ない。ただ、福岡高裁に行くのなら漁業権については風成判決(第111号本欄参照)などの高裁で少しは期待できるが。

風成判決と言えば、出版された本を手にとり、まもなく亡くなられた浜本幸生さんの『共同漁業権論 平成元年七月十三日最高裁判決批判』(一九九九年、まな出版企画、七七七+五八頁))が思い起こされる。

国は沖縄県の知事を何度替えてでも、漁業権や憲法よりも特措法(日米安保条約)を優占してやっているのに、翁長知事はトンデモナイとばかりに強行する。

白井聡が「国体論」で喝破しているように憲法より日米安保条約を上位におく日本の行政と司法が、与党絶対多数の立法府の無為無策をよいことに、沖縄県民を米国の思うままに圧制している現状を見るとき、池澤夏樹ではないが、〝沖縄は何か罰を受けているのではないだろうか。〟と考えてしまう。

最後に、石木川まもり隊が紹介している、長崎新聞の本年二月四日「声」欄への投稿を全文掲載して今回はしめくくりたい。

『石木ダム問題辺野古と同じ 仏教僧侶 鴨下祐一(34) 諸用で先日、九州を訪れた。私は基地建設問題で揺れる沖縄・辺野古の南約6キロの宜野座村に住んでいる。数カ月前にインターネットで、東彼川棚町に計画されている石木ダムの問題を知り、ここにも行った。
石木川まもり隊の方に事前に連絡を取り、案内をお願いした。歴史的経緯を聞き、約半世紀に及ぶ人々の歴史に想像力が追いつかなかった。13世帯が残る集落には人々の営みが見えた。座り込みをしている方々の簡易テントに行った後、座り込みの現場にも行った。県の職員が出てきて、「入らないでください」と制止された。理由を聞くと「ここは県が買収した土地。工事現場であり、危ない」と言う。しかし数百メートル先には重機の周りを囲むように座っている人たちが見えた。辺野古と同じだった。私たち沖縄県民は連日の座り込みにへきえきしている。国や行政は「座り込みは違法だ」と言うが、もし自分の目の前で、大切なものが壊されるとしたら、体を張ってでも止めるのではないだろうか。法的な手順を踏めば問題ないと考えるのは思い上がりではないだろうか。一〇〇%の勝利なんて絶対存在しない。時代はいつも動き続けていて、人間はいつも、その時代にずっと問われ続けながら、何かしらの選択をしていかなければならないのだ。(沖縄県宜野座村)』

本欄の拙文のちょうど十分の一の分量で、同じことを言いながら何倍もの思いや考えを発している。最後の七行が難しいがスゴイ。若くてもお坊さんだからかなどと考えてしまう。

この人の倍生きたからといってそう簡単には見えてこないものだが、時代に問われ続けているという自覚は最近とくに強くなっている。日々選択しながら時代を問い続けるしかない。

(了)

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※初出『フライの雑誌』第114号 2018年6月15日発行 釣り場時評87〈石木ダム問題と辺野古は同じ 国策だから我慢せよと言われた住民はどうするか〉水口憲哉

✳文中に登場している翁長雄志沖縄県知事(当時)は2018年8月8日に亡くなられました。後継知事をえらぶ県知事選挙は、9月30日に投開票されます。

フライの雑誌 第114号より
フライの雑誌 第114号より
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魔魚狩り ブラックバスはなぜ殺されるのか 水口憲哉
フライの雑誌社 2005年3月1日初版 ・3月10日3刷
【本文紹介】
第1章「やせがまんが日本の釣りを救う」
ビッグマネー=ビッグフィッシュ?/〈毛鉤発言〉に思う/無謀でばからしい長良川河口堰/”一番おいしいサクラマス“を巡って/原発で事故でもあったのかな/イトウ釣りに未来はあるか/オイカワも棲めない、というヤバさ/釣りと仕事の関係について考える/漁業者の川から釣り人の川へ/やせがまんが日本の釣り場を救う/ワカサギから湖の釣りを考える
第2章「魔魚狩り」
ニジマスは好きか嫌いか/本多勝一氏への質問状/父親はラージマウス、息子はスモールマウス?/メダカ、トキ、ブラックバス、そして純血主義/一億ブラックバス・ヒステリー/「生物多様性主義」という空虚/ブラックバス→琵琶湖→義憤むらむら/捕鯨、外来魚、原発の屁理屈を斬る/ブラックバス駆除騒ぎに感じる気味悪さ/リリースを法的規制するのは、とんでもなくおかしく、間抜けだ/バス問題とサツキマスにおける作為と作意/王様の耳はロバの耳
第3章「お粗末な政治と科学と、外来種新法」
環境を維持すればバス問題も起こらないし、在来魚も減少しない
バスもイトウもウも、みんな濡れ衣を着せられている
ブラックバスという外来魚に、全部責任をおっつけてしまおう
ブラックバスが火あぶりにされやすい5つの理由
ブラックバスを火あぶりにしたい人々、それぞれの事情
めちゃくちゃな議論を展開する研究者
95%の人がバスの特定外来生物指定に反対している
魔魚の烙印は押され、火あぶりの儀式が始まる
島崎憲司郎 著・写真・イラスト「新装版 水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW」
〈フライフィッシングの会〉さんはフライフィッシングをこれから始める新しいメンバーに『水生昆虫アルバム』を紹介しているという。上州屋八王子店さんが主催している初心者向け月一開催の高橋章さんフライタイイング教室でも「水生昆虫アルバム」を常時かたわらにおいて、タイイングを進めているとのこと。初版から21年たってもこうして読み継がれている。版元冥利に尽きるとはこのこと。 島崎憲司郎 著・写真・イラスト 水生昆虫と魚とフライフィッシングの本質的な関係を独特の筆致とまったく新しい視点で展開する衝撃の一冊。釣りと魚と自然にまつわる新しい古典。「新装版 水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW」
フライの雑誌-第114号特集1◎ブラックバス&ブルーギルのフライフィッシング 特集2◎[Shimazaki Flies]シマザキフライズへの道1 島崎憲司郎の大仕事 籠城五年
フライの雑誌 113(2017-18冬春号): ワイド特集◎釣り人エッセイ〈次の一手〉|天国の羽舟さんに|島崎憲司郎
○〈SHIMAZAKI FLIES〉シマザキフライズ・プロジェクトの現在AMAZON

フライの雑誌-第111号 よく釣れる隣人のシマザキフライズ Shimazaki Flies
フライの雑誌社の単行本新刊「海フライの本3 海のフライフィッシング教書」
『葛西善蔵と釣りがしたい』(堀内正徳)
『葛西善蔵と釣りがしたい』(2013年5月16日発行)