【公開記事】水辺のアルバム 11 〈魚を獲りたけりゃダイナマイト漁があるぜ〉 水口憲哉(フライの雑誌 第114号)

フライの雑誌-第114号(2018夏秋号)から

水辺のアルバム 11
魚を獲りたけりゃダイナマイト漁があるぜ
(水口憲哉)

を公開します。

今春成立した改正漁業法の今後、沖縄辺野古の国による埋立てなどを考える際の参考になるかと思います。また、北海道開発庁が打ち出した「ダイナマイトによるブラックバス駆除」と、水産庁の対応についても記されています。
(編集部)

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水辺のアルバム 11

魚を獲りたけりゃダイナマイト漁があるぜ

水口憲哉

本誌創刊号以来、筆者の釣りへのスタンスは、やせ我慢の遊びというのに尽きる。

それに対して、魚を獲りたけりゃダイナマイト漁があるぜとも口走ったりもする。これはヨーロッパ映画で戦争中に兵士が池の魚をダイナマイトを爆発させて獲るのに納得してしまったからである。

最近、映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』の原作者末井昭が、〝父親と川に行ってダイナマイトで魚捕りをしたりしていました。ダイナマイトに火をつけて川に放り込むんです。魚は水の底にいるから、あまり捕れないんですけど、ダイナマイトが爆発したときに立つ水柱が派手で面白くて、それを見るためにやっていたようなものす。〟と言っている。

父親は岡山県の鉱山で働いており、仕事で使うダイナマイトを家に持ち帰っていた。彼が小学一年生のときに母親が隣の家の息子とダイナマイト心中をした。この水中でのダイナマイト爆発による水柱が壮烈なことを最近中国映画『山河ノスタルジア』(原題 山河故人 二〇一五年制作)で実際に見た。

三角関係で得恋した炭坑成金が失恋した炭坑労働者になぐられる。なぐられた男がピストルが入手できず殺してやるとダイナマイトを用意する。それを見た恋人が導火線に点火する。あわてた男は大きな河に放り込む。子供だった末井昭が面白がったのも当然の光景が出現した。筆者はその光景に接し、何とはなく金子みすずの詩を思い出した。

大漁

朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮の 大漁だ
濱は祭りの やうだけど 海のなかでは
何萬の 鰮のとむらひ するだらう

何十年と魚を獲り食べてもらわないと困る立場で仕事をし考えてきたものにとっては複雑な思いのする詩である。

基本的にダイナマイトが使用されるのは、戦場か鉱山である。それが海で漁のために使われるということについて考えてみる。

ダイナマイトの発明と火薬の生産によって資産家となったアルフレッド・ノーベルがノーベル賞を創設したのはよく知られている。彼が大量破壊兵器の材料をつくって富を築いたという批判に対してノーベル平和賞などをつくったのにはややこしい思惑があった。

これは非難をかわすための単純な慈善基金ではなく、一つの理屈というか信念に近いものだった。

それは〝軍事力が大国間で公平に分配されれば、それは殺戮の可能性を大きく高めてしまうので、常識から判断しても、各国は相互破壊に踏み切るより、むしろ永続的な平和を追求するだろう〟というもので現在の核抑止力に近い考え方である。

しかし、その後に起こった第一次世界大戦でこの想定というか期待は大きく裏切られ人類史上最大の戦死者を出した。しかし、核兵器というダイナマイトを超絶する強力兵器の出現によって、この考え方はかろうじて実現するようになった。

そういうこともあって、核兵器の創造に貢献した物理学者は、ほぼ全員がノーベル平和賞を受賞している。ノーベル平和賞というのは訳のわからないものである。

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米軍占領下の沖縄では、まともな漁業資材もなく、
魚を獲りたくてもなすすべのない海人が、不発弾や弾薬を使った
手製のダイナマイトを用いて漁をした時代があった。

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次に述べるダイナマイト漁とは別に今世紀に入って日本で魚を獲るためにダイナマイトを使おうとマジで考えた人々がいる。本誌六一号(二〇〇三年五月)でそのことを取り上げたので再録する。

〝ブラックバスの駆除騒ぎに気味悪さを感じる理由の一つは、それがこの間のアメリカの戦争騒ぎと重なりあうことである。一昨年北海道の大沼で二個体のブラックバスが確認された際に、北海道開発庁の打ち出した対応策。まず、大きな地曳網等で徹底的に大沼の魚類を捕獲してしまう。それでもブラックバスがつかまらず穴や割れ目に逃げ込んでしまう可能性があるので、五十か所ほどにダイナマイトを仕掛け爆殺する。二人の人物を捕獲するために、アメリカがアフガニスタンでやったことと同じである。最初反対した北海道の環境保護団体も同意してしまった。しかし、さすがに水産庁が水産資源保護法でダイナマイト使用を禁止していることを理由に許可しなかった。それにしてもおかし過ぎて怖い。〟

それでは実際にダイナマイト漁が行なわれた、または今でも行なわれている具体例についての報告を見てみる。

敗戦後、米軍の占領下の沖縄では、まともな漁業資材もなく、魚を獲りたくてもなすすべのない海人が危険だがどうにか入手できる不発弾や弾薬を使った手製のダイナマイトを用いて漁をした時代があった。そのあたりの事情を沖縄各地の人々からの聞き取りや、資料をもとにまとめたのが、角幡唯介(二〇一六)『漂流』の第三章、沈船とダイナマイトの三四ページである。

現代の冒険家であり探検家である角幡が宮古島の隣りにある伊良部佐良浜の漁師がマグロ漁船の沈没により三七日間の漂流の後にどうにか助けられ生還した話を調べているうちに、その人が八年後に再び航海に出てその漁船が行方不明になってしまったと知り深く考え込んでしまう。佐良浜の人々の死生観、海へ出かけること、そして陸での生活と生命をどう考えているのかと。

ダイナマイト漁も、一升びんに爆薬をつめるところからその海での取り扱いまで、生命や手足を失うことと紙一重のような仕事である。そういった生き方に、冒険家ではない筆者ですらなぜと考え込んでしまう。

さらにもう一つ生命が危険にさらされることとして沖縄の海人は潜水それも深いところにも潜って漁をする。

糸満から九州や伊豆七島にまで拡まった追い込み漁は、本来はサンゴ礁についている群れをなす魚を追い込み集めて網で獲るというもので高度の潜水技能を必要とする。その補助としてダイナマイトを使ったこともあったようである。サンゴ礁のまわりに群れをつくって生活する魚を一網打尽にして獲ることは難しい。網で追いかけるとサンゴの間に逃げ込んでしまう。

そこで追い込み漁の技術をもたない、フィリピンやインドネシアの漁民は今でもダイナマイトを使っている。

次に述べるフィリピン・アンツ島のタカサゴ塩干魚づくりのダイナマイト漁とは別に一時期、コーラルフィッシュがダイナマイト漁で採集され世界の水族館に買い取られ問題になったことがある。気絶しただけの魚は売られて行くのだろうが大部分は死んで海底に沈んでしまったものと思われる。サンゴ礁破壊の影響も甚大である。

フィリピン大学で博士号を取得し、現在は一橋大学にいる赤嶺淳は、単にダイナマイト漁を批判するのではなく、その実態を知る中でダイナマイト漁やそれを行なう漁民のおかれた政治経済を考える報告を行っている。

フィリピンのパラワン島南部に位置する小島であるアンツ島の一九九五年の人口は六〇〇〇人であり、その九五パーセントをイスラム教徒のサマ人が占めている。一九七〇年のこの島の人口が二二五人だったのがその後の内戦でタンドウバス島からの避難民が急増しその人々の一部もダイナマイト漁をやっている。

一九六〇年代から米軍基地周辺の海底で拾った不発弾を利用していたりしたが、一九八〇年代に入って安価で危険の少ない硝安油剤爆薬が普及するようになった。なお、ダイナマイトの使用は一九七五年のマルコス期からラモス期でも大統領令等で禁止されている。

しかし、漁場は現在、フィリピン、ベトナム、中国、台湾、マレーシア、ブルネイ等の軍隊が個別に島々を実効支配し領有権が未確定な南沙諸島の中のある意味戦時下のフィリピンが占領している七島である。そこに一五〜二〇隻ほどの船がそれぞれ一八名ほどの船員で五〇日ほどの航海で島々をまわりダイナマイト漁をするのである。

その結果、国境警備のフィリピン国軍兵士はキリスト教徒であり黙認しているとか、マレーシア軍の管理する海域は魚が豊富なので、そこに侵入する戦略があるといった話が漁民の間では真面目に話し合われている。

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日本漁民が朝鮮海において、いかに横暴に乱獲、殺人など
犯罪行為をはたらいていたか。日本が朝鮮半島を植民地とする
歴史の中で、朝鮮出漁は元気の出る望ましい物語となってゆく。

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日本においてこのダイナマイト漁を真正面から取り上げた小説がある。「犬神博士」や「ドグラ・マグラ」で知られる夢野久作のその名も「爆弾太平記」である。

一九三三年(S8)の「オール読物」六、七月号に掲載されたが、明治期の右翼組織玄洋社の巨頭、杉山茂丸の長男として一八八九年(M22)福岡市に生まれ四七才で亡くなる三年前に書かれている。父茂丸は朝鮮問題に関心が深く、彼の資金で慶尚南道の水産開発がはじまったりしている。

物語は、水産講習所(東京海洋大学の始まり)を出て、内地漁業の行詰まりを朝鮮における漁場開発で打開し漁業界の巨頭になるが、ダイナマイト漁業が思うままにのさばるのに耐えられず、その撲滅に立ち上がる男、そして、内地の政財界の強固な利権の力により失脚させられた技師、轟雷雄の回顧談の形をとっている。

朝鮮沿海五十万の普通漁民に父とも兄とも慕われたというそんなカッコよい日本人が実際に存在したかどうかは別として、北九州沿岸から朝鮮半島沿岸にかけてのダイナマイト使用による密漁が現実に横行したのは事実のようである。

三井田恒博編著(二〇〇六年)『近代福岡県漁業史』の年表において全国の漁業関連事項の欄に一九一八年(T7)にまず、○対馬周辺を中心に爆発物使用密漁が横行す。と出現するのを皮切りとして、翌年には、○対馬沖で爆発物密漁船数十隻を検挙、取締警官に爆薬投げつける。爆薬密漁者が爆死す。とある。

そして、一九二一年には、朝鮮南沿海における鯖漁期(昨年秋〜今冬)に検挙した爆弾密漁船は七〇隻に達す、朝鮮〜対馬一帯での密漁船は五〇〇隻にも達すると推定。○爆弾密漁船ブラックリストが各地の警察署に配布される。そして二年おいて一九二三年にも、○対馬船越沖で不正漁船が取締警官に爆薬を投げつけ抵抗するも七名逮捕される。とある。

本書は第四編朝鮮海出漁(八一九〜九○四ページ)が最終編であるがその第三章、明治四十年以降の朝鮮海出漁の第二節朝鮮沿海における密漁は、次のしめでくくられている。

「爆薬密漁船の横行は大正、昭和へと持続するが、その隻数は次第に減少に転じていった。その主な要因は資源量の減少によって不正漁業の旨味がなくなってきたことであった。密漁は自業自得の結果として衰退したが、朝鮮沿海における漁場生産力を低下させ、漁業全体を衰退させる一要因ともなったのである。」

とんでもない太平記ではあるがダイナマイト漁隆盛の背景には日本漁船の朝鮮出漁がある。

この点について日本の研究者も多方面からまとめているが、いろいろ問題がありわかりにくい。そこで一九九五年に雄山閣から出版された高秉雲の『略奪された祖国 日米の朝鮮経済侵略史』を参考にその実態を見てみる。

まず一四〜一五世紀と一六世紀に朝鮮近海で乱暴をはたらいたり魚を乱獲したりする倭冦と呼ばれる半賊半漁的行為があった。

これに対して李朝政府は武力制圧策から交隣有効の懐柔策に転じて釜山など三浦への日本人の定住を進め、釣り漁と貿易に関係する日本人が二二○九人に達した時期もあるという。しかしその後、徳川幕府の鎖国時代に入り朝鮮近海へ漁に行くことは密出国となり厳しく罰せられるようになった。しかし、今の山口県豊浦郡の漁民などはよく出かけていたようだがそれらの記録は殆ど残っていない。

そして、漁業に関する条約として高は『日本は、侵略的で不平等条約である「江華島条約」を強要してから七年目の一八八三年七月、「朝鮮国ニ於テ日本人民貿易ノ規則』と「朝鮮国海岸ニ於テ犯罪ノ日本漁民取扱規則」を締結した。』とその始まりを述べている。

日本の研究者の多くは「江華島条約」を「日本朝鮮修好条規」と呼んでいるが、その後に締結された二つの規則が内容としてもっている相互入漁協定的性格についてその内容を吟味する人は少ない。

高はこの「相互入漁協定」の不平等性と問題点を三点に絞り込んでいる。

①日本はまず朝鮮漁業資源の宝庫、咸鏡、江原、慶尚、全羅の四道の漁業権を獲得する。そして、朝鮮漁民は、日本の肥前、筑前、長門を始め朝鮮に面する岩見、出雲、対馬の海浜で捕獲するとした。しかし、これら日本の沿岸では漁がさかんで資源が枯渇し始めており朝鮮出漁を目論む漁民の多いところである。好漁場を見捨ててそんなところに出かける朝鮮漁民はいない。

②それより何よりも当時の朝鮮での漁船の規模、機能、隻数からしてもとても朝鮮漁民が日本沿岸へ出漁する能力をもっていなかった。これは一三〇年ほど前の話であるが、昨今の北朝鮮の漁船が秋田県などに漂着することが多発していることからもよく理解できる。そして一昨年韓国で制作された映画『The Not 網に囚われた男』に登場する北朝鮮の漁船がその実態をよく示している。

③そして一括調印している「朝鮮国海岸ニ於テ犯罪ノ日本漁民取締規則」の存在である。これは、日本漁民が朝鮮海において、いかに横暴に乱獲、殺人など犯罪行為をはたらいていたか、日本自身も認めていたのである。

このようにして、日本が朝鮮半島を植民地とする歴史の中で朝鮮出漁は元気の出る望ましい物語となってゆく。そしてこの流れの中で林兼水産→太洋漁業→マルハ→マルハニチロ㈱という企業の歴史の始まりがつくられたというのもよく知られている。

国内的には近代的漁業秩序からはじき出された小漁民が朝鮮近海に出漁したり、漁村づくりに移住したということであり、国際的には隣国への侵入・侵略であり、こういった漁民の行動を陰に陽に国家が利用した訳である。

資本主義化し始めた日本の漁業と西日本の沿岸漁民のこういった動きを知るとき、これは日本の朝鮮半島に対する帝国主義的、植民地主義的、資本主義的侵略のまさに先兵とされているとしか考えざるを得ない。

現在福岡県筑前海の漁村の一五〇年の歴史を調べているので複雑な思いにとらわれる。

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フライの雑誌-第111号 よく釣れる隣人のシマザキフライズ Shimazaki Flies
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『葛西善蔵と釣りがしたい』(堀内正徳)
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