『フライの雑誌』第98号(2012)より、日本釣り場論72〈外来魚問題、大規模開発事業、放射能汚染 ─少数で異端の批判者として事実に基づき発信すること〉を公開します。
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釣り場時評72(フライの雑誌-第98号)
外来魚問題、大規模開発事業、放射能汚染
─少数で異端の批判者として事実に基づき発信すること
水口憲哉
(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)
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筆者が長年言い続けてきた“人と魚と水の関係学”を具体的な社会の動きに対応して、発信したのが『反生態学』、『魔魚狩り』、そして『淡水魚の放射能』ということかもしれない。
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2012年5・6月号(Vol.75№3)のIGFA(国際ゲームフィッシング協会・JGFAも参加している。)の機関紙の表紙には“アジアのコイ、侵入者”という大見出しのまわりにレンギョが飛び跳ねている。五大湖をはじめミシシッピ川流域までのアジアのコイをめぐっての騒ぎに4ページの特集を組んでいる。
インターネットで調べてみると、シカゴ市、NOAA(国立海洋大気管理局)、EPA(環境保護省)、ホワイトハウス環境維持会議など21団体が協賛する「アジアのコイ地域協調委員会のFY2012アジアのコイ管理戦略機構」などというものがあり、2010年秋にはカリフォルニアのサンディゴで、第17回水生侵入種国際会議が開催されていたりする。
日本で外来種騒ぎが始まりかけた1989年には、「アジアの外来水生生物」というワークショップの報告がアジア水産学会特別刊行物として発行されている。そこで中国の研究者は、琵琶湖からのギンブナ(1973年日本より)、香港経由のラージマウスバス(1983年北米より)も含めて、外来種の導入による在来生物への有害な影響が全く見られないとしている。日本の研究者はラージマウスバスについて、5行ほどふれる中で、在来魚への影響は湖沼の水深によって大きく変わり、芦ノ湖のような深い湖では在来魚と棲み分けをして共存しているとしている。
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以上、外来魚問題についていろいろ冷静に考えているときに、川那部、西野、前畑編(2012)『琵琶湖:自然と人間の相互作用』という730ページを超える大部の英文の本が発行されたことを知った。その3章「琵琶湖における生態学的変化」の1,4“琵琶湖とその周辺における非在来(non-indigenous)種”は偏りなくコイ、ブラックバス、ワカサギ、ヌマチチブをはじめとする非在来種12種について紹介している。
そこでの区別は国内外来(ツチフキ、アマゴ、サツキマス、ワカサギ、ヌマチチブ)か、国外外来(Alienとしてのコイ、ハクレン、ブラックバス、カムルチーなど)かの違いである。その中で、カムルチー(Channa argus .Northern snakehead)が1933年北米から滋賀県に導入されて琵琶湖中に拡がり現在は減少しているという滋賀県水試報告(2005)があるのには驚いた。
9月に上梓した『淡水魚の放射能』では、香港の人々は中国原産でよく食べているライギョ(カムルチーChanna argus)の放射能汚染を心配していると書いたばかりなので、日本へは北米からだったのかとびっくりしたのだが、これは筆者中井・金子の単なるミスでそんなことはない。
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それよりも、もっと驚いたのは、アメリカでは2002年メリーランド州クロフトンでこの魚が発見されて大騒ぎになっていたことである。マスコミも取り上げたこの騒ぎは、“スネークヘッドの恐怖”と“フランケンフィッシュ”という映画がつくられるほどになった。
日本でいわゆる外来種新法が2004年6月に公布される前にアメリカでは2002年レイシー法によりカムルチーの輸入や州間移動が禁止され、2005年現在少なくとも22の州でカムルチーの所持が違法とされている。これはマサチュセッツ州自然保護・リクリエーション局への答申「マサチュセッツにおけるChanna argusへの緊急の対応」(2005年6月、12ページ)からの引用である。
先に紹介した『琵琶湖』の3章の冒頭、編者の一人西野は1960年から1980年にかけて起った富栄養化現象は殆ど終息し、1990~2010年には水質が回復し、現在問題なのは地球温暖化の影響だとしている。いまこのようなセリフを聞くと“温暖化防止のために原発を”というセリフを思い出してしまう。
この本で琵琶湖の放射能汚染に触れていない代わりにという訳ではないが滋賀県の嘉田知事が関西の水ガメである琵琶湖の放射能汚染が心配と福井県の原発再稼動に対して京都府知事と共に懸念を表明している。滋賀県の国松前知事はブラックバスのリリース禁止等についていろいろパフォーマンスをやったが、嘉田知事のブラックバスについて何もしないでの今回の行動は県民の為に当然の事といえる。川那部館長をはじめ、『琵琶湖』の執筆者の多くが所属する滋賀県立琵琶湖博物館に研究員として嘉田知事は以前所属していたこともある、だからどうということもないのだが。
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それはそれとして、開発がらみでの琵琶湖と人の相互作用ということになるとどうしても川那部館長にひとこと言っておきたくなる。これは本誌第55号(2001年11月)の本欄「ブラックバス→琵琶湖→義憤むらむら」(拙著『魔魚狩り』所収)の続きということになる。ここでは、研究者としての川那部氏の大規模開発事業へのかかわり方を見てみる。
松江市内の運河やお堀にはブラックバスがたくさんいるのに、宍道湖の沿岸では釣りになるほどにはその姿を見ることが出来ない。これは宍道湖・中海をしめ切り淡水化し埋立をする昭和の国づくりともいわれた大規模開発事業が、沿岸漁民や市民の根強い反対により中断したことの結果だと筆者は考えている。予定通り淡水化と埋立が完了していれば、霞ヶ浦のようにバスポンドとなっていただろう。現在は中海でシーバスがよく釣れる。また埋立と水位調節が進行すれば琵琶湖の南湖のように宍道湖がなっていたかもしれない。
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なにか大きな問題に取り組んだ場合、らせん階段を昇るように、行きつ戻りつするように思えるが、確実に望ましい方向に少しずつではあるが進んでいる。
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この埋立て淡水化事業への反対運動の中から生みだされたのが拙著『反生態学―魚と水と人を見つめて』である。このチェルノブイリ原発事故(1986年4月)の3ヵ月後に発行の自然選書(どうぶつ社)では、研究者として大規模開発事業や原子力発電所建設にどうかかわるかがまじめに(筆者も若かったので)取り組まれている。そしてその半分ほどが川那部浩哉批判に費やされているといってもよい。
それは1980年代中頃宍道湖中海淡水干拓事業をどうするかで、美保湾と中海を締め切っている中浦水門をどうするかの問題に世論が沸き立っておりそのことを検討する農水省の検討委員会の一委員としての川那部氏の言うことややることが一般の人にはわかりにくく混乱を起していた。そこで水生生物の生態との関係でどう考えるべきかを整理し川那部氏を批判した書でもある。その後10数年を経て、この淡水干拓計画は中止となり、中浦水門も全面撤去され50年前の川と湖と海の関係が回復しつつある。
『反生態学』の二つのテーマ、1)大規模開発事業と研究者のかかわりについては宍道湖中海問題ではどうにかケリをつけたが、もう一つの2)原発建設問題については行き着く先が福島第一原発事故ということになってしまった。これについては、放射能汚染という事実の前にどう対応するか考え、人々に伝えることしか出来なかった。
今年になって『反生態学』以後のヨーロッパの研究者の放射能への取り組みに接しながら、東日本での淡水魚の放射能汚染をどう考えるかについてまとめたのが『淡水魚の放射能』といえる。
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まさに筆者が長年言い続けてきた“人と魚と水の関係学”を具体的な社会の動きに対応して、発信したのが『反生態学』、『魔魚狩り』、そして『淡水魚の放射能』ということかもしれない。少数者であり、異端である批判者として事実にもとづき発信してきた。
このようなふるまいは、若い人ばかりでなく多くの大人が選ばないことである。しかし、何やってもぼちぼち、大して変わりはないし、よほどの無茶をしない限りどうにかなるのであれば、思うままに発言行動し楽しくやってゆくしかないだろう。その結果、10数年前東京水産大学の学生新聞が宍道湖中海問題で特集を組んだ時によせた発言のような境地になる。
〈なにか大きな問題に取り組んだ場合、らせん階段を昇るように、行きつ戻りつするように思えるが、確実に望ましい方向に少しずつではあるが進んでいる。〉
確かあのチョムスキーも似たようなことを言っていた。