釣りが不首尾だと、家族への不機嫌を隠しきれない。
近所の子どもも、いまの俺に「釣れた?」とか聞くんじゃねえよ。ったくよう。俺の周りだけヤマメいなかったんだっつうの。るせえよ。寒かったんだよ。虫だっていねえよ。
釣れなくて帰ってきて家族に八つ当たりするのは、いかれた釣り師として正しい有り様だが、正直申し上げて一抹の良心の呵責を感じないでもない。
家族よすまん。
「〈作〉が書けん。お前のせいだ。」と酒を呑んでおせいさんをぶん殴っていた葛西善蔵さんと、精神の根本構造は同じだ。最低のくずである。
釣れていればなんの問題もなかった。
あのライズをとれていれば世界は平和だった。
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買うだけ買って放り出してあったバカ高い洋書を、今になって読む必要に迫られて家探ししたが、見つからない。また買うパターンかよ、魚釣れないとまじでロクなことないな。ふざけんなコノヤロー。とキレかけたが、本出てきた。よかったです。
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働かないで酒ばかり呑んでいる葛西善蔵さんは、〈月に35円もあれば家族五人が飢えずに暮らせる。それくらいどこかから出てきてもいいのに〉、と書いた。35円は今の30〜35万円くらい。わたしも働かないで毎日釣りしたい。月に20円でいいです。