ピンポン鳴ったので「はーい」って玄関に出たら、とび靴履いた職人さんが立っていた。にこやかに「屋根の板金が浮いてるから、よかったら無料で直しますよ。お父さんいます?」。
職人さん、おれがお父さんです。
以前、同じ状況で「はーい」って出たら、お墓の営業のおじさんが立っていて、「お父さんいますか」と言われた。面白かったので『葛西善蔵と釣りがしたい』に書いた。
あれから8年間、たくさんの水が橋の下を流れた。さすがにそれなりに歳くったとは思うのだが。
今日はド派手な筆書き文字の、自分でもなんで買ったのかよく分からないデザインの、阿仁マタギの道の駅で買った「マタギの里」Tシャツ着てたからだろうか。
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「阿武隈川水系の漁業は、東日本大震災や東京電力原発事故後、放射線量の上昇により8年間にわたり休止されている」
「川魚の食文化は、当時の地域住民に根付き、原発事故まで続いていた。」
「国や県に解禁に向けての判断を仰いでいる」阿武隈川漁協須賀川支部
あぶくま時報にでた記事。
阿武隈川沿いの人々は、往古から釣りや網漁で川の恵みを受け、日々の喜びも楽しみも川とともに暮らしてきた。何も悪いことをしていないのに、2011年3月の原発事故でとつぜん生活の基盤を根底から奪われた。その理不尽は銭カネで補償されるものではない。
原発事故後に休止したままの福島県内水面漁業の現状を、漁協と水産行政、釣り人に取材して『フライの雑誌』第115号にまとめた。全文公開中です。日本釣り場論78「ゼロからわかる 漁協ってなんだろう」編集部まとめ