フライの雑誌-第112号(2017年7月31日発行 品切)から、[TOPICS]を公開します。副題は「前号から今号までの間に起きた、釣り人に関係あるかもしれないトピックス」、編集部まとめです。3項目あります。
...
TOPICS|編集部まとめ
(フライの雑誌-第112号掲載 2017年7月31日発行)
前号から今号までの間に起きた、釣り人に関係あるかもしれないトピックス
2
・
○ロハスの「ソトコト」編集長が東電の広告に出ているのを見つけた
株式会社東京電力は2011年に原子力発電所の大事故を起こして何十万人もの人々の家を奪い、賠償を嫌がり、収拾できる見込みもない。その東電の最新ウェブ広告に、雑誌『ソトコト』編集長が〈識者〉として登場しているのを見つけた。
東電 「Eco&Cocology」のコンセプトについて、地域創生の視点からどのような印象を抱かれましたか?
指出編集長 地域とエネルギーを「自分ごと」として考えられる、とてもいいコンセプトだと感じました。僕はフライフィッシングでのイワナ釣りが大好きで、よく東北の川に通っています。
編集長氏も商売だろうから好きにすればいいけど、フライフィッシングを持ち出して東電を推すなら、ヒトコト言いたくなる。「僕はフライフィッシングでのイワナ釣りが大好きで、よく東北の川に通っています。」であれば、東電の原発事故で東北の山と川がどれだけ汚染されたか、知らないはずはなかろう。放射能汚染のために魚釣りができない川ができた。
指出編集長 僕自身、川の源流に行って気付くことがたくさんあります。ブナの森や里山は、植物や昆虫、ほ乳類だけでなく、鳥類や魚たち、そしてそこに暮らす人々が互いに関わり合うことで保たれている持続可能な環境です。
「植物や昆虫、ほ乳類だけでなく、鳥類や魚たち、そしてそこに暮らす人々のつながり」を決定的に分断したのが原発事故だ。ソトコトさんは3・11よりも前から東電にくっつき大量の広告を受けてきた。原発事故を起こしたぐらいじゃ逃げない姿勢は一貫している。原発事故は環境テロそのものだ。ロハスってなんだ?
本件を小社ウェブサイトで紹介したところ、小社フェイスブックを通じて、東電とソトコトへ大変多くの批判が集まった。それに対して、編集長氏が自身のFBで以下のように釈明している。
【ぼくの社会観】 東京電力が水力発電100パーセントの地域との協働型のサービスを始める際に、ぼくは指名をいただき、インタビューを受けた。…敬愛する『フライの雑誌社』さんのように、同じ釣り人としての、ぼくのコメントや存在を軽々しいと残念だったり、疎ましかったり、怒りと感じている方々も少なくないのだろう(たくさんの想いをありがとうございました。勉強になりました)。ぼくはつねに、物知りの評論家や軽やかな外野の批評家ではいたくなくて、現実主義者として、少しでも社会が前に進むのであれば、小さなコミュニティや大きな組織、若い世代、先輩世代の垣根を越えて、めいっぱいプレイヤーになっていようと思うのだ。
現実主義者が現実を理解した上で、
めいっぱい東電に協力しているということだろう。
敬愛する『フライの雑誌社』さん
ごめん、うちの名前を出さないでほしいです。
たいへん気分が悪いです。
巧言令色鮮し仁という言葉を思いだしました。
太鼓持ちは太鼓を叩くのが仕事だ。それにしてもひどい。風上にもおけない、という表現は、そいつを風上に置くと臭くてたまらない、という意味だという。せめてフライフィッシングを持ち出さなければスルーしたのに。
地球にいちばんやさしくないのが原発である。持続可能な社会を語るのなら、東電はまず自分が引き起こした原発事故の後始末に全力を傾けるべきだ。そして今後は、原子力事業から一切の手を引くべきだ。しかし東電にそれはできない。
ぼくはつねに、白い手のマーケッターや口数の多いねずみ男ではいたくなくて、現実主義者として、東電とその取り巻きはやばいぜと、小さなコミュニティや大きな組織、若い世代、先輩世代の垣根を越えて、めいっぱい発言していたいと思うのだ。
(文責 編集部:堀内)
「ムーン・ベアも月を見ている クマを知る、クマから学ぶ 現代クマ学最前線」