単行本『桜鱒の棲む川 ─サクラマスよ、故郷の川をのぼれ!』は、2010年の発行当時、水産研究職についている人々から一様に無視された。(ていねいな私信を送ってきてくださった旧知のベテラン研究者はいらっしゃった)。
編集部は、本文から抜粋した内容をもとに以下の文言をキャッチコピーとして打ち出した。
●ダムをやめ、川を川として活かす。乱獲はしない。何もしなければサクラマスは増える。
●サクラマスの生活史は人工ふ化放流に向いていないのに、サケに見習えとばかりにとばっちりを受けた。
●作りたい側はみんな最後に「穴あきダムにします」と言う。しかし実際は穴あきダムは屁にもならないものだ。
つまり、日本の水産行政が(河川開発の傍観と引き換えに)、長年続けてきたサクラマス人工増殖事業の失敗を数値を持って初めて指摘し、かつサクラマスの生活史を破壊するダム開発への反対を明確に謳いあげたのが、本書『桜鱒の棲む川』の立ち位置だった。と、編集部は考えている。
なるほど、現行の水産行政から禄を得ている研究者の立場では、上記のような行政批判そのものの言説へ、たとえ内心で賛同したとしても、それを大っぴらでは口にできないバイアスがかかったのだろうと、今の編集部はある程度なっとくできる。(当時は言いたいこと言えないで何が研究者なの!?と憤っていたけれど)
残念ながら、山形県小国川ダムも、北海道サンル川ダムも、水産研究界隈からのつよい進言で、今までひとつのダムも止まったことがない。超記録!みたいなバカ長い魚道はできた。アレに賛同した水産研究者は名乗りでなさい。
ただしかし、『桜鱒の棲む川』で指摘した〈サクラマスの生活史は人工ふ化放流に向いていない〉という研究者なら当時とっくに気がついていたはずの不都合な事実については、水産行政予算の規模縮小を背景に、このまま黙っていても自分たちの先行きにいいことはない、と業界関係者もそろそろ腹を括らざるをえないのかな、という時代の変化が、今回公開された論文を読んで感じたことだ。引用文献が多いこの総説で独自の事実提示には気づかなかった。
> 沿岸漁業および内水面の遊漁における重要種Oncorhynchus masou masou(サクラマス・ヤマメ)の包括的な資源管理に向けた提言
そしてどうでもいいけど、今なお『桜鱒の棲む川』がサクラマス研究者の係累から無視され続けなければいけない業界の情況は変わらないらしい。参考文献を何回も舐めるようにチェックしたのは我ながらせつない。ないんだ、へえ、ないんだ。って思った。ほんとに読んでないのかな。それはそれですごい。サクラマスの文言がタイトルに入った既存の文献は片手で足りる。アンタッチャブル、触らないほうがいいものという判断だろう。わたしもセロリは極力避ける。
不都合な真実を最初に指摘するのには自信と勇気と覚悟がいる。あっち見てこっち見て、えらい人たちの顔色を伺ってそろりそろりと発言した方が、結果的に自分たちのおトクになることは多いものだ。また余計なことを言ってしまった。残念だ。
いずれにせよ、本当にサクラマスとヤマメを日本の川に残したい、増やしたいなら、ダムを作るな、こわせ、止めろ! に行き着くのは間違いない。あとは、専門家の職責に基づきそれをどう言うか、あるいは言わないかだと思う。
ちなみに自分は若い頃は「皆んな知らんふりしてんじゃないよ、一緒に闘おうぜ!」って思ったけど、今は全然思わない。行きたくない呑み会には行かないそれぞれの自由が、一番大事だと思ってる。
呼ばれてないのにあえて出かけて行って粗相かます選択はありだ。筋さえ通っていれば効く。そして自分の恥ずかしい過去と健さん映画の視聴経験から知ったことは、行くべき時に行けないやつはヘタレの烙印を一生背負う。それだけだ。