『フライの雑誌』第110号のフライベスト特集(2016年12月5日発行)から、〈フライベストの発祥について考える〉を公開します。
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フライベストの発祥について考える
堀内正徳(本誌編集部)
1981年夏、秋田県の三平三平くん(11歳)のもとに一着のフライベストが届いた。
アメリカでバス釣りのトーナメントに参加している鮎川魚紳さんからの海を越えたプレゼントだ。さっそく着用した三平くんは、「どうでえこのフライベストは…! これも魚紳さんのアメリカみやげさ!」と近所のユリッペ(13歳)に自慢した。(「ニンフの誘惑」第51巻)
同年の6月に『ビーパル』が創刊された。『アングリング』創刊は1983年だ。フライフィッシングはまだメジャーなスポーツではなかった。
当時フライフィッシングを始めたい子どもにとって、フライロッドとフライリール、フライラインが三種の神器で、フライベストはフライマンになるための、プラスワンの必需品であった。
ではそのフライベストを考案したのは誰か。
フライベストの発祥で思い出すのは、コロンビア社の広告だ。鼻眼鏡をした白髪のおばさんが「全部作ってます」というようなコピーのついたコロンビアの広告が日本国内でひところよく露出していた。あのために一定世代の人は「フライベストを考案したのはコロンビア社のおばさん」と刷り込まれているはずだ。
現在も、コロンビアスポーツジャパンのウェブサイトには「今では世界中で当たり前のように愛用されているマルチポケットフィッシングベスト。さまざまなツールが収納できるあの便利なベストを世に送り出したのは他でもない彼女なのです。」と記されている。時代は1960年代初頭と思われる。
しかし、米国本家のコロンビア社のウェブサイトには、メーカーとしての金字塔であるはずのフィッシングベストの初考案に関する記述がない。
1931年発行の雑誌「フィールド&ストリーム」5月号の表紙には、ベストを着ているらしいフライフィッシャーの姿が鮮やかに描かれている。
本号22頁からの記事に協力してくださった鈴木文夫さんに聞いた。
「これはフィッシングジャケットの袖をカットしたスリーブレスジャケットでしょう。当時はジャケットの下に着るジレベストが一般的です。窮屈ですので1サイズ大きなフィッシングジャケットの袖を切ってベストとして着用したのかもしれません。」
アメリカでは、フライベストの考案者はあのリー・ウルフ氏であると一般的に知られている。複数の文献に記述がある。(いずれも編集部訳)
70年ほど前、リー・ウルフがデニムのベストの上にブルー・ジーンズでいくつかのポケットを縫いつけるという素晴らしいアイデアを思いつくまでは、世の中にフィッシングベストはなかった。(『Fishing For Dummies』 Peter Kaminsky)
両サイドにフライボックス用の大ポケットがあり、それぞれの上に小ポケットがある。さらに両サイドに外部ポケットがあった。背中には雨具や予備のリールを入れるための大きなポケットがあった。(『Steelhead Fly Fishing』 Trey Combs)
「The American Fly Fisher」(2008)は、
リー・ウルフが最初のフィッシングベストをデザインして自作したのは1932年。多くのポケットに様々な道具を入れることができ、釣りの便利度を向上させてくれる革命的なアイデアだった。リーはポケットをフルに活用した。バックポケットにはナイロンロープ、ナイフ、コンパスを常備していた。前面のポケットはティペットとフライボックス、ラインドレッシング類でいっぱいだった。
と紹介している。
同博物館には、リー氏のファースト・モデルを復刻したフライベスト(本号27頁中段参照)が飾られている。当初のデニム生地は改良されてコットンになったようだ。
前出の鈴木さんは、1960年代以降フライベストを一般的に広めたコロンビア社の功績を讃えている。
いずれにしても、モダンなフライフィッシングギアの象徴であるフライベストが米国内で誕生・発展したのは明らかで、フライフィッシング発祥の地の英国とは無関係なのは面白い。
そういえば魚紳さんも常日ごろからベストを愛用していた。肩あてのついたぴっちり目のデザインだ。胸にフライパッチがないしポケットが少ないのでフライベストではなく、ただのベストのようだ。
一昔前に町でおじいさんがよく着て歩いていたカメラマン風のベストに似ている。魚紳さんが着れば何でも似合うし、カッコいい。ただよく知られているように、魚紳さんのベストには背中に大きく〈祈願 日本一周釣行脚〉と筆文字の刺しゅうが入っている。
魚紳さんはカッコいいが、あの刺しゅうまで真似するのは勇気がいる。
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フライベストについてくわしく知りたい方は、『フライの雑誌』第110号のフライベスト特集をどうぞ。
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