『フライの雑誌』第36号(1996年12月20日発行)掲載、「シマザキ・ワールド3 インタビュー[水生昆虫アルバム]はなぜ発行が遅れているのか」を公開します。
このかなり妙なタイトルの特集記事が誌面へ載るまでの経緯を以下解説します。
(編集部・堀内)
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古今東西、作家は原稿が遅れる。そして自分の原稿が遅れた言い訳を弄する。ありとあらゆる手練手管を駆使する。プロフェッショナルとしての矜持を見せる。編集者は、言い訳してる間にあんた、他にすることあるでしょうに、と腹のなかで思う。
言い訳の方法論は様々だ。一滴の水をも漏らさぬ完璧な論理(言い訳の時点で論理的であるはずがない)であったり、お涙頂戴であったり(泣きたいのは君だけじゃない)、逆に憮然として開き直ったり(盗人猛猛しいとはこのこと)。
そこはそれ、おそらく言い訳しているうちに作家本人も楽しくなっちゃうのだろう、腕利きの作家の言い訳はたいへん面白い。言い訳だけを集めた本がベストセラーになっちゃうほどだ。
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『フライの雑誌』の創刊号に、島崎憲司郎「水生昆虫アルバム」の第一回「エルモンヒラタカゲロウ」が掲載されたのは、1987年のことだ。連載が始まる前から、著者の島崎憲司郎さんのきわめて特異なオリジナリティは、各方面を横断してたいへんな注目を浴びていた。この目玉連載をいずれまとめて単行本にしたいと当初から編集人は考えていた。
1993年の第23号でいったん連載はとまった。第24号の編集後記には「島崎さんのご都合で今号はお休みです。」とある。しかし印刷工程の関係で止められなかったのだろう。表紙には「水生昆虫アルバム」の文字が入ったままだ。
表紙に書いてあるのに、記事はない。雑誌出版の世界ではふつうはこういうことは許されないのだが、『フライの雑誌』はふつうではない。読者もそれを理解しているので、詐欺だなんだという大問題にはならなかった(たぶん)。編集部のドタバタの裏側にはふかい事情があったことが明かされるまでには、まだもう少し時間がかかる。
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当時は日本のフライフィッシングが人類史上初めての大ブームとなる寸前で、マグマが噴出するパワーがたまりまくっていた。1994年発行の第27号に「シマザキ・ワールド」(シリーズ第一回)が出た。巻頭11ページのぶち抜き、文字数は1万字を超えた。
逆ループキャスト、スキャントバットリーダー、ダイレクトラインといったシマザキ・オリジナルのアイデアが惜しみなく、リズミカルな速射砲のように繰り出されていた本文を、印象的に覚えている方は多いだろう。
その中で、島崎憲司郎さん本人がこう言っている。
「エッ、ああ、今までの連載分をまとめる約束ね、それはやるよやるよやりますよ。ちょっと遅れてるだけだよ。色々忙しくてねェ。」
「やるよやるよやりますよ。」っていうのがなんとも。
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次の第28号にはシマザキ・逆ループキャストの解説記事が載った。島崎憲司郎さんが逆ループを操っている連続写真を、この雑誌にはめずらしくイラスト付きでていねいに解説した6ページ。編集部の気合がうかがえる。とはいえこの記事だけで逆ループキャストを理解して、実践できたフライキャスターがどれだけいただろう。
当時、読者としての自分(堀内)は、前号でチラ見させされた「連載分をまとめる約束」がどうなっているか、知りたくてたまらなかった。ところが、この号の編集後記では何も触れられていない。書かれていたのは「団地の敷地を横切って去ったヘビ」の話だった。ヘビで鼻をくくられた気分だった。
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そのまま第29号、第30号、第31号と、読者へはなんの案内もない放置プレイがつづいた。いま思えば、このころ一見おだやかなサーフェイスフィルムの下では、編集部と島崎憲司郎さんの連日天地をひっくり返すかのような、血で血を洗う熾烈な真剣勝負のたたかいが繰り広げられていたのだ。それは見えなかった。あるいは見せなかった。
第32号(1995年12月発行)に、「シマザキ・ワールド2」が載った。最高に面白い特集記事だ。けれども第33号ともに「連載をまとめる話」の件については、まだ放置が続く。
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はじめて単行本『水生昆虫アルバム』の広告が載ったのは、1996年6月20日発行、第34号の表4だ。
同時に読者カードでの予約も始まった。「今秋発売予定、予定価格12,000円」。焦れに焦れた読者からの予約ハガキが編集部へ殺到した。翌9月20日発行の第35号にはついに「11月発売・予約受付中」の文字が。
いよいよ!
色めき立ったが、出なかった。
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そして、えーと、第36号(1996年12月20日発行)の巻頭で、大特集「シマザキ・ワールド3 インタビュー[水生昆虫アルバム]はなぜ発行が遅れているのか」が組まれた。ふつう、原稿が遅れた言い訳を、カラー8ページもの巻頭特集にする雑誌編集部はありえないが、最初に説明したように『フライの雑誌』はふつうではない。
島崎憲司郎さんの、
◆まずこの通り深々と頭を下げてお詫びしておきます。早くから予約してくださった方々には本当に申し訳ないことです。では以下に、泥棒にも三分の利の伝で、言い訳めいたことを述べさせていただきます。
◆いえね、編集部で作ったチラシの内容程度のものならとっくに出来ていたんですよ。ところが途中でちょっとした面白いことを考えつきましてね、普通の版元なら「冗談じゃないよ島崎さん。そんなのいいから始めのでやってヨ」か何かでバーンとハネられてしまうところですが、そこがフライの雑誌の偉いところでしてね。「あ、それ面白いじゃないスか」っていう 、、、(P.10)
で始まる、『水生昆虫アルバム』の発行が遅れている言い訳めいたことは、それ自体がとんでもなく面白い作品だった。こりゃいいやと読み進めるうち、まだ見ぬ『水生昆虫アルバム』への読者の期待はパンッパンにふくらむ。第36号の巻末広告には「1997年2月末発売予定」の文字が躍っていた。ご予約がさらに大爆発した。
ある意味で、編集人の狙い通りだったろう。ここまでは。
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で、発売予定の1997年の2月末は、なぜか、さーっと通り過ぎた。同年3月20日発行の第37号の巻末広告では「1997年4月下旬発売予定・さらに遅れています!」と、強い調子で宣言している。居直ったのかな。
4月下旬をとうにすぎた、同年7月15日発行の第38号の編集後記はこうだ。
先号の後記に、「まず、お詫びです。先号で2月末日発行予定とお知らせしました『水生昆虫アルバム』ですが、さらに2ヶ月遅れの4月末発刊予定とさせていただきました。申し訳ありません。とはいえ、2月下旬、島崎氏より残り最後の原稿が間違いなく届いていおります。バトンは編集部へ手渡されたというわけです」と書きました。が、『水生昆虫アルバム』発刊はさらにそれから2か月も遅れてしまいました。言い訳しようもありません。(中沢)
こんなにわけのわからない編集後記はない。もうここまでくると、言い訳しようもないと書いている本人も、キリでぶっ刺すような胃袋の痛みもすっかり麻痺しきって、カサカサにかわいた唇をお水で湿らせてくれますか、という感じ。
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そこからまた二か月プラス、さらにおまけで一か月がたった1997年5月15日、単行本『水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』(写真・文・イラストレーション 島崎憲司郎)は、世の中に出た。出たと同時にあっというまに完売。増刷三回、すべて完売。2005年の新装版発行に至る。
この間の経緯は、島崎憲司郎さん本人が〈『新装版 水生昆虫アルバム』に寄せて〉に当事者の生々しい声を寄せてくれているので、ぜひ読んでいただきたい。こんな前フリよりも断然面白いから。
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『水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』は、とにもかくにも、こういう流れで誕生した。世間様からの評価は、初版発行から23年がたった現在も、この本は自然科学の古典として、釣り人はもちろん、釣りをしない人からも愛され、読みつがれています、とお伝えすることで代えたい。おかげさまで新しい読者も増え続けている。
さいごは、「言い訳めいたこと」の、末尾のパラグラフを書き写します。こんなこと言われたら、今までの遅れに遅れたこととか、もうほんとにどうでもいいですから、と心の底からニッコリするに決まっている。
とにかく、ダテに遅れているんじゃないです。何しろ家業をブッ潰してまでフライにのめり込んでいる47歳の男が、自分で見ても本音で納得できる本物のフライフィッシングの本を何が何でも作りたいという良心(?)でやっているワケですから…。とは言ってもネ、所詮はフライフィッシャーマンがやることですよ。写真も絵も決してパーフェクトではありません。そのくぁり、どのページもザーッていう川の音がしますよ。(P.15)
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お待たせしました。『フライの雑誌』第36号(1996年12月20日発行)掲載、「シマザキ・ワールド3 インタビュー[水生昆虫アルバム]はなぜ発行が遅れているのか」をどうぞ。
フライタイヤー、島崎憲司郎さんの畢竟の大作〈SHIMAZAKI FLIES シマザキフライズ〉プロジェクトは、現在進行中です。
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フライの雑誌社では、ここに来て日々の出荷数が増えています。「フライの雑誌」のバックナンバーが号数指名で売れるのはうれしいです。時間が経っても古びる内容じゃないと認めていただいた気がします。そしてもちろん単行本も。
島崎憲司郎さんの『水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』は各所で絶賛されてきた超ロングセラーの古典です。このところ突出して出荷数が伸びています。