【公開記事】釣り場時評92 〈何が起きるか分からない時代へ〉 水口憲哉(フライの雑誌-第119号)

釣り場時評92

何が起きるか分からない時代へ
ダム建設と原発反対、昨秋の台風被害に考える

水口憲哉
(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)

フライの雑誌-第119号(2020年2月発行)掲載

石木ダム建設計画で水没地となる土地や家屋の行政代執行による強制収用が可能になる一一月一九日、川原の郷では事もなく過ぎ、これまでの五八年、いやそれ以前と同じように年を越した。

石木川を守る人々の思いは、土地の権利を守るということから人権を維持するというより厳しく突き抜けた闘いになった。確かに人権を強制収用することはまず、身柄を拘束しなければできない。いくらなんでも現在の日本においてそれは無理というものである。

石木ダム問題では地権者である川原の人々が世論の支持を得ながら、昭和→平成→令和と必死な闘いを続けしのいで来た。その点では四〇年近く原発建設に反対し続けている祝島島民は漁業権を死守しているという点において同様である。

ここまでくると理屈や建前ではない。何が何でも土地を守り海を守るという常識を超えた執念による、そこで暮らし続けたいという時間との闘いでもある。

相手である会社・企業や役所・県庁の人間は、次々にポストを替わってゆく。四〇年ということになれば、一〇回ということもあり得る。よくわかっていない、深く考えることもしない人々がである。

川の水の利用について、川辺川では漁民と農民が
個別の闘いを組み、敵である国家に打ち勝った。

石木ダム問題は第一一四号の本欄でもこれまでの経過を辺野古の埋立て問題との関連で述べているのでこれ以上言及せず、ここでは祝島の人々の取組みについて考えてみたい。

祝島漁協は組合の総会を開いての漁業権放棄の決議も行なっていないし、組合員が放棄に同意することに対してなされる漁業補償も拒否して受領していない。

漁場管理委員会という組合員のあずかり知らぬ有名無実の場でのデッチアゲ漁業権放棄である。そのことによって組合管理の共同漁業権が消滅したとする全国的にみても最初で最後の例である。

そして裁判で、組合員個々人の自由漁業と県知事許可漁業の漁業権が存続することは認められた。それゆえ、組合員は、実存する共同漁業権と自由漁業権等を根拠として埋立て等を阻止する海上での抗議行動を行なっている。それゆえ、警察もそれを違法行為として拘束することはできない。

漁民と共にカヌーで抗議行動をする人々にも中国電力は言いがかりとしてのスラップ訴訟で対応することしかできない。

カヌーでの航行は自由であるから、カヌーイストは、辺野古でも、祝島でも、そして長良川でも自由漁業の漁民と共に抗議行動を行なっている。果敢で粘り強い水上での抗議行動をである。残念ながら自由漁業権を行使するものとしての釣り人(遊漁者)の姿は見られない。

石木ダム問題では、早期に川棚川漁協より石木川におけるダム建設の同意を取り付けているので川原地区の地権者からの強制収用ということになったが、球磨川の川辺川ダム問題では逆に水没する五木村の人々は高台の代替地に移住しているので、漁業権の強制収用ということになった。

そこで二〇〇二年二月から熊本県収用委員会審理が開催された。そこで筆者はダム建設に反対する漁民の代理人である弁護士からの要請により、多数の意見書を提出し審理に参加した。国側の提示する漁業補償が実態にそぐわずあまりにも低額であることを具体的資料で明らかにしたところ、漁業補償交渉に応じていた組合長達がそれを理由に審理から下りてしまい収用委員会は中断してしまった。

一方、並行して福岡高裁で審理中の川辺川利水訴訟において二〇〇三年五月に原告農家側の勝訴判決が出た。その結果史上初の漁業権の収用申請を国土交通省は取り下げざるを得なくなった。

川の水の利用について、漁民と農民が個別の闘いを組んで結果として敵である国家に打ち勝ったのである。

もっと早く組合長と話し合っていればと悔やまれる。

山形県の小国川ダム問題では、地権者に相当するものが存在せず、漁業権だけが矢面に立たざるを得なくなった。事業者である山形県は小国川漁協に強制収用でおどかしをかけていたが、川辺川ダム問題で国の強制収用策がうまくゆかなかったことから学んだのか、水産振興策を提示しながら、からめ手で漁協を切り崩していった。

この間の経過について、まさのあつこはウェブ論座(二〇一四年八月一八日)で〝最上小国川で問われる水産庁の役割〟を検討しているがこれは見当違いもいいところである。というのは熊本一規明治学院大教授の見解「漁業補償を受ける場合は組合員全員の同意が必要である」が浜本幸生さん以来水産庁の伝統的な法解釈として伝わっているのに、それが無視されたというのがその理由だからである。しかし、ここには小国川ダム建設にともなう漁業権放棄に関して二つの実態にそぐわない見方がある。

一つは組合員全員の同意という点について。これは本誌第一〇三号六五ページの図〈漁民の権利と埋立との関係〉が参考になる。「海の『守り人』論」中で浜本さんとの対談中に筆者が用いたもので、漁業権放棄には漁協の総会で三分の二以上の賛成が必要であり埋立ての同意とそれにともなう補償金の支払いも漁民集会の三分の二の同意が必要となっている。これが行政手続きや裁判における漁業権と補償金支払いの実態に即した整理といえる。

理念として全員の同意が必要というのは村落共同体における考え方としては理解できるが変化した現実では通用しない。

二つ目には、漁業補償が組合員個々人に支払われた訳ではなく、県は組合のアユ人工ふ化施設等への補助金という形で提示している。実はこの後者の県の動きに内水面漁業における水産行政の大きな矛盾というか闇を巧みに悪用しているフシがある。

戦後ダムや河口堰の建設を是認して、アユの自然そ上が無理となったからアユを増殖せよ、そうしたら漁業権も認めるし、遊漁料を徴収してもよい。増殖とは人工ふ化放流であるという水産庁の姿勢。

小国川のようにそれなりに自然そ上もあって天然アユが充分いても、人工アユを放流しなければ遊漁料はとれない、そのためには人工ふ化施設の維持、補強をしなければならない、それには費用がかかる。そのことに気がついて、もっと早く組合長と話し合っていればと悔やまれる。そして現在作られている小国川ダムは流水型(穴アキ)ダムである。

浅川ダムを建設したことにより、浸水被害が広がった。
起こるべくして起きた災害であり、不作為の罪である。
知事をはじめとする長野県当局の責任は重大である。

昨秋は三つの台風への対応に追われながら自然災害への立ち向かい方を考えさせられた。

まず台風一五号は東京湾を北上し千葉市に上陸した。その際、内房から南房総にかけて多くの災害をもたらした。一九号は伊豆半島に上陸し長野県等で降雨の影響が大きかった。そして二一号は外房沖を通過したが二階のガラス戸をコンパネを打ちつけて守る等おおわらわであった。

家の前で畑をやっている古老が、〝千葉は台風の影響少ないから家の備えが不十分〟と言っていたのが印象深い。そんな中で、一一月一〇日の毎日新聞のコラム「時代の風」での藻谷浩介の卓見には納得してしまった。藻谷さんは国勢調査の人口動態を経済地理的に分析するなど具体的な資料でものを言う全体がよく見えている人として前から注目しており、本も五、六冊買い求めている。

少し長いが引用する。

積年の誤ったやり方が問題を生み、それに対し役人が小手先の「対策」を推奨するという構造は、豪雨による浸水被害でも同じだ。支流が本流に合流する地点でバックウォーター現象が頻発しているのは、遊水地機能を果たしてきた大河川沿いの湿田地帯を半世紀以上も乱開発してしまった結果、本流の水位がすぐに上がるからだ。加えて、バブル崩壊以降放置されてきた人工林が、荒廃して保水力を失っていることも大きい。
「台風19号来襲の際、利根川沿いで浸水が起きなかったのは、群馬県の八ッ場ダムのおかげだ」と宣伝する向きがある。確かに、完成直後で空に近い状態だったため、一気に8000万立方メートル近い水をためることができた。だが、栃木・群馬などの県境における渡良瀬遊水地など四つの調整池が、計2億5000万立方メートルと八ッ場ダムの水を引き受けたことこそ、ほとんど浸水被害の出なかった圧倒的に大きな理由である。
対照的なのが多摩川で、かつては遊水地機能を持っていたが開発されてしまった低地のあちこちで、浸水が発生した。上流には八ッ場ダムの2倍の貯水量を持つ小河内ダムもあるのだが、そもそも一度出来上がったダムの洪水防止機能は限られている。小河内ダムの場合、台風来襲前の貯水率は88%、通過後は93%で、新たにためられたのは900万トンだけだった。「もっと事前に放水しておき、台風来襲時には満水にせよ」と結果論を言われても、いつどこまで雨が降るかわからない中での加減の判断は難しい。八ッ場ダムの運用も、今後は同じことになる。
お金をかけるべきはダムの新設ではなく、上流での山林の手入れと中・下流での遊水地機能の整備回復だ。前者には数十年、後者には100年以上かかるかもしれない。だが今から地ならしを始めなければ、何も進展しない。人口が半減し、ダムの老朽化が各地で問題となるであろう未来に向け、治水哲学の根本を転換させるときである。

台風一九号は、気象庁が「狩野川台風に匹敵する記録的な大雨となる恐れがあります」と警告した。

一九五八年九月に発生したこの台風は川が氾濫するなどして一二〇〇人超の犠牲者が出た。ちょうどその頃沿岸漁業の歴史について沼津を調べているうちに出合ったのが狩野川放水路(一九五一年着工、一九六五年完成)と狩野川台風との関係、そしてダムがなく釣り人に人気の狩野川であった。

多雨地帯天城山系に降った大雨は北西方向に行けば狩野川水系へ、東方向直下に流れれば八幡野メガソーラー建設予定地に影響する。

雨の降り方や流量管理によって一概には言えないが、この内浦湾等へ大雨を流す狩野川放水路によって洪水防止のための下流域の遊水地づくりと同様の役割を果たさせていると考えられる。

昨年一〇月一二日ネット上では、ライブカメラをはじめ狩野川水系各地で洪水を心配する人々の情報発信が大量に行なわれ大混乱を呈した。しかし、ギリギリ、スレスレで大きな災害もなくしのいだようである。

この結果に対して知事をはじめとする長野県当局の責任は重大である

台風一九号の通過により長野市で死者二名を出した浸水について。ダムジャーナリストまさのあつこの三本の報告をもとに検討してみる。

⑴「世界」(二〇一二年二月号)〝長野県の負の遺産、浅川ダム〟八ページの最後の一ページで治水へのマイナス効果をどう見るかにふれている。⑵「週刊金曜日」(二〇一九年一〇月二五日号)、〝役に立たなかった長野県浅川ダム、千曲川決壊と新幹線車両が浸水したわけ〟、⑶「科学」(二〇一九年一二月号)特集河川氾濫への備えを考える。〝千曲川決壊はなぜ起きたのか〟。

概要は次のように整理できる。

活断層により地盤が弱いという理由で一度は「不適断念」した浅川ダムが、長野五輪と長野新幹線のために建設が再開され、二〇一七年二月に運用開始となった。しかし、長くもめ続けてきたこのダムの治水効果については大変なことが言われている。

浅川ダムは貯水した結果誘発される地すべりを避けるためにダム堤体の最下部に穴がある流水型といわれるものである。その結果として洪水時の治水対応について、長野県が二〇一〇年一一月二九日にこのダムの下流の水位低減効果は一センチ程度、浸水時間は浅川ダムがあったほうが一・五時間延びてしまうというシミュレーション結果を論点整理として公表している。

事実、阿部現長野県知事も二〇一一年のまさのあつこの取材に対して「治水に対して効果がないというかマイナスになることもある。私は都合のいいことだけ言って都合の悪いことは言わないなんてことはあり得ない話だと思っているので、事実はありのままに伝えます。」と言っている。

この治水効果マイナスの浅川ダムと千曲川の堤防対策不足があるところに千曲川本流と支流浅川の合流地点でバックウォーター現象が起こり今回の浸水となった。

浸水対策が必要だという理由で浅川ダム建設は長年にわたって検討されてきた。そうだとするなら、この結果に対して知事をはじめとする長野県当局の責任は重大であると言わざるを得ない。森田千葉県知事の訳のわからない愚行とは全く質の異なる犯罪行為といえる。

知ってしまった筆者にも本誌にも
いくばくかのなさねばならぬことが生じてくる。
情報とはそういうものだ。

予想し、予告する段階においてと、予知し得た実際の事故(災害)が起こってからの責任のあり方は大きく異なる。起こるべくして起こった災害の発生原因を考えた場合に、発生原因を放置しておいた責任は厳しく問われるべきである。

それとは別に、知らなかったことによる罪や、知っていたが不作為の罪というものもこの場合は考えなければならない。まさのあつこ氏、「世界」、「科学」、「週刊金曜日」は何を行ない、何を行なわなかったのか。これらジャーナリズムの存在意義が問われている。

それは情報を知り得たものの責任と言ってもよいと思う。わかっていたのならどうにかしてくれればよかったのにという死者の声に答えなければならない。

以上のことを知ってしまった筆者にも本誌にもいくばくかのなさねばならぬことが生じてくる。情報とはそういうものだと考える。それがAIによるものだろうが、紙媒体によるものであろうがそれは変わらない。

アンスロポシーン(人新世)という人為の影響力が大きくなり、自然をコントロールできるのではないかという時代に入ったのではないかと人々が考え始めた。そして、ダムと遊水地でどうにか洪水は防ぐことができるのではないかと考え出した。

気候温暖化が本当の理由であるとは明らかにされている訳ではない、頻繁に起こる集中豪雨によって次々と予期せぬ洪水が起こった。

八ッ場ダム、小国川、狩野川そして浅川ダムのどこにおいても、大量の降雨がどの地域にどのようなタイミングでどのくらいの時間集中するかによって、洪水が起こるかどうかは決まってくる。それらの程度や関係は雨が降ってみなければわからないという、すれすれの危うい状況に私達は置かれている。

何が起こるかわからない、何が起こってもおかしくない時代に突入したということかもしれない。

(了)

台風19号直撃時の多摩川支流。「40年暮らしているけどここまでの増水は初めて。」と地元の住民が教えてくれた。
(2019年10月12日撮影)

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