我々の仲間で〈フライやってる人〉というと、日常生活において頭の片隅(80%くらい)で常にフライフィッシングのことを考え続けている人を指します。
が、世間ではそれは〈どうかしちゃってる人〉であるようです。
第106号(2015)より、樋渡忠一さんのご寄稿を紹介します。掲載当時、大反響を巻き起こした伝説の原稿です。
〝こういう原稿が載るのはさすがフライの雑誌だ。〟と、なぜか編集部まで褒められました。
うれしかったです。
(編集部)
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フライフィッシング党宣言
頭がフライフィッシング!
樋渡忠一(東京都府中市)
※『フライの雑誌』第106号(2015)掲載
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毛鉤はにせもの
NHKに「ためしてガッテン」という番組がある。ある日のテーマが似顔絵であった。ゲストの一人が研ナオコさんだった。似顔絵的なゲストである。研ナオコさんの似顔絵を描いてみることになった。
最初は、研ナオコさんの写真の上にトレーシングペーパーを置き、輪廓と目鼻口をトレースしていき、写したものを見てみると、別に何ともないものができあがる。
今度は顔の輪廓と、目、まゆげ、鼻、口などをパーツごとに切り分けて写したものを別に用意する。目の位置を少し下げ、おでこを広めにし、目と目の間隔を広げて各パーツを置いてみる。するとどうでしょう、「そうそう、研ナオコさんに似てる。」となった。
本物と同じでは本物に見えないのだ。私は、これはフライだと強烈に思った。
物を見るということには、映像として見ることと、頭の中で感じることと両方ある。人はそれぞれ他人の顔を認識するのに自分で標準を持っているらしい。
多くの人が研ナオコさんは、標準よりおでこが広く目の間隔があいていると認識しているため、そのことを強調することで、研ナオコさんになる。全体をまねるのではなく特徴を強調すればよい。デフォルメすることで似顔絵としての存在意味が出てくる。
本物から必要な要素だけ、感じるところだけを残していき、できるだけシンプルにしていくことである。にせものである毛鉤が本物を追いかけても意味がないのだ。にせものの毛鉤として魚に本物と感じさせるためにはどうすればいいのか。
ずっと考え続ける永遠のテーマである。
1983年(昭和58年)7月発行の「アングリング」創刊号の中で、フライの雑誌社の故中沢孝さんが、「相手の反応をつぶさに見てあらゆる状況下で試行錯誤する終りなき魅力」という文章を書いている。
「四角い板に太い白線でベルトとタスキが書いてあるもの。夜間交通取締りの警官の反射ベルトのパターンなのである。─ひょっとしたらドライフライにも同じことがいえるのではないだろうか。」
ドライバーを取り締まるのには、まさに2本の蛍光テープだけでいいのである。看板は道路の右側ではなく左側の電信柱のかげに、人の高さにあることが大切だ。それは魚のフィーディング・レーンと毛鉤の水面とのからみ方に似ている。
看板は酒を呑んでいるドライバーには特に有効だ。つまりライズに夢中の魚によく効く。そして、看板を明るい日中に見ても、インパクトはない。人間にとってドライフライは、どう見てもカゲロウには見えないではないか。
本物の姿・形や色を再現するのも重要だが、にせもののフライがフィールドの光や風、水の流れや時間、自然の時の流れのなかで、どう2本の蛍光テープを表現するのか。刻々と変化するフィールドのなかに、姿・形より大切なことの、重要なヒントが隠されている気がする。
感じさせるのだ。
人間にはゴミにしか見えないフライへ、本物を食べているのと同じライズフォームで魚が出て、アワセて魚がのった時に「やったー」となって、フライフィッシングとしてとても楽しいのである。
「よく分からないけどこの2本の線が効くんだよナー。」
というような、シンプルで、〝何か〟を感じられるフライを求め続けたい。
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風のようなフライキャスティング
知人が持っていたサマーズのバンブーロッドを振らせてもらったことがある。
当時の私のキャスティングは、釣りには支障はないが大したものではないし、バンブーロッドも持っていなかった。その私がサマーズのバンブーを振ると、とても気持ちのいいループが延びていくのである。私はこんなにキャスティングはうまくないはず、と自分で感じるほど、ループがきれいにのびる。ロッドがきちんと仕事をしているのだと思った。
その後、色々なロッドを振り、ロッドの個性みたいなものが何となく感じられるようになってきた頃、一本のロッドと出会った。普通の市販品のカーボンロッドだ。
小規模の渓流での釣りをイメージしているらしく、ロングキャストには向いていないがショートキャスト、それもリーダーキャストで、きれいにループができる。ロッドの先端がループの一部になる。ラインとロッドの先端が一体となっている感じがする。
そのロッドを使いはじめた後にサマーズを再度振ったが、こんな棒みたいに硬いロッドは使いづらい、と感じた。サマーズだけでなく、自分の持っている他のロッドも印象が大きく違ってきた。自分のキャスティングが変ってきたのか、ロッドとキャスティング技術とはそのような関係なのか、よく分からないが私の中の何かが大きく変化した。
ロッドにリーダーキャストからフルラインキャストまでの性能を要求するのは無理な話かもしれないが、どんなロッドでも、ラインがある程度出た状態ならループを作れる。日本の渓流のドライフライの釣りでは、リーダーキャストをよく使う。小さなドライフライでの釣りは、リーダーキャストでもループをきれいに作ることができるロッドが、使いやすいと思う。
渓流用の3番4番のロッドは、リーダーキャストから10ヤード程度の距離を多用する。この範囲でループがきちんとできるロッドが使いやすいことになる。カーボンロッドであれバンブーロッドであれ、この辺の性能がきちんとしているロッドが使いやすい。
どこでどんな魚をどのようにして釣るか、そのためにどのようなロッドが必要かが、ロッド選びの基本だ。
キャスティングはフライフィッシングの要素でも特徴的で楽しいことのひとつで、一人一人の釣り人のなかで、いつまでも進化し続けるもののような気がする。
釣りが変化するのでキャスティングも変化するのか、キャスティングが変化して釣りが変っていくのか、そしてその変化に伴って、求めるタックルも変化し続けていく。答えなどなく、求め続けていくそのことが、とても楽しくて気持ちがいい。
キャスティングのメカニズムを感じられるほど、フライフィッシングの幅の広さを感じる。身体の動きも、フライを運ぶループも自然に溶け込んだ、風のようなキャスティングをしてみたい。
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ワクワク、ドキドキをもう一度
以前、フライロッドを使わない〈ロッドレス・フライキャスティング〉をしてみたことがある。直接手でラインを持つとラインの摩擦で火傷しかねないので、直径15㎜、150㎜ほどのボール紙のチューブを用意する。そのチューブにフライラインを通して、右利きなら右手に持ちキャストする。
フライラインとリーダーを前方にまっすぐ延ばして地面に置く。右手をライン方向に延ばし、一気にラインの延長線上の後方へ、バックキャストする。この時左手でホールも加える。ある程度のキャスティングができる人なら、数回やるだけで、鋭いループのバックキャストが飛ぶようになる。フライロッドを使っている時には到底できない鋭いループができる。
15ヤード程度はキャストできても、体力のない私はすぐに息が上がってしまう。ところが同じ距離をフライロッドを使うと、いとも簡単にキャストできる。
これだけの重労働を、フライロッドはやってくれているわけである。フライラインとフライロッドは凄いのである。なにげなく使ってると気づかないことだ。こんな、少しズレたことをするとその実力を実感できる。
今は、フライフィッシングの情報も当たり前にあり、多く耳に入って来る。入ってきた情報は知識として持つことになり、積み重なっていく。ここに落とし穴がある気がする。
フライフィッシングだけでなく釣り全般に言えることだが、自然は多様だ。目の前のフィールドでの出来事を深く知りたい時、自分の経験を伴わない知識としての情報は、ない方がいい場合が多い。あればその情報をもとに考えてしまう。
事前の情報がなければ目の前で起きていることが全てで、その出来事に入っていくしかなく、当たり前にその出来事に集中できる。
昔は良かった、と言うことは好きではないし、そのような意味で言うつもりもないが、情報がほとんどなかった時代に始めたフライフィッシングは、とてもワクワク、ドキドキしていたように思う。自分が意識して情報を遮断したわけではなく、時代がそうだった。その結果ワクワク、ドキドキしたのである。
逆に、今の時代に情報がないことを望んでも、あり得ないことである。実体験のない情報を追いかけてフライフィッシングをしても、当然面白さに欠ける。ではどうするのが良いか。
初めてフライロッドやフライラインを買う人は、情報がない方がフライフィッシングは面白くなると知ることだ。始めた後でも自ら情報を入れないようにしたり、耳に入ってきた情報を捨てることが必要なのではないか。
すでにフライフィッシングを知っている人なら、フライロッドを使わないフライキャスティングをしてみるのも一つだ。情報に溺れていたら捨ててみる。外したり、捨てることで、フライフィッシングの本質に近づくこともある。求めるモノがより見えてくる。
魚を釣る手段は色々ある。毛鉤など使わない方が効率はいいと思う。
そのようなことは分かっているが、あえて毛鉤を使うことで、見えてくる違う世界との出会いを楽しむのが、フライフィッシングなのではないかと思っている。
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フライの雑誌社では、ここに来て日々の出荷数が増えています。「フライの雑誌」のバックナンバーが号数指名で売れるのはうれしいです。時間が経っても古びる内容じゃないと認めていただいた気がします。そしてもちろん単行本も。
島崎憲司郎さんの『水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』は各所で絶賛されてきた超ロングセラーの古典です。このところ突出して出荷数が伸びています。