フライの雑誌第72号(2006)掲載の日本釣り場論38から、〈フロントレポート2 最近話題の「釣り人の費用負担」を考える〉を公開します。15年前の記事です。
筆者本人としては、基本的にむやみに挑発しているばかりの若書きの文章で、再読すると恥ずかしい限りです。でもそれほど間違ったことは言ってなかったと思います。文末で水産行政からの異論反論を求めていますが、反応はありませんでした。
本記事が出た2006年からこの間、日本には世界にも、本当にいろいろな事象がありました。日本の釣りを取りまく事情は一進三退、場外乱闘継続中というところでしょうか。(ホリウチ)
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最近話題の「釣り人の費用負担」を考える
お金を払えば釣り場は良くなるか。
もの分かりのいい大人になる前に。
堀内正徳(本誌編集部)
ブラックバス・バッシングや、SOLAS条約による港湾への立ち入り禁止措置など、釣り人への阻害が近年立て続けに起こっている。釣り人は個々人が勝手気ままで組織化されておらず、故に力がない。
ゴミは出す、釣り糸は放置する、妙な外来魚は勝手に放流する、立ち入り禁止の場所へわざわざ入るなど、釣り人を悪く言う理由付けには事欠かない。釣り人は環境に悪い、その一言ですべておさまる。これから先、釣り人の未来は明るいとは思えない。
こんな状況下で、「気持ちの良い釣りをするためならお金を払っても良いか」と聞かれてあなたはなんと答えるだろうか。
ブラックバス問題の発生以降、<釣り人の費用負担>という議論が役所行政を中心に起こり始めている。
曰く、これまで釣り人はあまりにも自由気ままに釣りを楽しんできたが、資源(魚)の減少、水環境の脆弱化といった諸問題がいよいよのっぴきならなくなってきた現代、釣り人も世の中の趨勢に無関係ではいられない。よって長く釣りを楽しむために、釣り人も応分の金銭的負担をして、その見返りとして釣りをする権利を獲得しましょう、という論理である。
この論理は一見、釣り人が釣り人以外の世間とうまくつきあっていく発想に基づいた、釣り人に「大人の選択」を勧める提案であるかのように見える。しかし、本当にそうだろうか。「○○をするためにお金が必要です」と役所が言うときに、その言葉を額面通りに受け取っていいものだろうか。
3つの先行事例を検証する
釣り人から徴収した費用を資源の増殖や釣り場の管理にあてるという発想は、国内でいくつかの前例がある。
神奈川県ではマダイ放流への協力金(一乗船あたり一人200円)をマダイ釣り人に要請している。放流なしにマダイの漁獲は成り立たないという。これまでは税金でマダイ稚魚を放流してきたが、漁民と同じくらいに遊漁者(釣り人)もその放流の恩恵を受けていることが判明した。だから釣り人も放流資金を払うべきだという論旨だ。
ただ現行の法制度では釣り人からお金を取る根拠がないがために「協力金」という形態をとらざるをえない。任意であるが故に釣り人から金が徴収できず、遊漁船業者が代わりにまとめ払いしているケースもあるのが現状だ。そこで何かしら法制度の網を被せられないかという議論がなされている。
釣り人がお金を払いたがらないのには、海という開放水域で自分が払った協力金による増殖の恩恵を、果たして自分が適正に受け取ることができるのかという疑問があるからのようだ。行政としても釣り人を納得させられるだけの説得材料を提示できていない。
北海道の一部海域では、サクラマスの船釣りの「ライセンス制」が導入されている。漁期と釣り上げ本数を制限し、ライセンス料を支払った船舶のみを釣り船として認可するシステムだが、地元の遊漁船と釣り人にはなかなか評判がよろしくない。遊漁よりもはるかに資源へ大きな影響を与える漁法が行われている現状で、費用負担と規制強化だけが遊漁船と釣り人に押しつけられていると受け取られているからだ。
山梨県の河口湖では、富士河口湖町の法定外目的税である「遊漁税」が2001年から施行されている。河口湖で釣りをする人は、漁協に払う遊漁料に加えて、毎回200円の税金を納める。条例で決めたことであるし、遊漁料と税金を込みで支払う形になっているため、釣り人からは問答無用で徴収できてはいる(年券保有者は税金だけ毎回払う)。
遊漁税の導入時に町が言っていた釣り場環境の整備資金のためというお題目が、どれだけ実際の運営に反映され、河口湖が快適な釣り場へと変貌を遂げたかは、ここ数年河口湖の遊魚者数が減少していることに、その結果が顕れているのではないか。
必然性がある費用を払うのはかまわないが、
それがどう使われるのかが不明瞭な税金を
誰が喜んで払うだろう。
釣り人はもうお金を払っている。
今後、釣り人へ「費用負担」を求める議論が活発になると思われる。水産庁では昨年、諸外国の「ライセンス制度」についての調査をした。その中で、釣りをする上での「ライセンス」は資格ではなく金で買うものだと解釈されている。お金を払うことにより釣りをする権利を買うということだ。
冒頭に記したように、釣り人はいまこれまでになく危うい立場にある。それを思うとこれから先、金銭を介在させても、胸を張って釣りをする保証を釣り人は買ってもいいのではないか、そのために水産行政として新しい制度を立ち上げたい、という論の筋は一見通っている。この場合の<新しい制度>とは畢竟、釣りにかかってくる新しい税金の導入を指している。
水産庁の水産基本計画(2002年)には、釣り人を施策の対象にすると明記してある。施策対象になるということは、私たちが納めている税金のいくばくかが、釣り人のために使われることを意味する。
しかしながら、国の水産行政が釣り人のために何をしたかというと、一昨年の「釣人専門官」設置以外に目新しいことはしていない(大きな転換点ではあった)。また、各都道府県の水産行政が、釣り人の立場向上のために抜本的な施策を提示したとは寡聞にして知らない。釣り人は税金だけ払ってはいるものの、ほとんど行政的に放置されているに等しい。
気持ちのよい釣り場を作るために発言や活動をしている釣り人は、その情けない現状をよく知っている。
さらにいえば、川や湖といった内水面で、第5種共同漁業権がある釣り場の場合、釣り人は管轄の漁協へ遊漁料を支払って釣りをする。遊漁料は水産動植物の増殖を釣り人も漁協組合員と応分に負担する意味のものだ。漁協のある釣り場では、釣り人は必要充分なだけの費用を現時点でも負担している。
遊漁料だけでは足りない、だからもっとお金が必要なんだ、と行政は言うかもしれない。
けれど、遊漁料は各漁協が都道府県の水産行政へお伺いを立て、知事が認可している立派な根拠のあるお金だ。故にお金が足りないのだとすれば、それは今の制度が人的、物的にうまく回っていないせいだといえる。
お金を払えば釣り場が良くなるのか、それとも釣り場が良くなれば釣り人はお金を払うのかは、しばしば「鶏と卵」に例えられるが、釣り人はもうお金を払っている。払っているのに釣り場が良くならないのは、現状の仕組みそのものに問題がある。
たとえ釣り人から新たに税金を集めたところで、それを運用する受け皿はない。法律の定める権利に基づいて市民が情報公開請求をしても、漁協の経営状況を非公開としている自治体もある。必然性があるお金を払うのはかまわないが、それがどう使われるのかが不明瞭なものを誰が喜んで払うだろう。
行政自身も時代遅れを認めている今の漁業制度のまま、釣り人がお金だけ払っても釣り場はよくならない。「釣り人の費用負担」を語る人は、そこを考えて欲しい。
釣り人に新たなお金の上積みを要求する前に
ブラックバス・バッシングの際、厭世的になった一部のバス釣り人から、「金を払ってでも文句を言われずに釣りをしたい」という意見が上がった。それだけ釣り人が追いつめられていることの裏返しである。民間経営の「管理釣り場」が大量の釣り人を集客しているのは費用と対価の構造が明確で、釣り人がその点で納得して釣りを楽しめるからである。
水産行政は、釣り人に新たなお金の上積みを要求する前に、まずは自らを謙虚な気持ちで振り返り、どこにも無駄はないか、努力は限界までなされているかを、徹底的に検証する必要がある。
一方釣り人は、自分たちは気持ちよく釣りをするための費用を、税金や遊漁料としてすでに負担しているのだという大前提をことあるごとに再確認しつつ(そうでないと人の良い釣り人はついつい情況に流されてしまうから)、「ごまめの歯ぎしり」を上げ続けるべきだろう。物わかりのよい大人になるのはそれからでも充分だ。
具体的には都道府県の水産行政や水産庁の担当者へ、釣り人の思うところを臆することなく、電話一本、メール一本から、発言し続けることが大切ではないか。釣り人のために働くこともあなたがたの仕事なんですよと、彼らに理解してもらうことだ(なんでこんなことを釣り人が言わなければならないんだろう)。
釣り人はただ気持ちよく釣りをしたいだけなのに何とも面倒な時代になった。小さな政府へ改革するんだといいつつ増税するという理不尽は、中央だけの冗談にしてもらいたい。
※水産行政の現場にいらっしゃる方からの異論反論があればお寄せください。
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