学生のころは多摩川競艇場で警備員のバイトをしていた。卒業して会社に就職してからも、お金がなくなると会社を休んでときどき警備員になった。
朝、アポなしで競艇場内にある警備員専用のプレハブ棟へ行く。警備隊長に頭を下げて、そこらにぶら下がっている、サイズの合わない警備員の制服に袖を通す。おじいさんが交換してくれることもある。日がな一日、多摩川競艇場の周辺で赤い旗を持ってぼうっと立って、夕方になったら5500円の日銭をもらって帰るのである。
会社をズル休みして警備員になったこともたびたびだ。どっちが本業かと言ったら、マインド的には警備員が本業に決まっている。
競艇場の警備員は舟券を買うことはできない。レースを観覧することもできない。が、ご近所をうろうろ(警備)しているとき、競艇場内の音はガンガン耳に入ってくる。音だけで聞く競艇のレースはエキサイティングだ。
出走前、ボートのエンジンの回転数が上がる。プロペラが沸き立つ。スタート直後からバンバン跳ねる舳先、波を蹴立ててつっこむ第一コーナー・第二コーナー、どんどんボルテージを上げていく実況アナウンサーの興奮。そしてゴールイン直後の絶叫と、張り詰めたゴムがぷつんと切れたような弛緩。ざわめき。落胆。観客みんながわーっと喜びの声をあげている、というのは聞いたことがない。
当時の多摩川競艇場では、選手の最終着順を案内する場内アナウンスは、実況の人とは異なる、もっと素人くさくて野太い声を持ったおじさんが、マイクを持っていた。セリフは決まっていて、こんな感じ。
「かくてーい! 一着、何番。二着、何番。三着、何番。」
たしかにこういうことで自信なさげとか、妙に美声とか、微笑みながら、というのは似合わない。
競艇場の客たちは人生を左右する大枚をレースへぶっこんでいる。そして間違いなくスっている。暴動一歩手前のライオン軍団に、断固として突きつける最後通牒が、この「かくてーい!」だった。血走った目をした客たちも、確定したならしようがねえよと、肩を落としてあきらめるしかないのである。オケラ街道の先で一杯やって帰ろう。明日も仕事だ、朝が早い。
なんでこんなことを思い出したかと言うと、先日自分は、釣りに行くにあたり、なにかフライを巻こうと思い、そうだ、クロスオーストリッチを巻こうと、我ながらワンパターンの極みだとあきれつつ、クロスオーストリッチを巻いたのだ。
チラカゲロウとヒゲナガを意識したつもりで、TMC200Rの10番と12番に細身で長めに巻いた。こんな程度でも自分なりの〈くふう〉だ。よく効きますように、と込めた願いはオリジナル。
で、昨日の釣り。日並みがよくなく、途中から濁りすら入るような状況だった。これはもうだめかもしれなね、とあきらめかけたとき、唯一の貴重なアタリがあった。そうです、フライは巻いたばかりの、細身で長めのクロスオーストリッチ。小気味いいファイトのあと、無事にランディング。よかったー。
リリースしたニジマスの姿が流れの中に消えていったとき、わたしの頭の中で、おじさんの野太い声が轟いた。
「かくてーい! クロスオーストリッチ。」
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