橋の下をたくさんの水が流れた

十代半ばの頃、街頭で彼らと知り合った。彼らが主催する月一回の読書会へ何回か参加した後、どこかのデモで大きな旗と横断幕を掲げて、赤いヘルメットをかぶって行進している彼らに会った。次の読書会でそのことを言うと、「え。市民団体だと思ってたの?」と笑われた。実はそうなんすよ。

ふだん集まる彼らのグループは、七、八人くらい。女性が三、四人。既婚者が半分。年頃は二十代後半から四十代のはじめまで。どこかの党派のなんとかっていう支部なんだって。わたしと同い年だという若者が一人いたが、無口で微笑むだけの彼とはろくに話したことがない。若いけど〝労働者〟なんだって。

副リーダー格の長髪のおじさんから毎週のように誘われて、隣町の駅前にあった地下の喫茶店でお茶をした。あとからあれがオルグというものだったかと知った。ばかだね。

一緒にデモにも行った。当時のデモの現場で、隊列に入らない個人の参加は、狙い撃ちで検挙される可能性が高いと言われていた。でも自分は、ヘルメットを被った彼らの隊列には絶対入らなかったし、彼らも誘って来なかった。ある時、同い年の若者がやられたと聞いた。以降、彼の姿を見なくなった。

いろいろな情況が変わりつつあった。彼らが借りていたアパートの部屋に、ガサ入れがあった。この部屋を出て、彼らは潜ると言った。君はどうすると聞かれたので、俺はずっと今のままです、と言った。

その夜、彼らとサヨウナラした。大中で買った薄っぺらい人民帽を脱いで、一番年長で一番性格が明るかったリーダー格のおじさんへ、はいあげます、とあげた。顔を紅くして喜んでくれた。アパートの部屋の前の暗がりに彼らが並んでくれて、手を振りながら、私だけが離れていった。バイバーイと、みんな笑顔だったな。

その中で、喫茶店で会っていた長髪のおじさんは、あの人はわりといつもそうだったのだが、なんとなく気まずそうに笑っていた。悪いことしたかな、といまは思う。半袖でもじわっと肌が汗ばむような、蒸し暑い夜だった。都合1年くらいのつきあいだったのかな。その間は釣りをほとんどしていなかった。なぜだろう。

クアッド反対のデモを報道する昨日のニュース映像を見て、〝機動隊のいない広場でやる密集デモは伝統芸能の保存でしょう。〟とわたしが上から目線で揶揄するのには、そんなわけで、痛がゆさをともなう、ほんのわずかの当事者風味があるからです、と言わせてほしい。

あれからたくさんの水が橋の下を流れた。自分は頭がよくないし、才能がないのもいいかげん分かった。けれど、虚仮の一念ってのもあるんじゃないかと思って、自分は自分の仕事してる。

そろそろ番長登場のはずですよ。