単行本『桜鱒の棲む川』(水口憲哉2010)より、〈岐阜県・長良川〉長良川河口堰とサツキマスの自然産卵を公開します。
ルアーやフライフィッシングでのゲームフィッシュとして人気の高いサクラマス。サクラマスは、故郷の川と海とを行ったり来たりすることで命をつなぎます。サケ科魚類のなかで、いまだもっとも多くの謎が残された魚と呼ばれます。
近年はサケ・マスの不漁にともない、水産資源としてのサクラマスへの注目度がこれまで以上に高まっています。一般のマスコミでサクラマスが扱われる機会も多くなっていますが、サクラマスの生態への理解度はまだまだ低いようです。
単行本『桜鱒の棲む川』では、サクラマスののぼる日本列島各地のそれぞれの川について横断的に調べることにより、サクラマスのブラックボックスを平明に解きあかしています。
美しいサクラマスを未来へのこすために、なにが必要なのか、私たちになにができるのかを考えてみませんか。
※サツキマス(Oncorhynchus masou ishikawae):サツキマスとアマゴは同種。サツキマスは川から海へ回遊する個体 (回遊型)で、アマゴは一生を河川内で生活する個体 (河川残留型)。対して、サクラマス(O. masou)とヤマメは同種。サクラマスは川から海へ回遊する個体 (回遊型)で、ヤマメは一生を河川内で生活する個体 (河川残留型)。(岐阜県水産研究所) 故郷の川と海の両方を棲み家として利用して、種としての命をつないでいく点で、サツキマスとサクラマスの生態史は同じ。
(編集部)
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岐阜県・長良川
長良川河口堰とサツキマスの自然産卵
『桜鱒の棲む川』より
(水口憲哉)
現在、天然アマゴのいる川ではどこでもサツキマスが獲れた。だからといって「アマゴを放流すればサツキマスが増える」ことにはならない。
木曽三川には古くから、春になるとカワマスと呼ばれる、アマゴとも海のマスともちょっと違う魚が遡上し、美味な高級魚として珍重されてきた。また戦前の記録では、天竜川、淀川、熊野川、太田川などでもこうした遡上マスの漁獲が認められる。
姿を消した遡上マスたち
しかしこれら遡上マスは、その存在が研究者の目にとまるのを待たずして、いつの間にか各地で姿を消していった。その原因は、海と川との往来の経路がダムや堰堤、川の汚染などによって分断されてしまったことにある。一方、ようやくこのマスに光があてられることになったのは一九六〇年代後半になってからのことである。皮肉にもそれは長良川河口堰の建設に関連してのことであった。
その後、長良川の漁師たちが〈カワマス〉と呼んでいたこの魚がアマゴの降海型にあたることがわかり、その遡上がちょうどサツキの咲く頃にみられたことから〈サツキマス〉と命名された。そして現在、今なおこのサツキマスにおいて、漁業対象となるほどの自然個体群が維持されているのは日本中で長良川のみとなった。
サツキマスが日本固有の亜種であり、降海型のサケ属としては世界最南端に分布することから、今やサツキマスは日本はおろか地球上でこの長良川にしか生息していないことになる。このような現状に対応して環境庁は一九八九年一二月、サツキマスをレッドデータブックの〈絶滅危惧種〉リストに含めている。しかし、サツキマスにとって最後の砦ともいえるこの長良川も、今や自然河川としてのその存続が危ぶまれている。
自然のままのサツキマス漁
このような状況下にあっても長良川ではこれまで、サツキマス漁が産業として成り立ってきた。サツキマスは満〇歳ないし一歳の秋に降海し、伊勢湾沿岸域で約半年間という短い海中生活を送る。その間、甲殻類やイカナゴなどの稚魚を飽食し、わずか数ヶ月間で急速に成長する。四、五月に体調三〇〜四〇センチ、体重三〇〇〜一〇〇〇グラムに成長したサツキマスは再び長良川を遡上する。
この頃下流の羽島市近辺で、この遡上期のマスをねらっておこなわれるのが「トロ流し漁」である。浮き刺網をU字型に船からほぼ川幅いっぱいに張り、そのまま流れに合わせて網を流し、上流に向かう漁法である。通常の刺網の操業方法では、張ってから網を上げるまで時間がかかり網にかかったマスは死んでしまうが、「トロ流し漁」は網を入れてから上げるまでの時間が短いので、魚を比較的痛めずに獲ることができるという。
ご兄弟で専業の川漁師としてアユ、サツキマスなどを漁獲している大橋さんは、この漁法で一シーズン数百万円を稼ぎだすという、長良川でも名うての漁師である。そして、かつてはこの漁で息子さんを東京の大学へ通わせていたのだと、額縁にていねいに納められた卒業証書を見せながら誇らしげに語る。しかし、そんな大橋さんたち漁師の熟練の技をもってしても、遡ってくるものが来なくなればもはやなすすべもない。
そうした意味からも他力本願と言わざるを得ないこの漁の生命線までもが、河口堰の建設により今まさに分断されようとしている。
遡上の様子
サツキマスの遡上速度は一日に五〜六キロメートルと言われているが、この大橋さんの漁場は河口から三八キロメートル上がったところにあるため、計算通りであれば海から一週間くらいで着くことになる。しかし、伊勢湾から長良川に入ったサツキマスは機械的に一定速度で泳ぐものではない。海水と淡水の混ざり合い、濁りや障害物さらには捕食者や人間、いろいろなものに戸惑いそれを避けながら遡ってゆく。
実際に一九九四年の五月、長良川河口堰が魚類の遡上にどのように影響するかを知るために建設省が行った調査でも、五月一九日から二一日の三日間ゲートを操作し閉めたところ、大橋さんの漁獲量が大きく減少した。すなわち、それまでの一週間一日平均五八尾獲れていたものの二一日、二二日の両日は一日五尾と一〇分の一以下になってしまった。魚道の利用状況、堰の上下流域における密度などはっきりしたことがわからないので、河口堰の影響がどの程度であるかを具体的には言えないが、サツキマスにとってはとんでもないものがつくられたことだけは確かである。
なお、この調査期間中岐阜市場に入荷した長良川産のサツキマスは四月一八日から六月三〇日の間に一二五八尾でその八五パーセントが五月に入荷している。まさにサツキマスである。
サツキマスの産卵について
長良川が日本最後の天然河川と賞される理由の一つは、この川で天然のサツキマスが大量に産卵を繰り返しているということであった。夏、中・上流域にまで達したサツキマスは流れのゆるやかな淵を遊泳し、八月には朱紫色の婚姻色に身を染め始める。そして一〇月下旬、産卵期を迎えたサツキマスは、長良川の支流の吉田川、亀尾島川で産卵する。
ところが現在、産卵場のある支流では、堰堤があるために産卵の最適地であった源流部にまで遡上ができず、仕方なく堰堤の下流域で産卵をしている。当然のことながらふ化率は悪いようである。加えて、源流部でのスキー場、ゴルフ場、農地の設営のための森林伐採およびそれらからの排水、農薬の垂れ流しによる水の汚染などが、サツキマスの命の源をめぐる環境に徐々に暗い影を落とし始めている。
昔のサツキマスの分布と漁獲量
今からほぼ一〇〇年前の『水産事項特別調査』という報告書には、一八九一年のサツキマスと考えられる鱒の年間漁獲量が山口県の錦川から木曽川まで一六河川で合計四四九二貫、本数にして約二万本と記録されている【図1】。
その後の今から六五年ほど前の『河川漁業調』では【図2】に見られるように、サツキマスと考えられる鱒の漁獲される河川数も漁獲量も増えている。これは、調査や統計資料の整備が進んだことが原因と考えられ、人工ふ化放流や環境改善の結果とは考えられない。というのは、この鱒の人工ふ化放流はこの頃まだ行われておらず、またすでに各地でダムの建設が進められ始めているからである。
また、この図で一点破線で囲まれている瀬戸内海と伊勢湾、駿河湾に流入する河川のある地域は、現在アマゴの分布域とされている。その範囲の鱒はアマゴの降海型のサツキマスと見てよいだろう。要は現在、天然のアマゴのいる川ではどこでもサツキマスが獲れたということである。そのことと建設省のいう「サツキマスはアマゴです、だからアマゴを放流すればサツキマスが増えます」というのとは別である。というのは、一九九四年現在、サツキマスはダムの無い長良川でしか自然繁殖しておらず、富士川、狩野川および丹沢湖などではサツキマスと思われる鱒が少数存在するかもしれないと報告されているにすぎないからである【図3】。
また、天竜川や淀川ではアマゴの銀毛化したものを放流しサツキマスを〈復活〉させようという試みがあるが、これは海から戻って来たものをダム下流で回収するという粗放的放牧のような鱒の生産の仕方であって、本来山あいの渓流域と海を行き来して繁殖の営みを繰り返しているサツキマスをよみがえらせるというのとは程遠いものと言わざるを得ない。
そのようなことをあらためて考えさせる二つの図を次に示す。
【図4】は現在の木曽三川におけるサツキマスの漁獲状況である。流域の漁業協同組合や釣り具店をまわって聞き取り調査した結果をまとめたものである。木曽川で約四トン、長良川で約一一トン、揖斐川で約五トンが遊漁や漁業によって獲られている。長良川の上流にまで遡上して産卵に参加するのは、それまでに漁獲される一万数千尾に辛うじて入らなかった少数の親魚ということになる。
水口研究室の白木谷卓君の一九九三年の卒業論文によれば、これら三川の漁獲量の三割が放流されたもので、長良川での自然産卵起源が残りの七割と推定される。なお、木曽三川の河口域は合流しているので、木曽川と揖斐川の下流域におけるサツキマス漁獲量の多くを長良川起源の自然産卵魚に頼っている。
このことは次の【図5】のもつ意味を理解すると重大な予測をせざるを得ないことを示している。【図5】は川が大きく奥行きが深いとはどういうことかをよく示している。
今から一〇〇年前、今をときめく長良川での漁獲五五貫に対して、木曽川水系ではその約四〇倍漁獲している。その四〇年後の【図2】では、長良川に対して木曽川は四倍強になっている。実は木曽川は、奥行き深く水量多きがゆえに、水資源開発すなわち、水力発電や水利用に早くから目をつけられてきた。それゆえこの頃すでにサツキマスの遡上が伸び悩み始めているといえる。一八九〇年頃の統計資料の不備を考えると、一〇〇年前の木曽川のサツキマスを遡上させる能力は、一九三〇年頃の淀川に匹敵するものだったかもしれない。
その木曽川が、今はどうだろう、一九七七年に完成した馬飼野頭首工という河口堰の下流で放流ものと長良川の自然遡上群のおこぼれを漁獲して細々と息をついているという状態である。それゆえ、長良川に河口堰ができ木曽川のようになってしまえば、木曽三川のサツキマスは人工ふ化したものを毎年放流して息をつないでゆくしかない。
サツキマスの二つの型
ところで、現在長良川に二つの型のサツキマスが生息していることを皆さんご存じだろうか。
一九九五年四月一五日の三重県長島町における長良川河口堰建設にかかわる円卓会議の「環境」討議日でも水口が問題を指摘したが、【表1】に示すように、アマゴマスとカワマスの二つの型がある。これは、海津、木曽長良、長良下流の漁協の聞き取りではヒラマスとツツマスと呼ばれ、この四月の水産学会の報告では、サツキマスの降海型と河川残留型ということになる【表2】。
これらがそれぞれどのように対応するかはこれからの調査研究をまたなければならないが、河口堰を運用することにより二つの型のどちらかが消えるか両方消えるか、両者とも影響ないか全くわからない。また、消滅したものを放流で補おうといっても何を放流するのか放流する人たちがわかっていない。円卓会議でも和田弘吉氏がこのことを明言した。
このように、自然産卵が消滅し、人工ふ化放流に頼るようになれば、生物多様性や種の多型現象というものが軽視され、さらには無視されるようになる。これは、日本におけるサケの人工ふ化放流事業の一〇〇年の歴史においても同じことがいえる。
このことは、自然というものが資源として利用できればよいということで、ないがしろにされつまらないものになってゆく過程を示している。
※追記:この時点では「戻りヤマメ」やジャックのことをよく理解していなかったので、コラム⑥(73ページ)のように整理すると、サツキマスの二つの型についてはよくわかる。 (二〇一〇年四月)
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★著者インタビュー
『桜鱒の棲む川』は、今までに書いた本の中でもっとも気持ちの入った一冊です。
(水口憲哉)
桜鱒の棲む川―サクラマスよ、故郷の川をのぼれ! (水口憲哉)。「サクラマスは人工増殖できない」がまさに本書の主題。2010年刊。
本文目次
Ⅰ 美しき頑固もの、サクラマス
プロローグ─ 桜鱒の棲む川をめぐる旅の始めに
いつから「サクラマス」と呼ばれるようになったのか/サクラマスの一族には四つの亜種がある/北海道での呼称「ヤマベ」は本州から伝わった/スローでマイペース、したたかな頑固もの、サクラマス/この一〇〇年でサクラマスの生息環境は激変した/川が川でなくなった時サクラマスは途絶える
Ⅱ サクラマス・ロマネスク
六億六千万円かけて遡上ゼロの「県の魚」
コラム① サクラマスの起源を考える
サクラマスのロマンと資源管理
コラム② ヤマメとサクラマスとを分ける鍵、スモルト化
一二〇年前のサクラマス漁獲量を読み解く
コラム③ サクラマスの海洋生活と母なる川
Ⅲ サクラマスよ、故郷の川をのぼれ
山形県・小国川 ダムのない川の「穴あきダム」計画を巡って
コラム④ カワシンジュガイは氷河時代からのお友達
山形県・赤川 サクラマスのふ化放流事業は失敗だったのか
コラム⑤ 信州の高原にサクラマスが遡った日
秋田県・米代川 サクラマスの遊漁対象化と増殖事業との複雑な関係
富山県・神通川 サクラマス遊漁規制の経緯とその影響
コラム⑥ 「戻りヤマメ」とは何だろう
福井県・九頭竜川 九頭竜川は〈世界に誇れるサクラマスの川〉になるか
コラム⑦ 自由なサクラマス釣りの魅力とその未来
石川県・犀川 南端のサクラマスと辰巳穴あきダム訴訟
コラム⑧ 湖に閉じ込められたサクラマスたち
新潟県・三面川ほか 新潟サクラマス釣り場の現状と問題点
コラム⑨ 中禅寺湖のホンマス、木崎湖の木崎マスの正体は
岩手県・安家川 サクラマスよ、ウライを越えよ
青森県・老部川 原発、温廃水、サクラマスの〈ブラックボックス〉
コラム⑩ 海と川のサクラマス、どちらがおいしいか
岩手県・気仙川 サクラマスが群れる川のダム計画
コラム⑪ はじめに人工ふ化ありき
したたかに生き延びよ、サクラマス
コラム⑫ マリンランチング計画という悪い冗談
北海道・斜里川ほか 北の大地のサクラマス、特別な事情
コラム⑬ 内村鑑三とサケ・マス増殖事業
岐阜県・長良川 長良川河口堰とサツキマスの自然産卵
Ⅳダムをやめれば、サクラ咲く
レッドデータブックを疑え
コラム⑭ キツネのチャランケ
ダムをやめれば、サクラ咲く
コラム⑮ サクラマスは故郷の川でしか生きられない
エピローグ─ 桜鱒の棲む川のほとりで
あとがき
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フライの雑誌 125(2022夏秋号)
> くわしい内容はこちら
Flyfishing with kids.
一緒に楽しむためのコツとお約束
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座談会「みんなで語ろう、ゲーリー・ラフォンテーン」
そして〈シマザキフライズ〉へ
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