【特別公開】嫁も魚も。宮崎に惚れた。|『山と河が僕の仕事場』(牧浩之)

※おかげさまで初版売り切れで増刷しました。2月末には続篇「山と河が僕の仕事場2|みんなを笑顔にする仕事」がでます。よろしくお願いします。
(編集部)

川崎生まれの都会っ子が、妻の実家の宮崎県高原町へ、Iターン移住。いつのまにか「釣りと狩りを仕事にする人」になっていた。──

単行本『山と河が僕の仕事場|頼りない職業猟師+西洋毛鉤釣り職人ができるまでとこれから』(牧浩之著)は、おかげさまで発刊以来、多くの新聞書評、テレビ番組にとり上げられました。ブログやSNSでもたくさん話題にしていただいています。

著者の牧浩之さんが〈職業猟師+毛鉤釣り職人〉となって5年がすぎました。南宮崎のゆたかな山と河を舞台にして、やりたいことはどんどん増える一方です。地域の方々との交流がさらに深まることで仕事の場も広がっています。自分の暮らす地域のためにもっと役立ちたいという気持ちからの、あたらしい挑戦も始まりました。

『山と河が僕の仕事場』の第1章|川崎生まれ、東京湾育ちから、「嫁も魚も。宮崎に惚れた」を紹介します。

彼女は宮崎県の出身。そのご両親に結婚のご挨拶をするべく、生まれて初めて宮崎を訪れた「僕」。宮崎へのIターンも、職業猟師の毛鉤釣り職人も、すべての物語はここから始まりました。結婚前の若い釣り好きの青年の、能天気で、視野が狭く、そしていじらしい姿に、(あー、もう!)と身をよじってください。

『山と河が僕の仕事場』は、2017年2月末に続編『山と河が僕の仕事場2|みんなを笑顔にする仕事』がでます。毎日が発見に満ち自然と人とが親密にふれあう、山と河を駆けめぐる暮らしの最新版です。どうぞお楽しみに。

(フライの雑誌社 書籍編集部)

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『山と河が僕の仕事場』

第1章|川崎生まれ、東京湾育ち
「嫁も魚も。宮崎に惚れた」

 

はぁ? 結婚しないの?

弘子と交際を始めてから、3年がたっていた。お互い二十代の半ばと後半にさしかかり、「一度くらい顔を見せに連れてきなさい。」と弘子はご両親から言われていた。ご両親へ挨拶をしようと、弘子の実家のある宮崎へ行くことにしたのが、2010年の春だった。

当然、弘子のご両親とは初対面だ。男が越えなければいけない壁を目前に、色々な考えが頭をよぎった。

自分はフライフィッシング用の毛鉤を作るという、世の中では風変わりな仕事を生業にしている。自然相手の仕事だからと、不安に思われないだろうか。釣りばかり行っているから、甲斐性のない男と思われないだろうか。僕は先走った考えを巡らせては、一人で不安になっていた。

なんといっても、じつはまだ弘子へプロポーズもしていなかったのだ。

宮崎へ行く日程を二人で調整していた時、僕はふとつぶやいた。

「僕なんかがご両親に会って、本当に大丈夫かな? 結婚が決まったわけじゃないのに、あれこれ考えちゃうよ。」

するとインターネットを閲覧していた弘子が、キーボードを叩く手を止め、今まで見たこともないような鬼の形相で僕を見た。

「はぁ? 結婚しないの?」

しまった!と思った時には遅かった。 (これってプロポーズのタイミングなのか? いや、今までそんな話したことなかったし。でも今言わないと、エライ目に合うぞ。) 焦りながら言葉を探した僕だったが、あまりの迫力に押し負けて、たったひとこと発するのが精一杯だった。

「よろしくお願いします。」

雰囲気なし、格好悪さ全開。なんだこのダメ男っぷりは。

「分かればよろしい。」

きっとカカア天下間違いなしだ。まぁそれくらいの方が、決めたら突き進む猪突猛進型の僕にとってちょうどいいブレーキ役になってくれる。

そんなことで、宮崎へはただの挨拶ではなくて、婚約の挨拶に伺うことになった。…あの時、心なしか、弘子が少しホッとした表情を見せていた気がする。

最初、宮崎には2泊3日の滞在予定だったが、弘子にとっては久しぶりの帰郷にもなるから4泊5日の日程を組んでのんびりすることに決めた。

「この日程なら、どこかで釣りに行けるなぁ。」

宮崎といえば50㎝オーバーのロウニンアジ、カスミアジなどのヒラアジ類に磯場でのヒラスズキ、河口でのクロダイ狙いと、魅力的な対象魚だらけだ。僕が普段釣り歩いている川崎や横浜の海とは、全く違う環境が広がっている。

「まさか、釣りのついでに挨拶に行くんじゃないよね?」

僕の考えはお見通しのようだ。でもせっかくだし、一日くらいはと釣りを許してもらった。初めて行く土地だから釣り場のことなんて分からない。すると、弘子の従兄弟の同級生がフライフィッシング好きで、こちらに来るならぜひご一緒しましょうということで、宮崎の釣り場を案内していただけることになった。

「これで堂々と釣りに行ける。」

ご両親への挨拶の緊張はどこへやら、まだ見ぬフィールドに想いを馳せ、にやける日々が続いた。

ほんの数投だけだから

出発前夜、僕は興奮して寝られなかった。宮崎で使うフライを巻いている内に、外はすっかり明るくなりはじめていた。

羽田から飛行機が飛び立つと、眼下に広がる東京湾岸の風景に、僕は夢中になった。海岸線にひしめきあう工場の施設はどこもシーバスが居着きそうなものばかりだ。常に釣りのことで頭が一杯なのも、いかがなものなんだろうかと自分でふと思う。

雑誌を読みながら過ごすこと1時間半、飛行機は宮崎空港へと降り立った。意気揚々と空港から出ると、路面は濡れており空は今にも泣き出しそうだ。思い描いていた常夏の景色はおあずけになった。風も時折強く吹く。ふつうはとてもフライフィッシングをやるような天気ではないが、荒天を好むヒラスズキには絶好の状況といっていい。磯の近くの漁港なら釣りになるかもしれない。僕はソワソワしはじめた。

レンタカーに荷物を積み込み、僕たちは空港を出発した。弘子の実家のある西諸県郡高原町までは、およそ1時間で到着するとのことだった。少し寄り道しても、夕飯の時間には間に合う。数投くらいはできるだろう。

「この辺でさぁ、釣りできそうな場所ある?」

弘子はやっぱりねという表情をしながらも、有名な鬼の洗濯板の近くに、青島という観光スポットがあると教えてくれた。カーナビで青島を検索した。すると近くに青島漁港がある。そこで、わざと道を間違えて青島漁港へ寄ることにした。

国道に入ると宮崎らしい風景が広がった。道なりに延々と続くフェニックスが風になびいていた。時折のぞく海岸へ期待を膨らませて走ること15分ほど、左折場所を予定通り間違えて、青島漁港に到着した。

「どうせ最初から企んでいたんでしょ? こうなると思ってたよ。」

呆れた顔で弘子が言った。

砂浜と磯場に挟まれた青島漁港には、小さな川の河口が隣接していた。ヒラスズキにヒラアジ、クロダイを狙うには最高の場所だと直感した。

「ほんの数投だけだから。」 即座に釣り道具を準備し、ご両親への挨拶用のスーツ姿のまま、堤防へと駆け上がった。東京の海で絶対的に信頼を寄せているキャプテンゾンカーという毛鉤を結び、魚が潜んでいそうなテトラポッドの周辺を探ってみた。

沖ではカモメが鳥山を形成していた。一発、ドカンと水柱でもたてば気持ちは最高潮だが、カモメたちは海面で何かを突ついているだけだった。期待とは裏腹に何の反応もない。しばらく探り続けていると雨が降り出し、やむなく撤収することになった。

宮崎の海は甘くなかった。まずは完敗であったが、川崎の人工的な海とは違い、釣った後には爽快感が残った。明日は状況も変わってくるだろうし、期待できそうな気がする。

初めての彼女の実家

高原町へ到着する頃には雨も止み、雲の隙間からところどころ、晴れ間が顔をのぞかせた。実家の敷地に入り車を止めた時、勝手口の扉が開いて、中から弘子のお母さんが出てきた。

その手には包丁が握られていた。

「うそ? やっぱ僕は来ちゃいけなかったんじゃないのか!」

一瞬たじろいた僕の動揺を察したのか、お母さんは笑顔で挨拶してくれた。今晩の鶏鍋のために、家庭菜園の白菜を収穫しに行くところだったらしい。

だがお父さんには、僕はどう思われているのだろう。弘子は3きょうだいの末っ子で、たった一人の娘である。

僕の緊張がピークに達したその時、玄関を開けてお母さんが中に叫んだ。

「弘子がダンナ連れてきたぞー!」

え、いや、その。なんだか話が進みすぎていて、どうしていいか分からない。なおも緊張しながら居間のふすまを開けると、お父さんが笑顔で迎えてくれた。

その晩は、宮崎地鶏の水炊きや名物のチキン南蛮、肉巻きおにぎりなど、宮崎ならではの料理を囲みながら、和やかな時間を過ごした。

甘辛く味付けされた鶏肉に、自家製のタルタルソースをたっぷりとつけていただくと、口の中で鶏肉のうまみとタレの甘さ、タルタルソースの風味が混ざり合い、極上の味だ。今まで食べていたチキン南蛮というものは偽物だったにちがいない。また自家製のタレが絶妙な味なのだ。

タレで炊き上げたもち米入りのおむすびを、これまたタレで漬け込んだ豚肉で包み、オーブンで焼き上げた肉巻きおにぎりが絶品。翌日の釣りのお弁当に、この肉巻きおにぎりを用意してもらった。

いよいよ本番

翌朝は朝4時、夜が明ける前に出発した。弘子の従兄弟の上野君と、その友人で案内役を買って出てくれた髙津君と合流した。上野君と髙津君は自分と同じ歳だということが判明。気兼ねなく楽しめる一日になりそうだ。

霧につつまれた美しい山間の風景を楽しみながら進む。カーナビに干潟らしき地形が映し出される頃、僕たちの到着を待っていたかのように、空にはきれいな虹がかかった。南国の暑い日差しも戻ってきた。いよいよ宮崎での海のフライフィッシング本番だ。

防風林を抜けると、目の前には日本とは思えない絶景が広がった。風になびくヤシの木と、ゴミなど一切見あたらない美しい砂浜。その先にはエメラルドグリーンの海が延々と続いていた。僕のテンションは一気に上がった。

波打ち際に立ちこみ、状況を見渡した。目の前にある島との距離が最も狭くなっている水域では、周囲よりも少し潮の流れが速かった。その先では外から入ってくる澄んだ潮が、湾内の濁った潮とぶつかり複雑に絡み合っている。

時折、海面がザワザワと波立つことから、ベイトフィッシュ(大型魚のエサになる小魚)の群れが入っている可能性も高い。大物がいるなら、この場所しかない。そう感じ取った僕は、フライを海へキャスト(cast=投げること、フライキャスティング)し続けた。

蒸し暑い日差しも、砂を巻き上げて吹きつける強風も、全く気にならなかった。東京の海では味わえない解放感を南国の風景の中で、全身で味わっていた。

どれくらいフライを投げ続けただろうか。突然何かが派手な水しぶきを上げて、僕のフライをひったくっていった。手元に伝わる重量感と、ゴンゴンと首を振っているものすごい衝撃。

「よしっ、乗ったぞ!」

魚は走りまくった。リールは悲鳴を上げて、どんどんラインを出していく。走りを阻止しようとリールに手をかけた瞬間、フワリと釣り糸が海面にさびしく落下した。魚は太い3号のハリスを躊躇なく切って海へ帰っていった。

こんなにあっさりと、かけた魚を逃した経験はない。どんな魚がヒットしたのかすら想像できなかった。宮崎には自分が思った以上の大物がいる。かけた魚に逃げられた悔しさよりも、まだ見ぬ大物との出会いにワクワクしてきた。

一気に鹿児島との県境近くの砂浜まで南下した。ここが今日最後の釣り場になりそうだ。午後から吹き始めた強風は止みそうにない。打ち寄せる波も大きくなった。これならヒラスズキが回遊してくるかもしれない。

「小魚が跳ねてるよ!」

髙津君が叫んだ。白波がたっている先で、小魚が何かに追われているように跳ね回っている。

「あの小魚の群れの下には、確実に大きい魚がいる。マゴチかヒラメか、ヒラスズキか?」

僕は魚の気配を感じとった。すると小魚の群れが突然二つに分断されたかと思うと、水面で激しく魚が暴れた。あれはヒラスズキだ。

僕と髙津君は夢中になってフライを投げ続けた。サイズや色があっていないのか、それともフライを泳がせる水深が間違っているのか。できることをすべて試してみるが、まったく反応が得られない。やがて海は何もなかったかのように落ち着きを取り戻した。

気がつけばあたりは夕暮れに包まれ始めていた。本来、東京湾での僕の海のフライフィッシングは夜間に釣り歩くスタイルだ。これからが本番といきたいところだったが、照りつける日差しの下でロッドを丸一日振り続けた僕はヘトヘトになっていた。

釣りをやらない弘子には、特にすることもない。ただつき合わせているのも悪かったので、素直に帰路につくしかなかった。釣果には恵まれなかったものの、案内してくれた二人には、感謝の気持ちでいっぱいだ。

と、本来ならばここで今回の宮崎の釣りは終了するはずだった。

「釣れない男」はいやだ

「新鮮なヒラスズキの刺身が食べたかったなぁ。」

実家に戻った僕が風呂に入っている間、お父さんが晩酌しながらこんなことを言っていたと弘子が教えてくれた。

「けっこう、期待していたみたいよ。」

〝釣りの仕事で生計を立てています。〟などと豪語していたくせに、釣りに出かけて手ぶらで帰ってくるとは、情けない。こんな釣れない男にかわいい娘を預けて大丈夫なのか。やっぱり娘はやれん! となったらどうしよう。

僕の中で何かがかたまった。

初日に行った青島の近くにある青島神社は、縁結びの神社として有名らしい。だったら、お参りついでに、明日も釣りができるんじゃないか?

「せっかくだからさ。明日は縁結びの青島神社へお参りに行こうよ。」

僕の下心を見透かしていたんだろう。やれやれという表情をしながら、弘子は低い声で僕に言った。

「明日は手ぶらで帰ってこれんよ?」

プレッシャーが僕の背中へズシリとのしかかった。

翌朝、9月というのに、まるで真夏を感じさせる暑さ。今日はなんとしても魚を釣りたい。〝お義父さん〟にうまい魚を食べてもらいたい!

釣り場に着くと、ポイントへ向かう途中の磯に潮溜まりができていた。スズメダイなどの熱帯魚やハゼ、カニがのんびりしている。まるで天然の水族館だ。弘子は潮溜まりの住人たちと遊び始めた。

「弘子が飽きる前に、なんとか勝負つけなきゃ。」

潮通しがよさそうな磯の先端を目指した。しかし一回フライにいいサイズのヒラスズキが出てきたものの、焦りからタイミングを間違ってしまい、掛けられなかった。何度かフライをリトリーブし直したがもう出てこなかった。

弘子を放ったらかしにするわけにもいかない。仕方なしに釣りを中断して青島神社へお参りに行くことにした。魚との縁結びを占うおみくじを探してみたが、あるわけがない。ロッドに邪念が入っているかもと、お手水舎でタックルとフライ一式をお清めした。ついに神頼みの釣りになってしまった。

昼食後、鬼の洗濯板に隣接する漁港へ向かった。釣りができる時間は残り少ない。なんとか一尾、この手に納めたい。気合を入れて波打ち際へ急いだ。弘子はまた潮溜まりで遊び始めた。 「この場所でかけなきゃ後がないぞ。」

15分ほど探り歩いて、沖へと続く溝がある磯のポイントを発見した。いかにもヒラスズキが潜んでいそうだ。

「ここは期待できる。集中しよう。」

フライを投げようとしたその時、波の音とは違うバシャバシャという水音が聞こえた。溝の両脇が海中に沈んでいる辺りから、黒い塊がこちらに向かって移動してくる。その塊はギラギラと細かく銀色に光っていた。

「ベイトボール(大型魚に追われた小魚の群れが球状にかたまっていること)だ!」

ベイトボールの周りでは、なにか大型の魚がギラリギラリと反転しながら、狂ったように襲いかかっている。それも1匹とか2匹じゃない、かなりの数だ。 またとない絶好のチャンスが目の前にあった。

笑いが止まらない

すぐにフライをベイトボールの奥にキャストし、弱々しく泳ぐ小魚をイメージしてフライを泳がせた。康友丸の中島船長に教わった方法だ。

ベイトボールの横をかすめるように引いてくると、エメラルドグリーンの魚体をしたヤツが、フライを食った。ぐっと心を落ち着けてアワセを入れると、グググッと確かな手応えが手元に伝わってきた。

「よし、食ったぞ!」

後ろを振り返って弘子に叫んだが、波の音で僕の声はかき消された。このままバラしたんじゃ、夢物語だと鼻で笑われてしまう。なんとしてでも釣り上げねば。ヒットと同時に魚は走り、必死に抵抗する。岩でラインが擦れてしまわぬよう、強引に魚の引きを堪えた。

「頼むからこれ以上暴れないでくれ。」

魚が左右に走るたび、冷や汗が額ににじみ出た。魚の突っ込みに耐えながら5分ほどやりとりをしたところで、魚が一瞬スキを見せた瞬間に、波にのせて陸に上げた。それは本命のヒラスズキでもヒラアジでもなく、なんとハマチ(関東ではイナダ)だった。

釣り上げたハマチをぶら下げて、弘子の元へ向かった。予想外の獲物が釣れた僕は満足感でいっぱいだった。こみあげてくる笑いが止まらない。これからは毎回神社でお清めをしてから釣りに出かけるのが癖になりそうだ。魚が痛んでしまわぬよう氷をたんまりと買い、発泡スチロールに詰め込んで帰路についた。

宮崎の海は、僕にとって非常に魅力的だった。

横浜、東京、千葉にまたがる東京湾の海は人工的に整備されている。立ち入り禁止だったり、釣り禁止の場所がほとんどだ。埋立地が大半のため海岸は直線的で、陸から釣れるポイントを探すのは大変だ。

ところが宮崎では少し歩き回るだけで十分に素晴らしいポイントを釣り歩くことができた。自然あふれる宮崎の海は入り組んだ地形が多く、ポイントを探しやすい。漁港、磯場や砂浜、河口など変化に富んでおり、フライで狙える対象魚も非常に豊富だ。

なにより、地元の釣り人たちの人柄にはちょっと感動した。港の堤防でエサ釣りをしていた人に話しかけ、東京から遊びに来ていると言うと、親切に周辺の釣り場を教えてくれた。

海でフライフィッシングという珍しさも手伝ってか、僕が港でフライロッドを振っていると、いつのまにか周りに人が集まってきて、あれこれ話しかけられた。帰り際にハマチ片手に挨拶をしたときは、皆さんが自分のことのように喜んでくれた。こんなに気持ちのいい釣りをしたのは、本当に久しぶりだった。

その日の夕方からは、弘子の親戚が実家に集まり、僕のお披露目バーベキューが行われた。テーブルの上には、今日釣ってきたハマチの刺身も並んだ。

「本当に釣ったの? どっか、そこらのスーパーの魚じゃないの?」

お父さんに茶化されながらも、僕はなんとか魚を持ち帰れたことに、胸をなで下ろしていた。

ひとつ、僕にはとても重要な仕事が残っていた。僕はまだご両親に、「娘さんと結婚させてください。」とお願いをしていなかった。

お母さんが集まった親戚に僕を紹介してくれた。

「こちらが弘子の旦那さん。」

僕はまたしてもタイミングを失った。



【重版出来】

山と河が僕の仕事場頼りない職業猟師+西洋毛鉤釣り職人ができるまでとこれから

職業猟師+西洋毛鉤釣り職人 牧浩之 =著

川崎生まれの都会っ子が宮崎県・神話の里へIターン婿入り移住。驚きと発見に満ちた日々を底抜けに明るい筆致でさわやかに綴る。21世紀のおとぎ話、書評多数!

山と河が僕の仕事場 2みんなを笑顔にする仕事

NHK全国/TV宮崎/宮崎放送他に登場
書き下ろし最新作!

職業猟師+西洋毛鉤釣り職人 牧 浩之 =著
1977年川崎市生まれ。2011年 宮崎県高原町へ移住。わな猟と銃猟で鳥獣を捕獲し、毛鉤の材料に加工する職業猟師+毛鉤職人。高原町鳥獣被害対策員。ヘビメタ猟師。

ISBN 978-4-939003-69-1 2017年2月28日発行
A5判 192頁 本体価格 1,600円 フライの雑誌社刊

重版 山と河が僕の仕事場|頼りない職業猟師+西洋毛鉤釣り職人ができるまでとこれから(牧浩之著)
新刊 『山と河が僕の仕事場2 みんなを笑顔にする仕事』(牧浩之著)
日南海岸に広がる有名な〝鬼の洗濯岩〟で、あこがれのヒラスズキを追いかけた。宮崎の海はあまりに澄んでいた。