クロスオーストリッチとシンクロニシティ

世の中にはシンクロニシティというものがある。共時性と訳される現象のことだ。「意味ある偶然」とも言われる。

たとえば、今夜ワカサギの天ぷらを食べたいなと思って釣りに行ったらワカサギがたくさん釣れた、というのは共時性とは言わない。好きな女の子の帰りを吉野家の角で待っていたら、予定通りに女の子が現れたので胸ドキドキしながら声をかけた、というのも違う。それは待ち伏せだ。夜中の新宿を酔っぱらってふらふら歩いていたら、巨大な白人に目の前を通せんぼされて「カマン・ボーイ」と誘われて困り果てたというのももちろん違う。それは自業自得だ。

『フライの雑誌』第90号では、島崎憲司郎さんの新しいスタンダードフライ「クロスオーストリッチ」を特集した。この〝新しいスタンダードフライ〟という呼び名は編集部が勝手につけたものだ。島崎さんご本人の考えとはずれているかもしれない。とにかく、よく釣れるフライだ。

このフライを編集部ではこの半年間ずっと追いかけていた。なにしろタイイングが簡単で、しかも単純でありながらフライとしての造形の魅力、機能美と発展性をも兼ね備えている。誰しも巻いて使ってみたくなるのは道理である。

読者からの反響も大きかった。雑誌が出た直後に全国のフライショップ店頭から、クロスオーストリッチの材料にする上質のオーストリッチ(ダチョウの羽根)がすうっとなくなったらしい。本誌ではふだんこういう現象はほとんどない。誌面へ誰かが物理的に反応してくれるのはうれしいものだと知った。

島崎憲司郎さんが群馬県桐生市にスタジオを構えて、世界中へ数々のオリジナルプロダクツをリリースしていることは、フライフィッシャーなら知らない人はいない。桐生は現役世界最高齢のバンブーロッドビルダーにして、当世随一のユニークなバンブーロッドを作る中村羽舟さんが生まれ育った土地でもある。そして羽舟さんの竹竿工房は、島崎さんのスタジオから目と鼻の距離にある。

桐生市は、むかしから独立の気運つよい文化度の高い土地柄だ。文・写真・イラストすべてを島崎さんが手がけた、古典的名著にしてベストセラー『水生昆虫アルバム』では、ご自身が育った桐生と渡良瀬川への想いが熱く語られている。

桐生の地元紙『桐生タイムス』が「行き合いながら」というタイトルの記念企画特集を組んだ。〝わたしたちの足元から二、三歩先の、ほんの身近なつながりから、縦横へと展開されてきたこのまちの物語〟がリード文だ。第1回は、島崎憲司郎さんの桐生での来し方と、羽舟さんとの親交に焦点をあてている。「異能の人びと」という見出しがお二人にあてられた。

紙面には島崎さんのフライキャスティングの写真がカラー見開きで掲載されている。島崎さんの手にする羽舟竿から放たれたフライラインが水面すれすれに滑らかにのびており、はるか先で一羽のセキレイが、頭上をするすると伸びるフライラインを、不思議そうに首を傾げて眺めている。そこらのフライフィッシング雑誌ではお目にかかれないスーパーカットである。

『フライの雑誌』でシマザキフライの特集を組んだ同じタイミングで、島崎さんと羽舟さんの無二な交流を『桐生タイムス』でも大きくとりあげる。そこに二重三重のシンクロニシティ─「意味のある偶然」を感じる。

二つの才能がたまたま同じ時代に広い世界の同じ土地で出会う。そして出会ったことで、一人と一人それぞれでは得られなかったかもしれないあたらしい世界の扉が開き、さらに魅力的な仕事が生みだされ、次代へ残る。島崎さんが本誌に書いてくださったように、クロスオーストリッチの誕生も一種、偶然のたまものだった。文化の発展とは、こんなシンクロニシティの連続の上に、必然の僥倖が重なり合って作られていくものなのだろう。

『フライの雑誌』のような一風変わった雑誌を編集していると、世間の価値観や時間軸を飛び越えた場所を生きる天才や鬼才にしばしば出会う。

異能の人びとと同時代のわたしたちもまた、与えられた必然を生きている。

『桐生タイムス』「行き合いながら」第1回より
89号
89号 クロスオーストリッチ初登場
90号
90号 いまだに売れ続けている号