アメリカの竹竿職人たち アメリカン・バンブー・ロッド工房探訪記

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14人のバンブーロッドビルダー、そのロッドと人となり

阪東幸成(著)

A5判 416ページ 並製本 表紙2色 本文2色/4色 税込価格3,990円(本体価格3,800円)

ISBN 9784939003059


内容紹介アメリカのバンブー・ロッド・ビルダーたち14人のロッドと人となりを見事にとらえた文そして写真。368ページにわたってビルダーたちの工房、製作シーンなどを紹介しています。また各ビルダーの作例全29本をカラーページに収録しています。これほど広範囲にビルダーを取材した例はアメリカでも見あたりません。

この『アメリカの竹竿職人たち』を読むことで、それぞれのビルダーたちの強烈な個性、アメリカのバンブー・ロッドの歴史、その懐の深さを知ることができるでしょう。感動のノンフィクション!


目次

第一章 頑固な男たち
ボブ・サマーズ-Bob Summers ヤング生まれ、ディッカーソン育ち
ゲーリー・ハウエルズ-Gary Howells 生きた伝説

第二章 レナード神話
マーク・アロナー-Marc Aroner スーパー・モデル
ウォルト・カーペンター-Walt Carpenter バンブー・ロッドは癌を治さない
ロン・キューシー-Ron Kusse セントラルバレーの残党

第三章 ミシガンの巨星たち
ジム・シャーフ-Jim Schaaf メタルマン
タッド・ヤング-Todd Young ヤングの末裔 

第四章 師匠と弟子
ホギー・カーマイケル-Hoagy Carmichael ブロードウェイとバンブー・ロッド
ダリル・ホワイトヘッド-Daryll Whitehead ノースウエスト・バンブー・ロッド塾

第五章 大いなる野望
トーマス・ドルシー-Thomas Dorsey 二人のトーマス

第六章 生きつづける伝統 
グレン・ブラケット-Glenn Brackett 名のない名工

第七章 この世に生きている竿
マイク・クラーク-Mike Clark アニタ・レイの呼び声

第八章 バンブーロッドに未来はあるか
マリオ・ウジニッキ-Mario Wojnicki 野菜としてのバンブー・ロッド
ペア・ブランディン-Per Brandin 四角四面も悪くない

アメリカの竹竿職人たちのロッド全29本作例一覧
アメリカの竹竿職人たち/1999年8月現在の工房所在地
参考文献/あとがき

抜粋

14ページ「第一章 頑固な男たち」より
頑固な男たち物づくりにたずさわる人を語るとき、われわれはしばしば「頑固一徹な職人」という表現を使う。大量生産・大量消費のこの時代、すでに「職人」という言葉に失われた手作業への郷愁がある。そこへさらに「頑固一徹な」という形容をつけ加えるのは、その職人に多分の知見に裏づけされた頑なな本人流のやり方を期待するからだ。多分の知見とはつまり、長年にわたる数知れない試行錯誤のことである。職人は試行錯誤のくり返しの果てに、揺るぎないある一つの型に行き着き、その独自のやり方にこだわることが結果的にわれわれの目に「頑固一徹」に映る。

一方、その過程を職人側からみると、期せずして頑固一徹になってしまったという必然的経緯がある。ヒトという生物はそれぞれに異なった知能、感覚、体型を持っているもので、一つの結論に行き着くためにはそれぞれがそれぞれのルートを辿らなければならない。つまり百人の職人には百通りのやり方があるのだ。そんな事情から職人は頑固一徹にならざるを得ないというのがむしろ必然であり、他人に何をいわれようが、自分には自分のやり方しかあり得ないのである。

さらに、作ってもらう側にはその職人のやり方がベストだと信じたい願望がある。良質なバンブー・ロッドはいつの時代も高価なものだ。一本のバンブー・ロッドの価格はときに家計におけるひと月分の給料を上回る。そんな状況にあって妻君への言い訳や嘘が必須なのは当然のこととして、それより重要なのは自分を納得させる理由だ。

一本のバンブー・ロッドを所有するに至る経緯は人によってさまざまでも、その竿を作る職人の評判を気にしない釣り人はおそらくは少数派であろう。竿の出来映えがよくて、しかもその職人が「頑固一徹」と聞くと、購入する側は妙に安心するものなのである。

実際、バンブー・ロッドの性能というものはじつに判定しがたいものだ。都心の店では試し振りもかなわず、あるいは地方にしたところで、鍵のかかったショーウインドウのなかから厳かに取り出されたぴかぴかのロッドを店の前の駐車場で恐る恐る振っただけでは、そのロッドの味わいなどわかるはずもない。そうなると残された判定方法はロッドの見映えと製作者の評判なのである。

バンブー・ロッドを語るとき、フライショップの主は妙に声を落として神妙な顔つきをするのものだ。それは、六ケタのプライスタグをつかんで清水の舞台から飛び降りようとする者がそれなりの舞台設定を必要としていることを知っているからなのである。

竿を作る方法に頑固一徹であることと、その人物が性格的に頑固であるかどうかは、また別な話だ。しかし、ここに挙げた二人の男はどんな点から見ても正真正銘の頑固男。おそらくは年齢によるところもあるのだろう。齢を重ねて人生のゴールが見えてくると、だれしも自分の生き方が最善だったと思いたがるらしい。しかし、それにしてもこの二人はつくづく頑固であった。アメリカ人は幼いうちから自分の主張を明確にする訓練を受けており、年齢がそれに輪をかける。本当は大きな声で「頑固ジジイ」と言ってしまいたいところをぐっと押さえて二人のことを書くと、次のようになる。

260ページ「第六章 生きつづける伝統 グレン・ブラケット 名のない名工」より
グレン・ブラケットモンタナはツインブリッジスにあるウィンストン・ロッド・カンパニーを訪れたのは八月なかば。ニューヨークやサンフランシスコのビルダーを訪れるなら季節は考慮の外である。しかしモンタナとなると話は別だ。六月下旬のグリーンドレイクのハッチに合わせて行きたかった。けれど、そういった都合のよいことが上手くいくはずもない。結局ぼくはバッタの跳ね回る真夏のモンタナに飛び込んだ。ハイウェイからダート・ロードを約四十分。砂煙をあげながらひた走った。一台の車とすれちがうこともなく、ボンネットに反射する太陽がただただ眩しかった。

ツインブリッジスはおそろしく小さな町だった。町の真ん中にある三叉路から南北におよそ二キロ弱が町のすべて。きっと住民全員がウィンストンで働いているんだとぼくは思った。真昼のツインブリッジスは太陽に灼かれて動くものの気配がなかった。

町の購買店でガソリンを入れて、ホットドックを買って、ウィンストンはどこかと店員に尋ねた。ハイティーンのその娘は気怠そうに、

「外に出たら屋根が見えてるんじゃないかしら。この道の少し先の右側よ」と答えた。

ウィンストンの社屋は購買店から三〇秒南にポツリと立っていた。ツインブリッジスの南のはずれである。ウィンストンらしいグリーン基調の素敵なログハウス調の建物。前庭の芝生では社員らしき二人の男がキャスティングをしていた。オレンジ色のラインが鋭角なループで暑く乾いた空気を切り裂き、ロッドが前後に往復するたびにエメラルド・グリーンのシャフトがギラリと太陽を反射した。

ある日、ひと抱えの段ボール箱がぼくの自宅に配達された。差出人はウィンストン・ロッド・カンパニー、グレン・ブラケット。先だつ一週間ほど前にブラケットと初めて電話で話した際、彼は「いい資料があったら送るよ」と気軽に言ってくれた。けれどぼくはアメリカ人特有のリップ・サービスと思って聞き流していた。だからゲータレイドのカートン・ボックスに入って配達された大量の資料を見て驚いた。

中身はアメリカン・フライフィッシング博物館発行の「アメリカン・フライ・フィッシャー」の約一〇年分のバック・ナンバー、「アンティーク・アングラー」というニュース・レターの数年分、その他バンブー・ロッドに関する記事の掲載されている雑誌(たとえば、バンブーの特集が掲載されている「ナショナル・ジオグラフィック・マガジン」 の一九八〇年一〇月号。竹林のなかで剣道着に身を包み、竹刀を抱えた二人の日本人の写真が表紙。特集のなかに出てくるホギー・カーマイケルがなんとも若々しい)、各メーカー発行の古いカタログ、一九六〇年発行でバンブー・ロッド製作の方法が記載されている当時の数少ない教本であるジョージ・ハーター(George L. Herter)著「シークレット・フレッシュ・アンド・ソルトウォーター・フィッシング・トリックス・オブ・ザ・ワールズ・フィフティ・ベスト・プロフェッショナル・フィッシャーメン」(やたらに長いこの題名にさらに 「プラス・ザ・プロフェッショナル・シークレッツ・オブ・フィッシングロッド・アンド・ハウ・フィッシングロッド・アー・メイド」 というこれまた長い副題がついている)などなど。

バンブー・ロッド関連の資料集めに奔走していたぼくにとってはまったくありがたくも貴重な資料群であった。しかし、困ったことがあった。ウィンストンの資料が少ないのである。ぼくがブラケットに期待したのはとくにウィンストンの歴史にまつわる情報だったのだが、どうやら彼はバンブー・ロッドに関するぼくの情報収集全体を手伝ってくれるつもりのようで、ウィンストンに限らず彼の手持ちの資料を無差別に詰め込んだらしかった。ブラケットは資料を送ってきたけれども、ぼくの胸には「親切」とか「信用」といった言葉がとどいた。一度手紙を出し、一度電話で話しただけの人間を全面的に信用して貴重な(ビデオなども含めて)資料を送ってくるといった行為は、ぼくらがずいぶん前に置き捨ててきた何かであるように思えた。ウィンストンやブラケット自身に関する情報は少なかったけれども、ブラケットがぼくにしてくれたことははからずもブラケット自身を語っていた。

「グレン・ブラケットと約束しているんだけど」

受付でそう言うと、

「グレンはバンブー・ロッド工房にいて、ここじゃないの」

と受付嬢(ほかの仕事も兼ねている)は明るく言って、工房へ電話をかけてくれた。

工房にはいないらしく、あちこちへ連絡してくれている間、ぼくは入り口のすぐ右にある資料館を見て回った。ウィンストンの創始者ルー・ストーナーの大きな写真があり、トム・モーガンが、グレン・ブラケットが、壁に吊り下がっていた。壁にはバンブー・ロッドの製作手順とその各過程でのバンブーのサンプルが飾られ、床にはかつてウィンストンで使われた古びたミリングマシンやラッピングマシンが陳列されていた。一階の資料館のほとんどはバンブー・ロッドの歴史で、二階には釣りに関する全般的な資料が並べられている。夏の間は毎日午後二時から案内付きの施設内ツアーがある。

バンブー・ロッド工房は本社屋からおよそ五〇〇メートル離れたところにあった。街道沿いの郵便局の裏手だ。本社屋とちがってウィンストンの看板も何もなく、ひたすら地味な建物である。

先客がいた。ミシガンからやってきた夫妻で、夫がバンブー・ロッド製作に入れ込んでいるのだった。その男はそれぞれの製作過程で使用するさまざまな道具や機械を自作していて、それらを車に詰め込んではるばる三〇〇〇キロの東からやってきたのである。その狂熱を理解するように、ブラケットは男の話をじっくりと聞き、一つ一つにていねいな受け答えをしていた。竿づくりのそれぞれの過程にはちょっとした秘訣や工夫が必要であることが多い。ブラケットはそんなコツを惜しげもなく男に教授し、男は食い入るようにそんなブラケットの話に聞き入っていた。

「ウィンストンには企業秘密はないのか?」

あまりに素直なブラケットの受け答えに、男は満面に笑みを浮かべながら冗談半分にブラケットに語りかけたが、ブラケットは真面目な表情で、

「いっさい秘密はない。教えられることはすべて教える」

と答えた。この姿勢はぼくへのメールと同じ信条にもとづくものだと思った。男は最後に、次にどんなことをすればいいだろうと質問した。

「もう一〇〇本作ることだね」

ブラケットの回答に、男はちょっと戸惑ったが、

「そりゃ無理だよ、ウィンストンが売ってくれるわけじゃないし」

と明るくジョークで返した。けれどぼくはこのブラケットの回答は彼の本音だと思う。やっぱり数をこなさなければ出てこない結論があるのだ。

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