フライの雑誌ー第106号の連載でカブラー斉藤氏が「わしも50になった」というタイトルのエッセイを書いていた。
’95年に初代カブ号に乗り始めてから20年経ち、まあ21年目ではあるが当時30だったわしも50になった。
という書き出しで始まる。
50と言えばちゃんとした企業でまともに出世してれば部長ぐらいにはなっててもおかしくはない年である。
と続けている。
カブラー氏は、ふつうの人が心の内側で気にしていることや、できれば指摘してほしくないと思っていることを、何事でもないようにするっと書く。当然、受け手のこころにゆとりがなければ、そんな埋もれた腫瘍をつまみだすような文章を読んで愉快ではないに決まっている。だから連載中のトラブルも少なからずある。それがブンガクのやり方か、という気も少しだけする。
カブラーは書かなくてもいいことを書くけれど、おおむね間違ったことは書かない。(だから始末がわるい。)
50と言えばちゃんとした企業でまともに出世してれば部長ぐらいにはなっててもおかしくはない、とカブラーが原稿に書いてきたとき、ちゃんとした企業でまともに働いたことのないわたしは、企業といっても色々あるだろうけど(まあそんなものなのかな)と思った。実感がなかった。
そんなわたしは2018年の今年になってふと、この106号のカブラー斉藤氏のエッセイを思い出した。わしも50になったのだ。正直申し上げて信じられない。
10代のとき、わたしの人生は20歳までに何ものかになるだろうと思っていた。何ものにもならず20代になったとき、このまま30代になったら今度こそ終わりだと思った。30代になったらもうすでに投げっ放しで、何ものになろうという気も失せていた。40代になったときは、おれのお父さんは49で死んだからあと10年ないんだなと思った。だからといって何もせず、そんな感じで50になってしまった。もちろん何ものにもなっていない。
ちゃんとした企業でまともに出世して部長ぐらいになっていれば、自分は何ものかである、と胸を張って言えるのだろう。カブラー斉藤もわたしも、そういう人生は歩んでいない。
カブラー斉藤は、50になったとき、「おじさんもそろそろちょっとぐらい贅沢してもいいんじゃないかな」と考えた。そこで、毎年恒例の北海道遠征のカーフェリーで4名定員の個室を一人で借りきり、優雅にフライをタイイングしながら上陸した。移動手段は相変わらず雨風をしのげないカブ号ではあるが、ついにこの年、自己記録更新の97センチのイトウを釣りあげた。さらに自分へのご褒美として「ヒメマス定食の上」を食堂でオーダーして、うまいうまいと食べたのである。
すごい贅沢じゃないか、と素直に思う。
生きていればだれでも岐路に立つ。右に行くか左に行くか、進むか戻るか、間違えちゃいけないときに必ず間違える人がいる。(それが政治家だったりすると最悪だ)
つかず離れず四半世紀くらいつきあってきて、彼の人生の浮き沈み(沈みっぱなし?)を多少は知っているつもりのわたしが思うに、カブラー斉藤は人生の大事なところで間違えていない。
我が身を振り返って、ではどうだろう。
50になったわたしは、ちゃんとした企業の部長になれなかったし、97センチのイトウも釣れていない。わたしの50になった贅沢は。ご褒美は。ヒメマス定食の上はなんだろう。
話はかわるが、うちの妻はとっくに解散した昭和の某男性アイドルグループが、小学生の頃からのお気に入りだ。ソロになって今も活躍しているボーカルが、あたしにとって永遠のアイドルなんだという。
50とっくに過ぎてるそのアイドルから、しょっちゅうLINEでメッセージが送られてくると言って喜んでいる。どんな内容なの?と聞くと、チケットあるよ、とかグッズ買ってね、とか好きだよ、とかだという。
それってただの営業じゃんとわたしが呆れると、「○○ヤのことはみんな大好きなんだよ。」と頬をふくらませる。「じゃあパパも武道館満タンにしてみなよ。」
いやいや、そういうことじゃないでしょ。おれ歌手じゃないし。編集者だし。
去年の秋から、次の単行本のことでずっと頭を悩ませてきた。2006年春に第一弾を出して、あっという間に売り切れた『海フライの本』がある。第二弾の『海フライの本2』を翌年にだしてこれもすぐに売り切れた。縁起のいいシリーズだ。
たっぷり素材がたまっている『海フライの本』の第三弾を出したいのだけれど、どういう編集の方向に持って行けばいいか、考えすぎちゃって行き詰まっていた。
それが年が明けて、一気にふっきれた感じになった。大きな仕事の壁は厚くて重い。どんなに苦しくても諦めずにコツコツと叩き続けていれば、そのうち突然ぽっかりとでっかい穴があく時がくる。『海フライの本3』のブレイクスルーが来た。
海のなかの春は人知れず進んでいた。
これならいける。
武道館満タン間違いなしだ。