あの川のあの場所で自分の釣りたい釣り方で、納得できる魚を一匹釣りたい。ほかの川のほかの釣り方でたくさん釣れても意味がない。
とか言ってるから、解禁からボウズ続きなのは分かってる。分かってるの! イッピキでいいの!
渓流釣りの解禁日にエサ釣りで平均20匹、いちばん釣れた人は80匹以上! とかビニール袋へパンパンに詰め込んだアマゴを誇らしげに掲げてニッコリしてるおじさんを、ほっこりニュースで紹介するような時代じゃないです。とっくに。漁協もマスコミも行政も頼みます。釣れない釣り師のひがみじゃなくて。
「庄川上流域 アユよ再び ダムできて90年 遡上する魚消えた」
庄川では、一九三〇年に水力発電が目的の小牧ダムが完成して以来、海から遡上(そじょう)する魚が越えられず、アユは上流域から姿を消した。
上流の各漁協が清流を泳ぐアユの復活を望む中、県水産研究所が稚アユを放流しての調査を提案。県内初の試みとして県予算や国交付金を活用して進める。
放流したアユを目当てに釣り客が集まれば上流域の活性化が期待できる。流域ではイワナなど川魚を食べる食文化があり、
「放流したアユを目当てに釣り客が集まれば上流域の活性化が期待できる」、のだそうだ。水産の人には気の毒だけど、放流アユで釣り人は喜ばない。集まらない。地域活性化にはつながらない。
「期待できる。」と言うしかない現実があるのかもしれない。その元凶はダムだ。ダムは撤去できる。
マスコミも紋切り型ばかり垂れ流してないでもっと勉強してほしい。資料はあげます。
そういえば、昨年11月に行ったアユのドブ釣り(毛鉤釣り)シンポジウムで、東京都の水産行政担当者が講演者として登壇した。汚染で最悪だった時代の多摩川について、
「70年代にも多摩川にアユはいました。放流していましたから。天然アユが消えただけです。」
と言った。水産行政のそういう発言に、釣り人は納得してはいけないと、わたしは思う。
天然魚が消えても放流すれば大丈夫と水産が言うなら、自然を破壊する側と変わらない。