森田童子さんの訃報が効いた。談志やスーちゃんや清志郎が死んだときよりも効いた。自分は10代の終わりに〝かつてあったこんな音楽〟のひとつとして森田童子さんを知った。一時期、釣りに行かない日の一人の部屋で、極めて小さい音量で森田童子アルバムをヘビロテして天井とか壁を見つめて何もできないという完全に困ったちゃんないくつかの深夜の記憶がある。ああいうの二度とごめんだというのがその後の人生設計の基礎となっている。そこらへんの私的なもやもやがフラッシュバックしてきたらしい。
今はこんなだけど昔は高橋和巳くらい読んだ。だから森田童子さんといえば出来がいい作品ではないと思うけど「孤立無援の唄」だ。森友の佐川さんの学生時代の愛読書が高橋和巳だって聞いた時は、いろいろとそりゃあんまりだと思った。だって高橋和巳を読んでいたなら、あんな見え見えの嘘をついた彼は、いつから死んでいたんだろう。なんのために死んだんだろう。そんなことを考えた。
で、その反動で昨日の本欄を書いたら、ウケた人にはウケたみたい。よかった。新しい読者もぐんと増えた。注文もいただいた。でも、おそらく四人くらいの新規の読者は失ったかもしれない。筆力はともかく、なにかを書いて万人にウケようなんて無理な話だ。色んな人がてんでの思いのもとにそれぞれ勝手なことを言ったりやったりできる環境が担保されているのが理想の社会だという個人的な信条はあるにしても、じつはそれなりに傷つきやすい中年でもあったりする。お前の書くもの面白くない、わからん、つまらんと言われて平然としてるほどえらくない。それに、大して面白くもないと分ってるどうでもいいものを性とはいえわざわざ公開して、自分の作ってる出版物の足を自分で引っ張ってどうする、という自営業者としてあたりまえの分別くらいはある。
というわけで、昨日の午後は近所の多摩川へ5番ロッドを持って釣りに行った。魚は釣れなかったけど、生き返った気分だ。多摩川ありがとう。『フライの雑誌』の創刊編集長の中沢孝さんが晩年に病気になってから妙に多摩川へこだわり始めて、いっしょに奥多摩や中流域へ何回も何回も行った。おれはまだ生きるけどね。帰りの車の中でかけたのは森田童子さんではなくてランキン・タクシーさんだった。エイヨウヤロウ。
仕事場に帰ってきたら直送便の申込メールと単行本の追加の注文がいくつか入っていて、いそいそと、いそいで手配した。編集者なんて単純な生きものだとつくづく思う。ありがとうございます。新潟のパーマークさんから第113号の追加を、渋谷サンスイさんから「海フライの本3」の追加をいただきました。心配だった直送便は、旧定期購読と同じくらいの申込数になってきました。助かりました。重ねてお礼申し上げます。これからもよろしくお願いします。114号は明日から発送作業を始めます。114号に関わってくれたみなさんにもありがとう。
・・・
弊社は地球にやさしいをモットーに、ヒトモノカネを常にギリギリで回しているため、雑誌発売前のご予約の様子でギリギリの部数を印刷して売り切れたらごめんなさいという、ギリギリ・プリント・システム(G.P.S.)を採用しています。できれば [フライの雑誌-直送便]あるいは、お近くの販売店さん・ネット書店さんへご予約をお願いします。
・・・