【公開記事】夜のお嬢さん(『葛西善蔵と釣りがしたい』から)

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夜のお嬢さん

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ここ数年、釣りの先生役をやらされる機会が増えた。わたしは教えるべきなにも持っていないし、本来釣りなんて、誰かに教わるものじゃないだろうと思うが、いきがかり上そんな立場になる。

世の中に「先生」と呼ばれる立場のひとは多い。星の数ほどいる先生のなかで、いちばんエラいのは保育園の先生であると断言できる。自分が保育園へ子どもを預けてそのように思い知った。たいへんだけどやりがいのある、夢をもって取り組めるすばらしいしごとだ。保育園の先生に比べたら大学の先生なんてオタマジャクシみたいなものである。生まれかわったらわたしは保育園の先生を目指したい。

先日、知り合いのおじさんを介して、若い女性にフライフィッシングを教えることを頼まれた。

早朝に待ち合わせ場所の管理釣り場に着いてみると、知り合いのおじさんの黄色いポルシェがとまっていた。ドルドルというアイドリング音が低く響いている。今日はとりわけ寒い朝だからヒーターなしではいられない。

ポルシェの中から、毛皮のショートコートを羽織った金髪のお嬢さんが出てきた。最初一人、後からもう一人。二人とも生脚にミニスカート、折れそうなヒールを履いている。あんまり釣りする格好じゃないですね。チワワのようにがたがた震えている。かわいそうに。

その後ろから、知り合いのおじさんが上等そうなコートの襟を立て、恰幅のいい身体を揺すってどっこらしょっと降りてきた。わたしに片目をつぶってヨッと手を上げた。なるほどそういうことですか、さては六本木から直行してきましたね。

とりあえず初対面のあいさつをする。

「はじめまして。こんにちは。」

「まあちゃん一九歳でぇす。」

「あ、奇遇ですね。ぼくもまあちゃんです。」

「ハ、ハハ。」

寒いためか反応いまいち。ていうかおれこういう状況は苦手です、知り合いのおじさん。

まあちゃんの方をわたしが、もうひとりのゆみちゃん(たしか)を知り合いのおじさんが担当することになった。じつはわたしにはまあちゃんとゆみちゃんの区別がつかなかった。背の小さい方がまあちゃんかな、くらいで。

まあちゃんは舌に金属片を刺していたが、釣りをするには支障がない。しかし手を見てがくぜんとした。長さ三センチくらいあるピンクのつけ爪が全部の指に生えている。シザーハンズのようだ。これではフライロッドをグリップできないではないか。仕方ないから、まあちゃんの背中側に回って、いっしょにフライロッドを支えてあげた。いい匂いがしたが不可抗力だ。

フライフィッシングの初心者を相手に、「まずインジケーター(目印)の釣りで一匹釣りましょう。」と提案する先生役は多い。フライを水中に沈めて浮きでアタリをとる釣り方だ。

一見簡単そうだが、じつは目印がある分、キャストはやりづらいし、目印の水面へのなじませ方、流し方にちょっとしたコツがいる。釣りの経験があればなんてことなくても、初心者の場合は、とくに流れのある場所ではインジケーターの釣りは手強い。

初めてフライフィッシングをする人には、できればドライフライで釣ってほしいと常々思っている。水面は魚と人との棲みかを分ける結界だ。自分の投じたフライがその結界を切り裂く快感は、まるで全能の神になったかと思うほどだ。この喜びや驚きはドライフライ・フィッシング以外にはちょっとない。

扱いづらいインジケーターの釣りよりも、ドライフライをウキに見立てたドライフライフィッシングのほうが、はるかにカンタンで楽しくて印象的だと思う。水生昆虫が少ない季節でも水面にドライフライを置きさえすれば、意外にマスは好反応を示してくれるものだ。

この管理釣り場は湧水を水源にしている。外気温は低くても水温は年間を通して一〇度くらいと、マス類に適した状態を保っている。冬場でも水生昆虫がぽつぽつと出るために、マスたちはライズをしていなくても水面のエサを意識している。

というわけで、この日も寒かったが迷わずドライフライを選択した。まあちゃんの背後にまわり、いい匂いにくらくらしながら(不可抗力だ)、二人羽織状態で竿の扱い方を教えてあげた。

竿はこうして握ります。やさしく包み込むように、ほら。

まあちゃん、筋がいいみたい。すぐに一人でフライロッドを振り回し始めた。釣り始めてしばらくして、ドライフライで大きなマスをふつうに釣った。

まあちゃん、めちゃくちゃ強引にグイグイ引っ張ってネットインさせ、両手でマスを地面に押しつけビタビタさせてドヤ顔だ。やった、すごい、よく魚にさわれるね、とおおげさに驚くと、

「地元でやってたもん。」

とのこと。山形だそうだ。そうでしたか。

まあちゃん、釣った魚を握りしめたまま、

「これ食べたい!」

と主張した。じつはこの時点ですでにいろんなことが面倒になりつつあったわたしは、

「食べるんだったら自分で殺してね。」

と言ってみた。

するとまあちゃん、マスの横っ腹をヒールでぎゅうと踏んづけて、そこいらの大きな石を拾って振り上げるとマスの頭にガッツン打ち下ろした。躊躇がない。もちろんマスは即死。エラから真っ赤な血がどくどくと噴出した。

マスの鮮血がしたたっている石を握って仁王立ちのまあちゃん、首だけ回してこっちを向いて、

「あたしS入ってるから。」

たいへん失礼しました。

結局、まあちゃんもゆみちゃんも、釣りは一時間足らずでダウン。レースのワンピースにジャケットを羽織っただけで、外気温零度に耐えられるはずもない。しかもアフターで眠かったようだ。

短い時間だったが先生役がいいから釣りはそこそこ楽しんでもらえたと思う。だけどまあちゃんにフライマンかっこいいと思ってもらえたかというと聞くの忘れた。

こういう〝フライ教室〟もごくたまにならいいものだ。

しかしこの日は知り合いのおじさんが、右にまあちゃん、左にゆみちゃんの肩を抱いて、

「さむい? ん? 大丈夫かな?」

とか言いながら黄色いポルシェでビューンとどこかへ消えて行ったのが、不愉快といえば不愉快だったかもしれない。

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単行本「葛西善蔵と釣りがしたい 所載

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