おいもを買う
単行本『葛西善蔵と釣りがしたい』所載
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「い~しや~きいも~。おいも。ほっかほかのおいもですよ。おいしいくりいもですよ。おいも~。やけた~。さあいらっしゃい。いらっしゃい。」
編集部のある日野の外れは田舎なので、昔ながらの石焼いも屋さんが回って来る。煤けたエントツを荷台にたてた軽トラのおじさんが、毎週日曜日の午後二時きっかりにやって来る。引っ越してきて間もない頃においもを二、三回買ったら、これは客だとおじさんにインプットされたらしい。
以来、おじさんはやって来ると編集部の目の前の道路に軽トラを駐車して、おいもの歌を大音量で流すようになった。こちらが買いに行くまで待っている。この近くでわたし以外においもを買っている人は見たことがないから、明らかにわたしをねらい撃ちだ。
そんなわけで、わたしが編集部にいるときにおじさんが来たら、かならずおいもを買いに出てゆくのが決まりになっている。おじさんが下の道路へ来ているにもかかわらずおいもを買わないと、なんだか居留守を使っているようで落ち着かない。たまに出張で日曜日に留守にする時などは、出張先の空の下で、今ごろおじさん来てるかなと、気になる。
おじさんのおいもはまったく立派でおいしいのだが、念のために言うと、わたしはそんなに毎週おいもを食べたいというわけではない。
そのうちピンポンが鳴って出てみたら、おじさんがうちの玄関先へ立っているかもしれない。むしろその方が楽でいい。
先日のことだ。おじさんがいつものように前の道路へ来ておいもの歌を流した。わたしを待っているのは分かっていたのだけれど、わたしは誰かと電話をしていて出られなかった。おじさんはいつもより長めに待っていたようだ。電話を終えてあわててドアを開けて外に出たら、あきらめたおじさんの軽トラがおいもの歌を流しながら、ちょうど走り去ってゆくところだった。
ああ、おいも行っちゃった。仕事に戻ろうと玄関に入り、ドアを閉めたところで、後ろ髪を引かれた。重ねて言うが、わたしはそんなにいつもおいもを食べたいというわけではない。でもおじさんへ、ものすごく悪いことをしたような気持ちになってきた。軽トラの後ろ姿がどことなくさびしそうだった。
だからもう一度ドアを開けて、いそいで自転車を引っ張りだしてまたがり、もう小さくなってしまっていたおじさんの軽トラを追いかけた。ちなみにわたしの自転車はママチャリだ。
軽トラはすぐに角を曲がって見えなくなった。しかしおいもの歌はまだ聞こえる。それを頼りに野生動物のように耳をそばだてて、十字路を右に行ったり左に行ったり、坂をのぼったり降りたりして、けっこうな時間を(二〇分くらいか)、探しまわった。
けっきょく軽トラは見つけられず、その内おいもの歌も遠くなり聞こえなくなった。わたしは肩を落としてとぼとぼと自転車を引きずって帰った。おれなんでこんなことしてんのかな。
次の週は、午後一時半になったらこちらから電話をかけるのをやめた。かかってきても出なかった。午後二時少し前になったらあらかじめ玄関から外へ出て、おじさんが来るのを今か今かと待ち伏せしていた。午後二時きっかりになると、おじさんはいつものようにおいもの歌を高らかに流しながら現れた。
待ちかまえていたわたしはおじさんに言ってやった。
「このあいだおじさん自転車で追いかけたのに、追いつけなかったよ。二本ちょうだい。」
おじさんはニヤリと笑って軍手をはめた。
おじさんが釜の蓋をあけると、ぶわっとおいもの匂いがたちのぼった。
(了)
おいもを買う
単行本『葛西善蔵と釣りがしたい』所載
「フライの雑誌」オリジナルカレンダー(大きい方)、残り少なくなりました。