「沼行っていい? 沼!」

「沼行っていい? 沼!」

学校から走って帰ってきて、汗で髪の毛を濡らした十歳児が、ランドセルを降ろすのももどかしそうに、足を踏みならしそうな勢いで、かみつくように言ってきた。

〝沼〟とは、用水路の水があふれたできた水たまりだ。うちから自転車で五分のところにある。ブルーギルとブラックバス、コイとヤマベ、モロコの類いが、そこそこ釣れる。

二学期に入って以降、〝沼〟で釣りをするのが、十歳児と同級生たちの放課後のお決まりになっている。十尺くらいの万能小物竿と練り餌、スピニングリールとルアーロッド、それに少しのルアーが彼らの道具だ。

今年の夏休みは、週に二三度は彼らと一緒に〝沼〟へ行き、糸を結びオモリをつけ、練り餌を作ってやった。

バーブをつぶした十番のショートシャンクのフライフックを渡し、「これに食パンつけてスピニングで投げるとコイがくるぜ。」と教え、実演してみせたのはわたしだ。あの時は巨ゴイがばんばんかかって、その場にいた子どもらから、大受けに受けた。うちの十歳児は鼻の穴をふくらませていた。

そんな夏休みが終わって九月になったら、十歳児はわたし抜きで、勝手に友だちと〝沼〟へ行くようになった。前のように「沼行こうよ。」と誘わない。わたしの顔を見れば、一応は「沼行っていいか」と聞いてくるものの、わたしが家にいないときや、電話していて手が離せないときなどは、無断で〝沼〟へ行く。そうか。

上州屋で買った大人用の長靴を履いてばこばこ言わせながら、釣り竿を肩かつぎにして自転車へまたがる。仕掛け一式を入れたウエストバッグには、お古のデジタルカメラが入っている。「カメラを必ず持ち歩いて、いい魚が釣れたら写真を撮れ。」とわたしが言ったから。

ルアーでブラックバスが釣れたら最高、コイはパンを餌にすれば簡単に釣れる、どうでもいいのはブルーギル、モロコはわりと珍しい、釣ったことがないライギョは憧れの魚、というのが、子どもらの中での魚の序列だ。

結局、わたしが小学生のころの放課後と、あまり変わりばえのしない放課後をすごしているというだけの話だ。

夕暮れ濃くなったころに〝沼〟から帰ってくれば夕食、お風呂、すぐに子どもは寝る時間になる。パジャマ姿で歯をみがいているときに宿題が発覚、どうするんだと詰問されて「明日の朝に早起きしてやる。」といいかげんなことを言って切り抜けようとする。そして翌朝はもちろん早起きできない。これをほぼ毎日繰り返す。あたま悪い。

なんでこんな子になっちゃったんだろう。

そういう子に育てたつもりはないんだけどな、と十月の空を眺めて口笛でも吹こうと思う。

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釣りだけしてればいいのにね。「葛西善蔵と釣りがしたい」|釣り人なんてどうせはなから酔っぱらいである。
「葛西善蔵と釣りがしたい」|釣りをしてれば人生そんなに間違えない。