「FlyFisher」さん(つり人社)の最新号は面白かった。
パラシュートフライの風洞実験に凝りすぎて、「今月号は休刊寸前になった」という編集部は、はっきりバカだ。バカ大好きだ。
こういう釣り師目線での実証企画は、小誌の創刊以来の十八番でもあったわけだが、「FlyFisher」さんがそれをやるならば、「フライの雑誌」が知力財力気力体力ぜんぶでかなうはずがない。うちはほかのことをやります。
地球丸の隔月刊「フライロッダーズ」さんは、次号から不定期刊になったとのこと。以前にも書いたことがあるが、1998年の「フライロッダーズ」創刊号は、とんでもなく的外れで、ばかばかしく、いいかげんおふざけが過ぎていた。
当時流行だったバス雑誌そのものの、がしゃがしゃしたレイアウトの誌面を開いて、「なんだこの雑誌。編集部がフライフィッシングのこと全然知らないじゃん。ばかにしてんのか」と、心底呆れたのを覚えている。自分にはぜったいにこんな本は作れないと思った。とても羨ましかった。わたしには「フライロッダーズ」創刊号は、本当に面白かった。
こういう勢いのある競合誌が出現したとなると、この先「FlyFisher」陣営はどうするんだろうと、大きなお世話な心配をした記憶もある。他人様よりまず自分のこと考えなさいと言いたい。「降りてゆく生き方」という本は興味深かったが、配牌前からベタ降りの人生というのもどうなのか。雀卓に座る資格がないのじゃないか。
雑誌は生き物だ。〈あの頃のあの雑誌は面白かった〉というもの言いは、たとえは悪いが、死んだ子の歳を数えるようなものだ。もし「フライロッダーズ」創刊号が2014年の現在に出たとしても、冷笑されて瞬殺に決っている。
創刊当時の「フライの雑誌」界隈に溢れていた、編集者と読者と業界が皆んなで浮き足立っている、いても立ってもいられないようなフライフィッシングへの憧れにしたって、同じことだ。あの空気感をわたしはいまだに引きずっているから、いまだに雀卓にしがみついている。それはフライフィッシングの現在と未来にとってあまりよくないことのような気もするが、自分の人生の都合を優先しています。ごめんなさい。
「フライの雑誌」創刊が1987年。「FlyFisher」創刊が1988年。「フライロッダーズ」創刊が2001年。
「フライフィッシングは魚釣りだけが魅力ではありません。そもそも…」(長いので以下略)が「フライの雑誌」で、「釣りがうまい人が一番えらいに決まってる!」とスクワット始めるのが「FlyFisher」さんで、「何でもあり!何でもあり!」とキョロキョロしてたのが「フライロッダーズ」さん。00年代初頭の日本で、フライフィッシングの専門誌はにぎやかだった。
地球丸さんは昔から商売上手な版元だ。地球丸さんが今回「フライロッダーズ」を不定期刊にしたのは、ここ10数年来のフライフィッシング業界の沈滞を見定めた結果だろう。機を見るに敏というにはかなり遅かったにしても、そもそも儲かる見込みのないジャンルにしがみつく版元ではない。(余計なことを言うな)
一方、つり人社さんは、日本最古で唯一の釣り専門出版社としての意地とプライドはものすごい。「FlyFisher」さん一誌にしたって、あれだけのクオリティの雑誌を遅れもせず毎月きっちりと出し続けているなんて、まったく信じられない。ギネス級だ。市場がどうなろうが、儲かろうが儲かるまいが、とにかくうちは月刊で出し続けるんダ、広告出せオラオラ、的な分かりやすい体育会系ノリがある。
「フライロッダーズ」創刊号は本当に面白かったと言ったが、正直なところ、わたしは「ロッダー」より「フィッシャー」の方にシンパシーを感じているくちだ。季刊で変形判型のころからの「FlyFisher」さんの読者だから、いくら地球丸さんでもそこはしかたない。
計算高くて小器用な白い手のアナリストよりも、間抜けだけど好きなあやとりにはしつこいのび太と友人になりたい。といっても、つり人社がのび太だと言っているわけではない。あすこは基本ジャイアン体質だ。フライフィッシングにジャイアン体質は似合わないんじゃないか。ジャイアンにお似合いなのは、バスの競技釣りだ。(誤解です。余計なことを言うな)
「FlyFisher」さん、たいへんでしょうけれど、これからもがんばってください。「フライロッダーズ」さんも、不定期刊になってもがんばってください。
雑誌は不定期刊の方がやりたいことやれます。
なんといってもうちは不定期刊のセンパイですから(えへん)。
・
追記:その後、「FlyFisher」さんは2017年に月刊から季刊になりました。「フライロッダーズ」さんは2019年に版元の地球丸さんの倒産により廃刊となりました。
(2024.1.12)