『文豪たちの釣旅』(大岡玲著)と朝露の消えないしずく

〈鎌倉おやじ〉さんの厖大な本読みのレビューブログを以前より拝読している。読書の質と量とパワーに驚嘆するばかりだ。おそらく〈鎌倉おやじ〉さんも、読んだ本は脳のどこかにちゃちゃっとメモリされて、独自の分類法を施した上で自動的にアーカイブ化できてしまうタイプの方なのだろう。「ひとり脳内国会図書館司書状態」と名づけました。

これだけ読まれているのだから本の審美眼も常人とはかけはなれた鋭利さであるに決まっている。ありがたいことに、手練れのフライフィッシャーマンでもある〈鎌倉おやじ〉さんは、フライの雑誌社の出版物は丁寧にチェックしてくださっているらしい。

今回は小社刊大岡玲著『文豪たちの釣旅』をとりあげてくださった

文豪と言われる人たちと釣りの関係性を大岡さんの豊富な語彙で華麗に綴っている。おそらく開高健信者の中でもおそらく筆頭と言っても良いほどの方であろう。
個人的には登場する方の半分程の方の著作には触れた事があり、なるほど、え?そうなんだ、とか思いながら読み耽ってしまったのである。
非常に印象に残ったのは岡倉天心の章、六角堂近くの海での釣り、インドの女性詩人との文通。

大岡玲さんの文章の印象をひと言で表現するならば〝華麗〟。たしかにぴったりだ。

2012年6月初版の『文豪たちの釣旅』は、〈鎌倉おやじ〉さんが紹介してくださったように、小社とはご縁のなかった『Fishing Cafe』誌での2003年から2007年の連載がベースになっている。初出から10年近くたってフライの雑誌社がふたたび世の中へ出すお手伝いをさせていただいた。なぜか。

その理由は、ひとつは大岡玲さんが『フライの雑誌』を以前から読んでいてくださっていたこと。ふたつめは、『Fishing Cafe』誌をわたしも愛読していたこと。そしてもうひとつは、〈鎌倉おやじ〉さんが今回のエントリの冒頭に書かれている現代社会への思いを、大岡さんに知己をいただいた2011年末当時に、言語化できていないながらわたしも感じていた情況にある。

大岡玲さんが『文豪たちの釣旅』の「あとがき」で、そこを見事に言いあててくださっている。

2011・3・11の大震災、とりわけ福島第一原発の事故によって、私たちが住むこの国は、すべてにおいて、これまでとはまったく異なる状況に足を踏み入れることになってしまった。本書は、釣りというごく他愛ない娯楽について書かれたものではあるが、しかし、「朝露の一滴にも天と地が映っている」とも言う。お手にとってくださった方に、そんな一滴が届けば、と願っている。 大岡 玲

出版のしごとをしていていちばん幸せなのは、書き手と編み手と読み手が同じ価値観を本を通じて共有できることだと思う。『文豪たちの釣旅』は透明な朝露の消えないしずくを、心にずっと光らせつづけてくれる一冊だ。こんな時代だからこそ。(堀内)

きちんと努力していけばきっと事態は好転する。
少しはましな明日がやってくる 
(本文「池波正太郎 水郷・江戸の面影はいずこに」より)

文豪たちの釣旅 大岡玲
文豪たちの釣旅 大岡玲

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