なにか大事な忘れものをしているような…

数えていないがおそらくはもう20年近くフライの雑誌社で毎年作ってきた『フライの雑誌』の[オリジナル・カレンダー]を、来年はお休みさせていただくことにした。理由は、時間がなくて手が回らないから。時間がないというのは能力がないことと同じだから、ひたすら頭を垂れるばかりである。

言いわけついでに、『フライの雑誌』のカレンダーを制作するのは大変である。膨大な候補の中から毎月の12枚と表紙の1枚の写真を抽出するのはとても楽しいんだけれども、たいへんなエネルギーがいる。よく勘違いされるが『フライの雑誌』のカレンダーはモノトーンではなくてダブルトーン印刷だ。モノトーンではこの風合いは出ない。お金もダブルでかかってます。フルカラーで美しくてもダブルトーンにするとツブれるケースは多い。その逆もある。だから色校正の段階でせっかく選んだ写真がばんばん変わる。そうするとまた毎月12枚の選択と順列がいちからやり直しだ。そのうち「今年はいつ納品になるんですか!」という催促の電話がショップさんからかかってくる。お腹いたいよ。

こんな風に苦労してつくる『フライの雑誌』のカレンダーは私自身、大好きである。仕事場の机の脇には毎年かならず貼っている。作業に行き詰まったときにふっとカレンダーを見やれば、一瞬で癒される。知り合いのご自宅へお伺いしたとき、トイレの壁に貼ってあったこともあった。便器に座って用を足しながら癒されているのか、癒されるから用がスムーズに足りるのか。かんけいないが今年は「トイレの神様」という奇妙なうたが流行った。はじめてラジオで聞いたとき、こういううたが公共の電波で平然と流されて、若者に支持されている時代であることに寒気がした。〝聴く人誰もが泣ける歌〟ぁ? もうね、アホかと。

じつは今になって、なにか大事な忘れものをしたような気がしている。雨に濡れた段ボールの中で子猫がニャアニャアとか細い声で泣いているのを、無視して通り過ぎようとしているのではないか私は。ていうか、その子猫を捨てたのは私じゃあないのか。カレンダーはずっと続いていたのにオマエの代で止まるんだ。毎年の定番として『フライの雑誌』のカレンダーを待っていてくださっているだろう方々のことを思うと、本当にお腹が痛くなってくる。

こんな具合ではカレンダーを休むかわりにがんばると決めた、他の本筋の仕事にも影響が出てしまいそうだ。これはもう釣りにでも行って気分転換するしかない。第90号を出したあと釣りに行きすぎて、それでカレンダー作れなくなったような気もする。本栖湖釣れてるって? 冗談です。

いつものカレンダーは作れませんが、代替えになるなにごとかを提供することを考えています。たとえば編集部がカレンダーのpdfデータを制作して、ネット上で無料で配布するとか。お手元のプリンタで印刷してクダサイ。でもそれってけっきょく仕事量はかわらないような。