フライフィッシングをやっていて幸せだ。20年前の紙焼き

たぶんもう使わないし、いらないのだけれど、なんとなく捨てられない資料が、編集部の物置部屋の片隅に、うずたかく積んである。もう20年くらいそこへ積んできているので、今では大森貝塚か、海底から隆起したヒマラヤ山脈のように巨大化してしまった。

昨日、その山脈の端っこに足をひっかけた。ドドドーッとなりかけたのを、背中で支えて渾身の力で押し戻した。家がこわれてしまう。なんとか山体崩壊を防いで、ホッとしたわたしの足元に、これら二枚の紙焼き写真がはらりと落ちていた。それぞれの写真の背景を下に記した。

こんな風に、20年以上前に釣った魚の写真を見るだけで、若いころの自分の人生の一シーンを、いいおっさんになった今でも鮮明に思い出せるのだから、フライフィッシングをやっていて幸せである。

ところで本当は、魚の写真のほかにも、もう数葉の紙焼きがはらりはらはらと落ちていたのだが、それらは色んな理由でやばかった。即、ビリビリにして隠滅した。都合の良くないことをなかったことにするのは、わたしの人生の得意技だ。記憶も自在に消去できる。(ときどきゾンビのように甦ってくるときもある。わたしが突然わーっとか叫んだときはそういう時なのでそっとしておいてやってください。)

いま『フライの雑誌』次号の編集の最後の追い込みだ。からだとこころがくたびれてくると、ふくらんだ過去が部屋の窓から入り込んでこようとする。そんなもの、ビリビリにしてやる。

紙焼き一枚目。これはたぶん千曲川川上村のイワナ。魚体を思いきり握ってるのは、まだ20代の前半だったわたしの手。
紙焼き一枚目。これは千曲川川上村のイワナ。魚体を思いきり握りしめているのは、まだ20代の前半だったわたしの手。フライロッドは2本しか持っていなかった。3本目を買おうかどうしようか、大まじめに悩んでいた。それが今じゃたいへんなことになっている。これを堕落という。
紙焼き二枚目。ひと目で分かる、これは静岡で釣った尺ヤマメ。33㎝だった。ひれの先がツマグロになっているのが分かる。5月の下旬、まっ昼間のライズを釣った。うれしかったなあ。あとで、その頃編集を手伝っていたトラウト・フォーラムの会報誌「トラウト・フォーラム・ジャーナル」の表紙写真にしたので覚えている方もいらっしゃるかもしれない。あの時はなんの脈略もなく、唐突に載せた。会報の私物化である。今でも『フライの雑誌』に載せる写真はわたしの一存で決めているから、やっていることは変わらないのかもしれない。
紙焼き二枚目。ひと目で分かる、これは静岡で釣った尺アマゴ。ひれの先がツマグロになっている。今だったら「海水浴アマゴ」とか呼ぶんだろう。5月の下旬、まっ昼間のライズを釣った。うれしかったなあ。そのころ編集を手伝っていたトラウト・フォーラムの会報誌「トラウト・フォーラム・ジャーナル」の表紙写真にした。なんの脈略もなく唐突に載せた。会報の私物化である。今でも『フライの雑誌』に載せる写真は完全にわたしの一存で決めている。やっていることは変わらないみたいだ。
『葛西善蔵と釣りがしたい』(2013年5月16日発行)
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