山のインタビュー ※『目の前にシカの鼻息』発刊記念
作家 樋口明雄さん
自分の仕事を武器にしたい(全文)
聞き手/まとめ 堀内正徳(本誌)
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作家の樋口明雄さんに会いに行った。たまにむしょうに樋口さんの顔を見たくなる。
今回は正月に樋口さんからいただいた年賀状に、おや? と思う言葉が書いてあったので、その真意も聞きたかった。ふだん電話やメールでひんぱんにやりとりさせていただいているが(どうでもいいことで長電話して仕事の邪魔をしているのは私だ)、実際にお会いするのは去年5月以来だ(第93号に「水辺のインタビュー」として掲載)。
去年の5月なら、3・11からまだ2ヶ月しかたっていない時だったんだと、樋口邸へ向かう高速道路を走っている途中で気づいた。
今回のインタビューは、樋口さんの自宅からほど近い南アルプスの麓にある、樋口さんのお知り合いの民宿に泊まって収録した。近くには魅力的な渓流がたいへん多いのだが、どうせ解禁前だし雪だらけだし、釣り人的にはむやみにそわそわしないで、ゆっくり話をうかがえた。
ひぐちあきお 1960年山口県生まれ。雑誌記者を経て1987年作家デビュー。冒険小説、SF小説からホラー、ライトノベルまでバリエーション豊富な作品の数々を手がけてきた。野生鳥獣保全管理官たちの活躍を描く長編小説『約束の地』(光文社)で、第27回日本冒険小説協会大賞受賞。同作品で第12回大藪春彦賞受賞。最近刊『ドッグテールズ』(光文社)、『標高二八〇〇米』(徳間書店)。南アルプスの麓にログハウスを建てて家族と暮らして14年、愛犬ココと山を駆けめぐる日々。
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(夕食後に薪ストーブの前で雑談)
─ぼくはですね、中学校の部活は破壊工作部に入ってたの。ほんとは機械工作部っていうんだけど、ダイナマイトもどきを作ろうとしたり、ロケット飛ばして爆発させたりしてたから破壊工作部だって自称してた。そうしたらある日顧問の先生に「明日からこのクラブはないと思え」と言われて、つぶされちゃった。
子どものころは科学者にあこがれてた。何かを発明できたらカッコいいなとかね。当時は仲間内でロケットの打ち上げブームがあったの。おれたちのロケットを遠い空の彼方に飛ばそうなんてロマンティックなことを言ってさ。ペットボトルロケットじゃないよ、だってペットボトルなんて当時なかった。もっとまともなロケットです。
もう1年以上になるんだけど、息子と一緒に空手教室に通ってるんです。こないだ組み手やってて足痛めちゃった。試合だと普通に肋骨くらい折れるらしい。いやいや、極真会館の百人組み手(百人の空手家と連続して1日で組み手を行うこと)ほど激しくはないです。
(脇から子どもが「100対100?」と聞いてきたので)
100対100だったら乱闘になっちゃうでしょ。オール仮面ライダー対オール戦隊ヒーローみたいなものか。仮面ライダーは100人いないか。戦隊ヒーロー対オール怪物だったら1000人対1000匹になる。すごいな。
(子ども2人が飽きてきた様子)
じゃあ君たちはそっちの薪ストーブの近くで戦隊ヒーロー物の話をしていてもらおうかな。
(二次会に行くの? と聞かれて)
いやいやパパたちは二次会に行くんじゃないです。パパたちはいまからお仕事のお話をするんです。
新作「天空の犬」
今年から意識して前向きに生きようと思ってるんです。仕事と実生活と両方ね。今までのようなダラダラとした時間の過ごし方はやめて、もっとキビキビと生きながら、仕事に限界まで挑戦するの。いきなり3社の原稿を同時進行とかさ。まだ動いてないけど。
手始めに徳間書店の小説誌『読楽』の短期集中連載を一気書きしているんです。これは山岳救助犬の話で、同じテーマの小説は日本にはない。タイトルは「天空の犬」といいます。
被ったタイトルがないかをネットで調べたら、「ドラゴンクエストby天空の犬」という動画が引っかかった。なんだこれってクリックしたら、犬が出てきてお尻向けて、うんちこぼしながらバックでドラクエの音楽が鳴ってるの。あ、これならいいか、って(笑)
〝色を感じる〟主人公
夢とロマンのある話にしたいんですが、プロローグは東北の被災地から始まります。書き出したら当初の予定よりずっと密に書き込んでしまった。あくまでプロローグなんですけれど、テーマの裏のもう一つのテーマくらいの重さが、3・11にはあると思うんです。
主人公の女の子は警察官で、共感覚という特殊能力の持ち主です。共感覚というのは五感がオーバーラップする。視覚の中に色が見える。文字に色がついて見える、味に色が見えるとか、50通りくらいの組み合わせがあるらしい。以前は20万人にひとりの割合と言われていた能力だったけど、どうやら2000人にひとりくらいいる。あとはその強弱と、本人が気づいているかどうか。
ある共感覚者は女性の排卵期に色が見えるんだって。迷惑だよね(笑) 共感覚は、もともと原初で人間が持っていた能力らしいと言われている。大人になるに従って忘れていったり薄れていくんだそうです。子供のころはみんなが持っている能力なんだって。宮沢賢治や江戸川乱歩もそうだったという説がある。絶対音感と似ているね。共感覚を扱った『ギミー・ヘブン』という日本映画があったけど、あれは宮崎あおいが可愛かっただけの映画でした。
犬と再生の物語
特殊能力者はその能力を持っているが故の孤独感がある。一方で、共感覚者の多くはその能力を失いたくないと思ってる傾向もあるらしい。
ただ、ぼくの小説の主人公はそうじゃない。色からフィードバックして精神的な打撃を受ける。他人の苦しみを色で感じてしまう。オーラとかではなくて、そのままの色を感じる。人の死や苦しみに強烈な色を感じて、自分が打ちのめされてしまうんだ。
そこで、彼女は犬によっていやされる。犬という動物も匂いを立体化する共感覚の持ち主なんです。脳の8分の1を嗅覚に使ってる。匂いで方角を理解する。3Dで処理できるんですね。同じ匂いでも丸く感じたり四角く感じたり、平面で感じる。その臭いがどれくらいまえに残されて、臭源はなんであるか。においを嗅いだだけで視覚的に悟るものらしい。
被災地へ行って打ちのめされて帰ってきた主人公が、南アルプスの山岳救助隊に入り、日本で3頭目の山岳救助犬のハンドラーになって、という物語。内心は傷だらけの女の子が、表面上ではあかるくふるまって仕事をしている。
あ、実際に日本には山岳救助犬ってまだ1頭もいませんから。いかにもありそうに言ってるけど、そこは小説だからね。『約束の地』のときもいかにもありそうに環境省外郭団体のWLP(ワイルドライフパトロール)を書いたら、みんな誤解してくれてうれしかったけど。
共感覚者の主人公は南アルプスで山岳救助に携わるんだけど、崖から落ちたり道迷いになってる人間からは、そうとうな色が出ていると思うんです。きびしいことも起こるだろう。そんななかでどう立ち直っていくのか。
再生の物語ですね。
自分の仕事を武器にしたい
「リセット」(単行本『標高二八〇〇米』所載)にも3・11は出したし、福島第一原子力発電所を表す「F」の文字も出した。ぼくは自分の仕事を武器にしたいんです。逃げたくない。
世が世ならぼくのこの怒りの力はテロに走っちゃったかもしれないって、思う。だって伊達順之助(伊達政宗の子孫で既刊『頭弾』の主人公)の時代だったら、まさに彼がそうだったように山県有朋許さず、爆殺しようぜって鳩首会議して俺が行く、いや俺が、ズコーン、失敗したーって、やってたわけですよ。いいわるいは別にしてね。そんな単純思考な人間がいっぱいいた。
今のぼくはそういう気持ちがよく分かるんだ。ストレートに怒りをぶつけたい。まわりくどいのやめようよって。友達にこれ以上こんな情けない政府が続くようだったらおれテロやるかもって言ったら、テロはやめてデモにしてくれって言われたよ(笑)
このあいだ渡辺謙と石原慎太郎が対談していたけど、渡辺謙はダボス会議のときに脱原発のメッセージを出していたでしょう。ぼくが謙さんの立場だったら「石原さん、あんたに聞きたいことがあるんだ」って言う。石原さんのあの態度は気の弱さの裏返しで、虚構かもしれない。だけど向こうはまともに喋ってるんだから、こっちだって真っ向からぶつかってやればいい。
「リセット」でダイレクトに原発のことを書いたのも、そういう思いがあってのことなんだ。「標高二八〇〇米」は3・11の前に書いた。「リセット」はその続編。「標高二八〇〇米」の結末にはまだ希望が見えていたけど、3・11の事故でそんな希望もなくなった。終末ヒーローものは不可能です。だって人間がいなくなれば世界中の核施設が熱暴走する。「リセット」でもばたばた登場人物が被ばくして死んでいく。子どもも女の人も。情け容赦ない、二段構えの終末なんです。甘くしちゃいけない。
東北の津波を見て「神はいない」とぼくははっきり思ったんです。いるとしても「人を守る神はいない」。ただ大災害を作り出しておいてどれだけの人間が死ぬかを賭けて遊んでいるような神しかいない。人間は神が丹誠込めて作ったものじゃないから、どんなに死んでいったって神はなんにも同情しない。
平井和正の「親殺し」をティーンエイジャーのころに読んですごく影響を受けたんです。平井さんはとてもストレートに書いていた。いまはそういう風にストレートに書く作家はあまりいない。「リセット」への感想で、「この小説を福島の人が読んだらつらいだろうに」という読者からの意見があった。でもリアルな被ばくは隠すべきことではないでしょう。実際に被ばくしている人がいて、入れない土地があるんだから。まあ読者の感想に作家が口を出せるものではないんですけれどね。
いま書かなくてどうする
想像なんだけど、いままでのマスコミや物書きは逃げ続けてきたんじゃないのかな。きちんと向き合って書けば、やっと書いてくれたと言ってくれる人もいると思う。
棄民意識をもって途方に暮れている人たちが実際にいるのが現実ですよ。そこでマスコミが何もできないとすれば、フィクションで表現するしかない。かたちはSF小説や、荒唐無稽なエンタテインメントになるかもしれないけど、テーマはひじょうにリアルです。主人公がどんなことを考えてどう生きていくか、そこに自分の考えをのせて表現するのは、作家の特権だと思います。
大震災や原発事故について、「まだ書く段階ではない」という作家さんがいる。ぼくはそうは思わなくて、いま書かなくてどうするんだ、と思う。歴史の証言者になって残りたいわけじゃない。ぼくは直情径行型の作家なんです。怒るべきときに怒る。以前の『光の山脈』でもそうだったけど、ぼくは呪詛の言葉を吐きながら書くんだ。
今回の原発事故には世界中が巻き込まれている。フィクションを超えてる部分もある。本物の戦場を知ったらエンタテインメントを書けなくなると言いますよね。戦場では主人公にもあたりまえにタマがあたる。キューブリックの映画みたいなリアルな世界です。だからあまり現実に向き合いすぎて、書けなくなったらどうしようかと思っていた。ぼくは影響を受けるから。おれもうエンタテインメント書くのやめた、って言っちゃうかもしれない。
仕事と生活を分けられない
今年の年賀状に〈今年のテーマは脱原発です〉と書いたんです。そこでつきあいが終わった相手もいました。作家仲間でも、縁が切れた相手もいる。じつは、これを言ってそこでつきあいが終わるなら終わってもいいや、と思ってた。年賀状だから、ふつうに子どもの写真をのせて、あけましておめでとうございますで、すませる手もあったんだけど。〝ぼくはこういう立場です〟と明確に言っておく必要があると思った。
自分から関係を切った相手もいるし、切られもした。ある先輩作家に「原発への感受性は人を分けます」と言われてぼくは納得しました。仕事と実生活をきりわけて、相手によって態度をヘラヘラ替えるのは自分が軟弱だということです。誰に対しても自分の本当の想いを旗幟鮮明に訴えるようでないと、モノなんて書けないと思うんです。その結果として長年のつきあいが壊れても、それは仕方ないと。 …正直、すこしは後悔もしたんだけどさ。〝しまった。でも矢は放たれた、もういいや〟ってね。(笑)
釣りは寿命をのばす(?)
(「天空の犬」との同時進行で)ぼくの岩国での少年時代の経験をもとにした小説を執筆中です。幻冬舎さんから出すことになっています。岩国時代のあれこれは『目の前にシカの鼻息』に書き下ろした「イセキを渡れ!」でも少し書いたけど、時間と場所が錯綜したおもしろい小説になりそうです。
じつはおれ、子どものころにアメリカ軍の飛行機を1機、墜としてるんだよね。信じようが信じまいが勝手なんだけど、あんまり大きな声では言えないな。小説ならいいだろうと思って、そのことももちろん書きますよ。どうやって飛行機墜としたか、知りたいでしょう。(笑)
去年はそんなことで、ほんの数えるくらいしかホームグラウンドの渓流へ釣りへ行かなかった。あとはジンバの池を使って子ども会の釣り体験をお手伝いしたくらい。でも今年は釣りに行きますよ。歩く距離は寿命の長さに正比例するといわれます。釣り人にとっての釣りも魂の解放だから、釣行回数は釣り人の寿命に正比例するんです。 …ってことはありませんかねえ。(笑)
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取材後記 おいしいお料理をいただきつつ、すこしお酒も入りつつ、薪ストーブのあたたかな炎にほほを照らされながら、話の内容は臓腑にずしんと来た。ご本人のおだやかな笑顔はすこしも変わらない。この人はぶれない。 (堀内)
初出:『フライの雑誌』第96号(2012年4月発行)
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本誌連載中に大藪賞を受賞した樋口明雄さんの
初のエッセイ集をフライの雑誌社から出版しました!
●山岳冒険小説からドタバタ喜劇まで幅広い作風で人気の樋口明雄氏。●『フライの雑誌』に登場して6年。大藪春彦賞を受賞した樋口さんの初のエッセイ集が好評です。南アルプスのログハウスに暮らす日々を綴ったユーモアと人間味あふれる楽しい一冊です。●読売新聞、「山と渓谷」「夢の丸太小屋に暮らす」などで紹介。四六判208頁1800円(税込)