編集部の生け垣にスズメバチが巣を作りました

『フライの雑誌』の編集部は東京都多摩地区の西の外れにある古い一軒家にある。周辺は高齢者の方が多く住まわれている、自然は多いがちょっとうら寂しい住宅街だ。最寄りのコンビニまで歩いて往復40分かかる。ほんとにここは東京なのか。

去年の秋、近所の公園近くの一軒の空き家に、「ハチ注意。近づかないで。」と書かれたB4サイズくらいの紙が貼られた。歩道に面した生け垣の、いちばん目立つ場所だ。こういう場合はもちろんのぞく。おそるおそる顔をつっこむと、誰もいない家の軒先にハチの巣がぶらさがっている。バレーボール大はあるだろうか。その家の前の道路は小学校の通学路になっていて、毎朝たくさんの小学生が列になって歩く。

はり紙が登場してから、それまで学校に向かって左側の歩道を歩いていた小学生たちが、全員学校に向かって右側の歩道を歩くようになった。朝や夕方に散歩するお年寄りたちも、その家の前にはちかづかない。ハチはり紙の効果は抜群だ。その空き家の周りだけ、エアポケットのように人間が寄り付かなくなった。二週間後、気がつくとハチの巣は撤去されていた。はり紙も外され、町にふたたび平和が訪れた。しかし今でも小学生たちは、学校に向かって右側の歩道を歩いている。

わたしは生物を「駆除する」という言葉に、生理的な嫌悪感をおぼえる種類の人間だ。わたしは釣り人であるのだが、ブラックバスやブルーギルといったいわゆる外来魚を、特定の思想のもとにその水域から「駆除」しようという人々とは、正直言って口もききたくない。そもそも人間ごときが、なにをえらそうに他の生物を「駆除」するのかと言いたい。自然界にケミカルやら放射能やら生ゴミやらをまき散らして、まっさきに駆除されるべきはむしろ人間ではなかろうかと、今どきの中学二年生でも鼻で嗤うような、たいへん頭の悪い、極端なことを口走りたくなるおっさんである。

むろん「だったらお前がいちばん先に自らを駆除すればいいじゃないか」と、自分で自分に突っ込むのは忘れない。そのうち、壁の向こうから巨人の群れがやって来て、わたしたちがみんなペロンと喰われてしまう日までは、のうのうと釣りとかして生きのびてやろうというのが、目下のスタンスだ。

一昨日のことだ。数日前から夏休みに入った地元の子どもを連れて、近郊へ一泊で釣りに行こうと朝から準備していた。いつものように泥縄で5、6個フライを作り、物置と倉庫部屋をひっくりかえして釣り道具をかきあつめた。道路脇に停めた車のトランクへ道具を適当に突っ込んだ。

さあ出発だと乗り込んでドアをばたんと閉めたところで、助手席に乗せた地元の子どもが「うわ、やばいよ。」と言う。君はなんだね、いつもぎりぎりになってから何かしら問題を引き起こすね。今回はどうした。いったい何がやばいんだい。子どもは少しひきつった表情だ。「見てあれ、やばいよ。」と、歩道と挟んだ向こうにあるうちの生け垣を、助手席の窓ガラス越しに指差す。

なにもない、ただの伸び放題な生け垣じゃないか。お金がないから植木屋さんに剪定を頼めないだけだ。うるさいなお前は。そういうことを君のお母さんの前で言うんじゃないぞ。面倒なことになるからな。トトロの森っぽくていいね、くらいに言い張るんだぞ。「そうじゃなくて、よく見てホラ!」

子どもの声のトーンが高くなった。後ろへのけぞった子どもの前に身を乗り出して、子どもが指差している生け垣の中を見た。

だんだん焦点が合ってきたと同時に、「うわ、やばい、やばすぎ!」とこちらも叫んだ。

直径が20㎝くらい、ソフトボールよりもひとまわり大きいくらいの球体が、生け垣の密集した枝葉のなかにぶらさがっているのを見てとれた。表面はガサガサしたような焦げ茶のベースに、ところどころ黒くて太いオビが数本、うねりながら横走りしている。どう見てもスズメバチ系統のハチの巣だ。邪悪なデス・スターそのものだ。そんなものがいつのまにかうちの生け垣の中にぶらさがっている。なんて、おそろしい。

球体の半分より下の位置に、大人の親指を差し入れられるくらいの穴があいている。息をのむようにして穴ぼこを観察していると、こちらの雰囲気を察したように、穴から黄色いハチの頭がぼこっと出た。頭でかい。車の中で思わず「おおう、やばいやばいやばいよ。」と小声で言うと、「やばいでしょ、ねえやばいでしょ!」と地元の子どもはたいへんうれしそうだ。しっ、大きな声を出すんじゃない。ハチに聞かれたらどうする。

せっかく釣りに行こうとしていたところだが、こうして気づいてしまった以上、ハチの巣をそのままにしておくわけにはいかない。アシナガバチなら放置するが、スズメバチなら何らかの対処をしないといけない。この時わたしが考えたのは、第一に、市役所に電話して「ハチの巣とってください」とお願いすることだ。しかし、今日は日曜日で市役所はお休みだ。それにふだん役所に対していろいろ文句を言っているわたしが、こんなときばかり「ハチの巣とって。」と頼るのはいかがなものか。コソ泥が交番へ落とし物の相談をするようなものだ。

地元の子どもが、わたしの動きを見ているのがわかる。かっこわるいことはできない。

去年の事例から想像するに、役所へハチの巣の撤去を依頼しても実行されるまでには二週間くらいはかかる。その間に近所の小学生やお年寄りが、うちの生け垣から飛び出たスズメバチ(!)に刺されたら、たいへんなことになる。

となると、とるべき残りの方法は、第二、「自分でハチの巣を撤去する」である。こういう場合、スズメバチの巣の駆除は危険だから専門の業者さんにお願いしましょう、とよく言われる。わたしはわりと昆虫好きだ。スズメバチ系統にもいろいろいて、性格もそれぞれであることについて多少の知識がある。フライフィッシングの雑誌を作っているくせに、フライフィッシングのメイン対象となるカゲロウやカワゲラといった水生昆虫よりも、それ以外のムシについての方がよりくわしいかもしれない。あまりそういうことを言うと雑誌が売れなくなるかもしれないので言わないようにしてきたが、いまつい言った。

わたしの観察によると、うちの生け垣の中にぶらさがっているのは、コガタスズメバチの巣であるようだ。例の5センチ以上もあってフル装備の超弩級ジェット戦闘機みたいなオオスズメバチが相手なら、ぜったいに手を出さない。でもコガタならばわたしにでも何とかなりそうだ。よし、釣りに行く前にやっつけてやろう。助手席の子どもの目をまっすぐ見つめ、わざと重々しく言った。「残念だがこのまま釣りに行くことはできなくなった。分かるな。これからスズメバチの巣の撤去プロジェクトを発動する。まずは、デーツーに行ってハチジェット買ってくるぞ。」。

だまってこちらの様子をうかがっていた子どもが、それを聞いて一瞬にして得心し、大きくウン! とうなづいた。目がキラキラしている。二人で内心ちょっとわくわくしながら、車でホームセンターへ向かった。このとき、わたしの脳裏にはウルトラマンシリーズのワンダバが流れていた。世代的には「帰ってきた」のそれである。「セブン」ではない。近所の子どもの頭のなかには、彼は昭和な小学生なので、「北斗の拳」の主題歌でも流れていただろう。 ※ハチの巣の撤去には危険が伴います。各自でご判断ください。

コガタスズメバチは、スズメバチのなかでもおとなしい種類ということになっている。巣を刺激しなければ刺してこないそうだ。だからものの本によっては「コガタスズメバチの巣なら、営巣場所によりあえて撤去せずともよし。観察しよう。」と書いてある。個人的には、本来なら、形而上学的には、そういう考えに同意したい。しかし現実はどうかというと、いったん見つけたハチの巣を放置して観察するということは、わたしの人生で今までなかった。これからも考えられない。

アシナガだろうがコガタだろうが、わたしの目の届く居宅の敷地内に巣を作るというような、不届きなハチどもの行為を許すことはできない。ハチの巣は見つけ次第、はたき落とし、ぶっこわし、一匹残らず駆逐してやる。そう決めている。今まで身の回りで発見したハチの巣は、発見と同時に叩き潰してきた。今回のコガタスズメバチの巣も、断乎駆除する方向性を1ミリも悩まなかった。

ここで、ふとわたしは思うのである。わたしはふだん、ブラックバスやブルーギルを「害魚」だからという理由で殺そうとする人々を、勉強不足だと思っている。いのちに対する敬意がないと軽蔑している。いくら政府がそういう法律をつくったからと言って、その尻馬に乗って調子づいたり、権力の命令へ唯々諾々と従うのは、ものごとの真理を自分の頭で考えようとしていない、浅はかな行為だと思う。一面的な基準からの命の選別は子どもの教育に悪いと確信している。特定外来生物法が制定されたのと、現代の日本社会に忌まわしい差別排外主義があからさまに頭をもたげ始めた時期は、同じだ。外来種排斥とレイシズムは親和性が高い。

ならば、わたしがハチを忌み嫌うのはどうなのか。自分の家に巣を作ったハチを問答無用で殺すわたしと、釣ったブルーギルを集団で釣ってためらいなく「外来魚回収ボックス」へ放り込んだり、ゴミ袋にまとめてポイする人々とは、どこがどう違うのか。

わたしは子どもの頃にハチに何回か刺されたことがあり、たいへん痛い思いをしている。おっさんになった今でもハチが近寄ってくると殺意が走るのは、それがトラウマとなっているせいだ。もちろん、近所の子どもがハチに刺されるのはたいへんな災難だし、自分やうちの家族が刺されるのも、すごくいやだ。そういう理由でわたしは今日、うちの生け垣に巣を作ったコガタスズメバチを殺戮しようとしている。でも逆に言えば、たったそれだけの理由だ。

あのコガタスズメバチたちは、今まさに絶賛子育て中だ。女王バチがあれこれ悩んだ末に巣作りにふさわしい場所を探し当て、働きバチが身を挺して材料を運び、やっとあそこまでの大きさの巣を整えた。いま巣の中には、大切に育てられている幼虫やサナギが、たくさんうごめいているにちがいない。毎日、悩みつつ楽しみつつ、心配事をかかえながら子育てしているのはわたしと同じだ。スズメバチたちはうまくやっていた。巣を作ったのが、たまたま『フライの雑誌』の編集部の生け垣だったことを除いては。

わたしはホームセンターで、市販品のなかで最も強力なケミカルのハチ駆除スプレーを2本買ってきた。編集部へもどると、巣のある生け垣へしずかに車を横付けし、排気ガスの熱でハチが興奮するのを避けるために、エンジンを切った。近所の子どもは暑いだろうが少しの間だから「車の中で見ていなさい」と言って、助手席に座らせておいた。安全な車の中から、わたしの勇姿を見させるつもりだ。

真夏だというのに胸まであるゴム引きのチェストハイウェーダーを履き、虫除けネットキャップをすき間がないようにかぶり、さらにフルフェイスのヘルメットを装着した。スキー用の長いグローブもはめた。気分はロバート・デ・ニーロ。これならぜったいにハチに刺されない。わたしは、生け垣のなかにぶらさがったデス・スターのようなスズメバチの巣に狙いを定めた。ハチ駆除スプレーのノズルを握り、呼吸を止めて、おもいきり叩き付けるように噴射した。

「おらー、どうだー!」とか気がくるったように叫びながら、巣の出入り口めがけて、これでもかというほどスプレーを噴射し続けた。巣の中で子育てしていたコガタスズメバチたちは、あわてて外に出てこようとして全身に薬剤の直撃をくらい、見ている前でばたばたと地面に落ちていく。すごい効き目だ。これがケミカルの威力だ。

緊急事態の発生を察知した外出中のハチたちが、怒ってわたしを刺そうとして向かってくるが、全身完ぺきな防護服態勢のわたしはびくともしない。飛びかかってくるハチたちを落ち着いて、全部スプレーまみれにしてやった。どうだ、これが人間様の知恵と勇気だ。

こうして、コガタスズメバチの巣の駆除は、あっという間に終わった。ハチがわたしに勝てる要素はなかった。彼らは黙って殺されるしかなかったのだ。巣から薬液がボタボタと滴るようになったころ、見えている範囲で動いているハチは一匹もいなくなった。頃合いをみはからって、巣の作られている枝の根本を高枝切りばさみでばっさりと切り落とした。デス・スターは枝ごとあっけなく、ぼとっと墜ちた。

道路に転がったハチの巣をウェーダーの爪先で蹴飛ばしてこわした。スズメバチ特有のだんだら模様の巣は薬液漬けになって、見るも無惨なみすぼらしさだ。巣の外側を剥がすと、円周に沿って20匹ほどのハチノコが律儀に並んでいた。冷静になって見下ろせば、まだ作られたばかりのちっぽけな巣だ。これからこの倍くらいの大きさにはしたかったのだろう。真夏の太陽にさらされ、眠ったようになって動かない無抵抗の幼虫とサナギたちへ、念入りに至近距離から殺虫剤を噴きつけた。

スズメバチを虐殺しているそんなわたしの一部始終を、車の中の子どもが固唾をのんで見ている。

あとで聞いたら、去年公園近くの空き家の生け垣にハチの巣を発見して、知り合いのお母さんに「ハチの巣があるよ。」と通報したのも、この子どもだったらしい。お前は目がいいな。今日はよくハチの巣を見つけたな。えらいぞ。これで君も、君のママも、君のお友だちも、ハチに刺されない。わたしも刺されなかった。ハチはいなくなった。いろいろよかった。すべてうまくいった。みんなで安心して暮らせる町が戻ってきた。われわれはいいことをした。

ご褒美に、君へジュースを買ってあげよう。

さあ、やっと釣りへ行けるぞ。

いいか、こういうのが人間なんだ。

近所の子どもがおいもを買う
へー、とか思ったら投げ銭のつもりで一冊買ってください。同じひとが書いてます。