追悼 服部名人 名人のバイス

『フライの雑誌』第80号特集◎「名人とは何か」より

世の中の釣り自慢に自称名人は多いが、この人くらい「名人」の称号が似合う方はいない。

「服部名人」こと服部善郎氏は、かつて一世を風靡した深夜番組「11PM」(1965〜1990)で颯爽とお茶の間に登場した。

大橋巨泉の名司会とともに当時はほとんど知られていなかった世界各地の釣りを紹介し、それまで釣りといえば漁のことだった日本に初めて「レクリエーションとしての釣り」をもたらす革命を起こした。…

誰もが名人と呼びたくなる雰囲気を持つ服部名人は、これまでどのような釣りの旅を歩んできたのか。いつどのようにして名人は誕生したのか。

それはそのまま昭和の釣りの歴史を辿る旅でもあった。

『フライの雑誌』第80号の特集「名人とは何か」でインタビューさせていただいた服部名人が、22日朝に亡くなられた。82歳、膵臓がんだったという。

服部名人は名人であるのに、わたしのような小生意気な若僧にも分けへだてなく接してくださった。第80号が出た後にインタビューのお礼を申し上げたとき、「こんどは映像の仕事をしましょうよ」と言ってくださった。わたしの力不足のせいで実現できなかった。もうどうしようもない。

今年2月の名人IGFA殿堂入りパーティのサイレントオークションには、服部名人所蔵のタイイングバイスが出品されていた。見た瞬間、これはどうしてもおれが手にいれなければならない、と思った。首尾よく、ある意味では関係者のわたしがインサイダー的に競り落とすことができた。

名人からバイスを受けとるため、壇上にのぼった。なんだあなただったの、という表情を浮かべた名人は、「大事にしてくださいね」と微笑んで握手の手を差し伸べられた。世界じゅうの魚を釣ってきた服部名人のてのひらは、大きくて厚くてあたたかかった。

そのバイスはいまわたしの仕事机の端にある。(フライの雑誌社/堀内正徳)

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服部名人、大いに語る。

名人はいかにして名人となりしか/服部善郎氏インタビュー
「名人誕生」から「11PM」フィッシング秘話、
日本初フライでシーバス、NHK「趣味悠々」裏話…。

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西山徹氏と初「フライでシーバス」

服部 (11PMのスチール写真を見ながら)これはノルウェーのアトランティックサーモンです。昭和40年代のはじめ。アブのグラスロッドですね。
︱ この腹具合が良いですね。
服部 こっちはカナダとニュージーランド。ニュージーのニジマスはやっぱりいいね。ぼくも若いね。もう一遍この時代に戻りたい。アラスカが一番早くて昭和45年。ノルウェーに行ったのが昭和50年代の最初。ニュージーランドは昭和50年代ですね。これは西山徹君と一緒に東京湾でシーバスを釣ったときの写真です。
︱ ひょっとしてこれがあの、東京湾でいちばん初めにシーバスをフライフィッシングで釣ったという時の写真ですか。
服部 そう。ぼくと一緒に行ったときのことですよ。千葉の火力発電所の排水口に魚がいっぱい集まっていたんです。ぼくはプラグを投げていました。昭和48年ですね。
︱ ルアーでシーバスを釣るのは一般的だったんですか。
服部 誰一人としてやっていません。千葉に宇ノ丸という釣具屋があって、潜行板にフェザージグをつけて引っ張ると、でかいのが入れ食いですよ、って言われたから行ったんです。実際に60とか80のシーバスがばかすか入れ食いだったんだけど、引っ張るだけだと面白くない。なんとかキャスティングで釣れないかってね。今でも憶えてるけど、9センチのシンキングのラパラ、これが一番よかった。昼間はボイルしているやつにキャストして早めにリトリーブしてやればゴーンでしょ。夜はちょっと沈めてからやればいい。そんな頃にたまたま西山くんと一緒にボートに乗ったんです。そうしたら西山くんが、ちょっとフライでやってみたい、と言い出してね。やってみたら、これがあたっちゃったんだよ。本当に10キャスト10フィッシュ。もう入れ食い。日本で最初にシーバスをフライフィッシングで釣ったのは、この時です。歴史的な日ですよ。3月頃でした。

︱ シーバスという呼び名は西山徹さんが考えたと聞いていますが。
服部 うん、ぼくらの仲間が使っていたんだ。西山くんはダイワ精工に籍があったでしょ。イレブンフィッシングのスポンサーがダイワだったから、ぼくらとは仲間なんです。フッコは昔からエビで釣っていたけど、同じ魚でもルアーやフライで釣ると、バタ臭いじゃない。だから擬餌鉤で釣った魚は「シーバス」って呼んで使い分けていた。これは西山くんがまだ20代で、盛んな頃の写真です。なんだかんだ言っても、日本のフライフィッシングは、西山くんが下地を作ったんです。惜しい人間ほど早く亡くなっちゃいます。その当時西山くんが巻いたストリーマーがあったんだけど、どこかへ行っちゃった。マイラーチューブとバックテールだったな。色はブルーだった。彼は日本にフライフィッシングを広めたパイオニアですよ。

服部名人のフライフィッシング

︱ 服部名人がフライフィッシングを覚えたのはいつ頃でしょうか。
服部 イレブンフィッシングで行ったアイスランドで教えて貰いました。アトランティックサーモンを川で釣るのに一番スタンダードな釣り方を聞いたら、フライフィッシングで、フローティングラインで、ロングシャンクのフックに、ドバミミズをつけるって言うんだよ。
︱ ドバミミズですか!
服部 そう。アイスランドにはドバミミズはいないから、デンマークから輸入してくるんだって。高級品なんだよ。でも、サーモン釣りだからみんな惜しげもなくドバミミズをつけて釣る。
︱ 裸バリにドバミミズを付けるんですか。
服部 そう、ひじょうに原始的です。川の合流点に立って、水がよれているところへ投げる。着水してちょっと送りこむ。するとググーッと、アトランティックサーモンの10ポンドとかが入れ食いなんだよ。

︱ フライキャスティングには苦労されましたか。
服部 当時「フライキャスティングはバランスですよ」と言われましたが、今でもそう思っています。たとえば6番でウェイトフォワードで、30メートルキャストする時に、タックルバランスさえ守れば、なにも難しいことはない。アイスランドの釣りは8番でやりました。

イレブンフィッシング裏話

︱ 当時イレブンの視聴率は高かったんでしょうか。 

『フライの雑誌』第80号特集◎名人とは何か 所載

『フライの雑誌』第80号特集◎名人とは何か
『フライの雑誌』第87号特集◎『Angling』とその時代
服部博物館/服部 善郎 (監修) ・「つり情報」編集部 (編集)