大藪賞作家の樋口明雄さんは、上質なスラップスティックと本格冒険小説、骨太な山岳小説の書き手で知られている。フライの雑誌社から刊行された初エッセイ集『目の前にシカの鼻息』は、南アルプスの麓に暮らしている樋口さんのユニークなアウトドア話が満載で、たいへん評判のいい一冊である。その中に、たまたま上京してきた樋口さんが新宿の街でお巡りさんから職務質問を受ける一節がある。
その日、観たい映画の上映時間に遅れそうだった樋口さんは、駅の改札を出たと同時に映画館へとダッシュした。するとその姿を認めた一人の若いお巡りさんが背後から追いすがってきて、「あのぅ、刃物とかぁ、先の尖ったものとかぁ、お持ちではないですかぁ!」と声をかけてきたという。
愛犬たちと一緒に日々ご自宅の裏山を駆けめぐっている樋口さんは、猟犬並みの速度で走ることができる。その樋口さんが全力で走り続けるのに遅れまいと、若いお巡りさんは全力で併走し、ゼイゼイ言いながら「一応ぅ、念のためにぃ、お尋ねしているわけでぇ!」と、銃刀法違反を念頭においた職質を続けようとしたらしい。職務に忠実というか莫迦というか。莫迦なんだろう。
そんなやりとりを続けながらごみごみした新宿東口あたりを全力疾走している二人の姿を想像するとおかしい。お巡りさんにしつこくまとわりつかれて、映画館へ急いでいる樋口さんは当然いらつく。そのあと、どうなったか。『目の前にシカの鼻息』に収録されたハートウォーミングな「都会のナイフ」の章をお読みください。
この文章を最初に読んだとき、わたしは樋口さんなら職質されても仕方ないや、とゲラゲラ笑った。
というのは10年近く前、樋口さんと知り合った頃に阿佐ヶ谷の駅前で待ち合わせしたときの樋口さんの姿が、つよく印象に残っているからだ。改札の前の柱に寄り添って、小さなザックを背中にしょって立っている樋口さんの周囲半径1メートルほどだけが怪しいオーラを放って、駅の雑踏の中でぽっかりと異空間のように浮かび上がっていた。夕方のラッシュ時の人ゴミが、まるでそこに触れてはいけない何ものかがあるように、あきらかに樋口さんを避けていたと思う。
失礼とは思いつつも樋口さんにそう伝えると、「ふだん山暮らしだから街にいると違和感があるんでしょうね。」と、平然としていた。そして、自分は街に降りてくるとかなりの高確率で職質に遭う、と言っていた。「ぼくは職質の帝王なんです」と穏やかに笑いながらおっしゃるので、よく分からない自慢をする人だな、作家という生き物はやっぱりどっかおかしいんだな、と思ったのを覚えている。(樋口さん、ごめんなさい)
そういえば、樋口さんが名作『約束の地』で栄えある大藪晴彦賞を受賞した折、1000人もの人が集まって徳間書店さん主催で華やかな祝賀大パーティが開かれた。その席上での樋口さんはご自身が主役ど真ん中の受賞者であるのに、どうみても昨夜捕獲されてパーティ会場に連行されたロズウェルの宇宙人的な雰囲気を醸し出していた。そのあまりにも所在なげな姿を遠目で拝見して、(がんばって! あなたが主役ですよ!)と、心の底から応援した。
ところで、わたしは西東京の片田舎に暮らし始めてもう5年ほどになる。目の前の浅川で近所の子どもとハヤ釣りをしたり、小さな庭に落とし穴みたいな池を掘ってヘビが来たり、水漏れにおののいたりしながら、日々をのんびりとすごしている。そうして半年に一冊くらい、思いついたように『フライの雑誌』を作る。電話やメールは頻繁だが、ひとさまにお会いする機会はそれほど多くない。通勤や通学で都心へ通っていらっしゃる方と比べれば、毎日見ている人間の数は、おそらく数万分の一にも満たないのではないだろうか。
今日のわたしは、来月に発行迫った新刊『バンブーロッド教書』の打ち合わせで、都下の吉祥寺で翻訳家の永野竜樹さんにお会いした。とても有意義なランチタイムの後にお茶をして(『バンブーロッド教書』は素晴らしい本になることを保証します!)、わたしひとりで銀座へ移動してランブルさんへ行った。ここでもいつも通り、とても愉しい時間をすごした。
樋口さんも以前に書いていらっしゃったが、田舎に住んでいる者が時々こうして都心へ出ると、普段の暮らしでは得られない、猥雑で人工的な刺激のまっただ中へ自ら強制的に飛びこむことになる。これはこれで、雑誌や単行本を編集する仕事には欠かせないスパイスであるように思う。
で、わたしはランブルを出て地下鉄銀座線新橋駅まで歩いていき、そうだ北海道の碧風舎の坂田潤一氏に電話する用事があったと思い出して、歩道から携帯で電話した。どうでもいいことをひとしきりげらげら笑って話したあと、今日はいい一日だったと、気分よく地下への階段を降りて行った。
今から電車に乗れば7時には家に帰れるな、小学生は遊んでほしくて待ちくたびれてるだろう、今夜のおかずは何だろうな、などと思っていた。パスモを自動改札へピッとやってホームへ入ろうとしたそのとき、ネズミ色の服を着て同色の帽子を被った若い男が、わたしと自動改札の間に横からすっと割って入ってきて、目の前に立ちふさがった。
「職務質問です。」
男は背はわたしより少し高いくらいだが、ネズミ色の服の下にはよく締まった筋肉質の身体があった。正面から若い男の顔を見ることになったわたしは、目つきがとてもわるいと思った。「はい?」とわたし。男は「職質です」。そこでようやく無表情な男の言葉の意味を理解して、このネズミ色はお巡りさんなのだと気づいた。
「かばんの中を見せていただけますか。」
わたしは反射的に「やだ!」と言った。だって嫌だもの。なんで見ず知らずのネズミ男にわたしのかばんの中を見せなければいけないのか。
「職質ですから。」
「やだ。拒否する。」
と言いつつ、わたしは急速に自分がドキドキし始めていることを自覚していた。
実はわたしはふだんからお巡りさんは好きではないとえらそうに公言している。それは物陰に隠れてスピード違反を捕まえるような警察のやり口が卑怯でしかも意味がなく、税金の無駄遣いであると考えているからだ。わたしは交通違反以外でこれまで警察に挙げられたことはない。基本的に善良な小市民である。そういう人間がいきなり前ぶれなく、街の中で制服のお巡りに行く手を遮られて、無表情に人別尋問かけられれば、恥ずかしいがドキドキしてしまっても仕方ないと思う。
あきらかに自分が興奮し始めていると認識しつつ、「あなたはだれだ。」と逆質問すると「愛宕署の某です。」と答えたが、自ら何かを提示するわけでもない。急速に面倒になったわたしが「いまおれ急いでいるんだよね」と男を左側に避けて改札をくぐろうとしたら男も左側に移動し、右側に避けようとしたら男も右側に身体を移動する。そのムダのない動きがいかにも訓練を受けていますといった風情なのが腹立たしい。この公僕め。
「ほらじゃあかばん見せてあげますよ、なにもないからほら!」と言ってかばんのふたを開けると、男はかばんの中にあるわたしの財布をめがけて、躊躇なく右手を突っ込んでこようとした。思わず男の手が届く寸前でかばんのふたを閉じたら、男はわたしをギラッと睨んだ。もうこいつ、本当にきらい。
わたしがもう少し若くて、一応は家庭などというものを持っておらず、たまたまその時に気分がよろしくない状態でこのような情況に陥ったとしたら、おそらく無理やり自動改札を通ろうとしたはずだ。男にかるくわたしの身体がぶつかれば、公務執行妨害でその場でタイーホのパターンだ。
ピーッと甲高い笛の音が響くと、わらわらと湧いた屈強なお巡りさんたちがわたしの上にのしかかってくる。寄ってたかってまたたくまに駅構内の冷たい地べたへ取り押さられている、そんな自分の姿を容易に想像できる。帰宅途中の人々がざわざわと遠巻きにしながら、地下鉄の床でお巡りさんの靴の泥を舐めているわたしを好奇心の塊の視線で見るんだろう。
その頃うちで待っている小学生は、なんでパパ帰ってこないのかなとテレビなど見ていて、夕げの支度を終えた妻は「帰りは何時ころですか」というメッセージを携帯電話で送ってくる。でもパパ、何もしていないのにお巡りさんたちに押さえつけられてギュウ、とか言ってるという。ああ、なんか涙が出てくる。世の中のえん罪というやつはこうして作られているのかもしれない。そのまま死刑とかされちゃったりして。おれなんか捕まえる前に、警察は海外へトン面しているらしい東電の元会長あたりを追いかけたらどうか。
さて、現実的にはわたしはもう少しオトナである。実際は、わたしの前に立ちはだかって通せんぼする愛宕署のお犬さまを、丁重にお・も・て・な・し。無罪放免の際には、弊社の名刺をお渡しして、ついでに営業かけておいた。
「釣りの雑誌を作ってるのでね、もし用事があるならここに電話してください。」
明日あたり本当に愛宕署からフライの雑誌社に電話がかかってきたらどうしよう。「昨日の愛宕署の者ですが、週末に本栖湖へ行こうと思うんですが、いま釣れているポイントはどこですかね。」とか。もちろんガチャ切り確定ですけどね。
夕方ラッシュ時の新橋駅の構内は、本当にたくさんの人間が波のように行き交っている。その中で、なんでわざわざ職質の対象にわたしを選ぶの? と少しだけ憮然としたのは本当のところだ。
いいおっさんのくせに、キャスケット被って茶色のサングラスして、年季の入ったスウェードのジャケットにジーンズ、肩掛けかばんにアメリカのスーパーマーケットの汚い紙袋をぶら下げていたのが、よくなかったのかもしれない。もしこれで迂闊にフライロッドのアルミケースでも持っていたら、凶悪な爆弾魔にされていたかもしれない。わたしがスーツを着てネクタイを締めていたならスルーだったんだろうけれども。
善良な納税者の小市民と、公務執行妨害でパクられる犯罪者とは警察の胸先三寸、ほんの紙一重でうらおもてな国に、ずっと以前から私たちは生きている。自分がそういう目に遭うまで気づかないだけだ。
おうちに帰ることができたわたしは、わたしが帰るまで夕食を待っていた家族に、先ほど起こったことのてん末を、多少脚色して語った。
わたしの性格を知っている妻は、やれやれ、という対応ではあったが、「捕まらなくてよかったね。」と言ってくれたのは妙に嬉しかった。「彼らが職質するのは仕事なんだよね。ノルマがあるんだよ。」と言ったら、コタツに首まで潜っていた小学生が脇から「のろま?」と聞いてきたので、ちょっと考えて「まあ似たようなものです。」と答えておいた。
イヌが人にかみ付いてもニュースにならないが、人がイヌにかみ付けばニュースになるという。さしずめ今日のわたしの経験は、飼いイヌに手を噛まれ損ねたようなものだ。
だから、だらだらと長かった割には、大して面白い話ではなかったと思います。
次回は血湧き肉踊るマッドマックスみたいな大スペクタクルをご期待ください。ヒャッハー。
(堀内)
2017年1月22日追記:
「共謀罪」新設に反対します。おそろしい。
2022年11月25日追記:
『ムーン・ベアも月を見ている』著者で東農大教授の山崎晃司さんが自家用車で走行中にパトから目をつけられて職質され、そのまま警察署に連行されたお話、「ナイフと職質」(『フライの雑誌』126号掲載)が好評です。法を遵守しましょう。
2022年12月19日追記:
上記は堀内が一発ツモった時の話だが、あらためて、樋口さんにしても山﨑さんにしても俺にしても、弊社関係者は職質の引きが強いのはなぜだろう。このところ警察の横暴がしばしばニュースになる。警察は法を遵守しましょう。
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動画の中で『フライの雑誌』122号が紹介されています。
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