とんでもない理由により、青森県近代文学館「葛西善蔵生誕130年特別展」へ行ってきた。葛西善蔵でここまでやるのか!と思える、情熱のほとばしる文学展だった。
展示をひとしきり堪能したあと、企画ご担当の文学主査Tさんを事務所へおとない、挨拶させていただいた。Tさんご自身が、学生時代から葛西善蔵を研究しておられるということだ。であるがゆえの、ここまで突っ込んだ充実の展示であったかと納得した。
拙著の『葛西善蔵と釣りがしたい』を見つけて、面白がってくださって、今回の葛西善蔵展に並べるべし、とのご判断をくださったのも、Tさんである。そこはもうほんとうに、光栄というか、なんか申し訳ないですというか、平身低頭するばかりだった。
事務所へ通していただいて、ひとしきり葛西善蔵話で盛り上がった。Tさんは「椎の若葉」がいちばん好きだということだ。わたしは、「椎の若葉」もいいけれど、「湖畔手記」「子をつれて」が好きで、「蠢く者」はとても苦手です、年少の牧野信一を葛西が好いたのは「雪をんな」系の幻想文学つながりではないでしょうか、口述筆記ものの方がいいですね、嘉村礒多さんはどうもキツいです、というようなことを喋った。専門の研究者に対してその場の勢いで恥ずかしいかぎりの妄言だ。
わたしはだいたいにおいて文学とか語る知識も能力もなく、葛西善蔵の人と作品について誰かと会話したのは今回が生まれて初めてで、緊張の上に興奮してしまった。文学館の皆さんには貴重なお時間を割いていただき展示物の解説までもおつきあいをいただいた。たいへん申し訳なかったけれど、ありがたくて幸せな時間でした。
とても幸せだったので、お土産のヨックモックはMAXの48本入りにしておいて正解だった。お渡しする際に、お菓子の缶の腹が凹んでいないのを確認したのは言うまでもない。いま思うと、お土産は山本山でもよかったが、そこまで頭が回らなかった。ここらへんは葛西善蔵の作を読んでいないと分からない。青空文庫でも読めます。多くの人に葛西善蔵の作品へ触れてほしい。
ちなみに、今回の特別展では、新発見の葛西善蔵の随筆「帰郷小感」が、掲載誌の「青年」大正13年9月号とともに展示されている。青森に帰った葛西が〝或る特殊な思想〟をもった郷里の青年らに会って、彼らが〝青年時代の麻疹期〟にあり、〝(麻疹に倒れない)健全な青年によって、日本国が支持されていると思ってもいいでしょう〟、〝和衷協同の大道に立ってもらいたいものだと僕は涙を持って言いたい〟と書いている。
時代背景を考えあわせれば、この随筆は当時37歳の葛西善蔵の世の中への愚痴にもならない、社会改革の希望にもえている若者の足を引っ張る、物事を見えていないじじいの難くせそのものの内容だ。好意的に考えれば、たぶん、深く考えていないで書いている。葛西善蔵という人は、そもそも社会問題を広い視点で考えうる人物ではない。おせいぶん殴ってるようなアル中だから、頑迷保守親父としての素養は充分すぎるほどにある。もともとはプロ文系の宮地嘉六といっしょの「奇蹟」同人出なのにへんなの、と興味が深まった。
葛西善蔵は万年筆と筆机のある、自分を中心にした半径1メートル以外のことには、本当は、本当に、まったく1ミリも興味がないタイプの人間だったんだろう。
わたしは酔っ払いは大きらいだ。葛西善蔵がどんなにいい作品を書くのだとしても、担当編集者にはもちろんなりたくない。葛西善蔵の作品は読むが、個人的にはぜったい仲良くなれないし、なりたくない。葛西善蔵と一緒に釣りはしたい。でも半日でいい。
青森行ってよかったです。
青森行きを写真で紹介。