大先輩から貴重な頂き物をした。お金いらないと仰るので、そういうわけにもいかないです、わたしはなにでお礼すればよいのでしょうとお尋ねしたところ、「あなたのフライをちょうだい」と言われた。
なんと、たしかに今日一緒に釣っていて、わたしのフライは大変な入れ食いだったのだ。自分のフライがこういう形で働くのは人生初である。恥ずかしい。けどうれしい。あたしのカラダでいいのかしら、という感じもする。あたしのカラダ食べていいのよ、と映画〈フレンズ〉のミシェルは言った。たしかこのネタは前にも使った。
家に帰ってきて、すぐ気合い入れてプレゼント用のフライを巻いた。ビシッと100コくらい並べて差し上げよう。若いころは、他人様へ自分のフライを見せるのは人前でパンツを脱ぐようなものだと思っていた。ましてや差し上げるなんて不遜極まりないと。自分も歳とって丸くなったのだろうか。
いま、フライを他人へ見せるのは人前でパンツを脱ぐようなものだとうそぶいた。しかし懺悔すると、わたしはこれまで「フライの雑誌」の誌面にはのべ何百人もの皆様のフライをバシバシと載っけてきた。平身低頭お願いして、時には土下座して、皆様のパンツを脱がせまくってきた。たいへん申し訳ない気持ちはあります。ほんとです。これからも脱いでいただきたいです。
今日の釣りは楽しかった。年齢も社会的な立場もまったく異なるおじさん二人が池の端に並んで、世の中のあれこれについて、お互いの現在過去未来について、持ち寄ったお道具の見映えと具合について、そして何より今日の魚釣りの様子について、適当なことを言い合いながら、たくさんのニジマスを釣った。
釣り人どうしでいる間はおじさんたちは対等である。この場合、おじさんたちがニジマスを釣る方法は、やはりどうしてもフライフィッシングでなくてはならない。
かつてレオン・フォン・ブラウン氏は言った。
「人は釣り人になるのではない。釣り人として生まれるのだ。」
わたしはこう言いたい。
「人はフライフィッシャーになるのではない。フライフィッシャーとして生まれるのだ。」
って誰か言ってそうでググったが、とりあえず出てこなかった。
ところであれだ、同じサイズの同じフライパターンを巻くの3個が限界。ついマテリアル変えたくなるしフックも変えちゃう。そもそも同じフライを同じように巻いても同じフライにならないんだからいいんだもう。おじさんごめん。
※本誌第2号掲載野々垣洋一さんの書かれたエッセイ〈生まれながらの釣り人〉をぜひ読んでいただきたい。