フライの雑誌-第117号(2019年6月30日発行)より、特集◎〈リリース釣り場 最新事情と新しい風〉、「あの頃、私たちは飢えていた。〈キャッチ・アンド・リリース区間〉初登場から24年がたった。」を公開します。
(編集部)
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あの頃、私たちは飢えていた。
〈キャッチ・アンド・リリース区間〉初登場から24年がたった。
堀内正徳(本誌編集部/東京都)
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今号25ページで紹介した対談「〈キャッチ・アンド・リリース・ブーム〉の終わりと、釣り場作りの新しい流れ」(フライの雑誌-第54号掲載/2001年発行)の後半部を紹介して、解説というか記憶を補足したい。
中沢 キャッチ・アンド・リリース(以下C&R)には二つの側面があって、ひとつはC&Rという行為そのものへの思い、あるいは道徳的な考え方があります。もうひとつはルールとしてのC&R。釣った魚を放すこと、あるいはその考え方と、C&Rをルールとして設定することとは、ぜんぜん違うことです。ルールにするとは、釣り人がどう考えているかは関係なく、とにかく魚を殺すな、と強制することです。強制ではなく、ある川では尾数制限がある。でもほとんどの釣り人は自主的にリリースしている、というのなら理解できます。
木住野 これからは尾数制限を徹底する釣り場が出てくるのが、当然だと思います。狭い川でみんなが釣れただけ持ち帰ったらあっというまに魚がいなくなる。本来内水面にはすべて尾数制限が規定されてもやむを得ない。
リリースの遊漁規則化には難しい問題があります。川を管理しているのは漁協です。釣り人に権利はなくても、漁協は釣り人の行為を規則で制限できる。釣り人が漁協を後押ししてリリースを導入したとして、それは結果として自分の釣りを阻害することになります。しかもそれを一部の釣り人が持ち上げたりするから、おかしなことになる。中沢 都市に近くて釣り人が多い川で、よりよい釣り場を作ろうというとき、C&Rの他に、どんな手法がありますか。
木住野 まず川全体でどんな釣り場にしたいのかのプランを考えるべきでしょう。たとえば、上流部の沢は禁漁、上流部の本流はリリースオンリー、中流部は尾数制限にするなどのおおざっぱな枠組みは、漁協単体で決められます。そして釣り人はもっと漁協に意見や要望を言っていい。
中沢 今後は、単純に魚がいるだけの釣り場は淘汰されるでしょう。釣り場としての質が問われてくる。C&Rだけにこだわらず、尾数制限などのレギュレーションが守られて、魚がいつもいて、遊漁料も特別高くない釣り場が支持されるでしょう。
木住野 遊漁規則で尾数制限を決めて、でもなるべくなら釣った魚はリリースしてください、というスタンスを打ち出す釣り場ができたら画期的なことです。尾数制限を下敷きにした、規則で釣り人を縛ることのない自主的なC&Rの発想です。
「釣りのレギュレーションのなかで、C&Rは最後の手段です。禁漁の一歩手前、かなり強い制限です」、あたりは、くどくても繰り返し確認しておきたい。
自然再生産が期待できる川に養殖成魚を大量に放してリリース区間にして集客を図るようなことがあってはならない、と言っている。
その事態は現在ではまず起こらない。理由は明解だ。
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19年前と現在とのもっとも大きな違いは、釣り人の数が減ったことだ。資源をシェアする目的のリリースは、利用者が減れば当然その意味を失う。早い話が、日本の釣り人口は当時にくらべてずっと減少している。競争相手が減ったというだけで、釣り場環境はよくなる。
釣りブームだった当時の渓流釣りは殺伐としていた。やらずぼったくり、ペンペン草も生えない、根こそぎ持ち帰りといった釣り師の所業が、よく話題にのぼった。その主役だったエサ釣り師が高齢化でだいぶ減った。
もうひとつ、マス類の養殖技術が進んだことにより、ヤマメ、アマゴ、イワナの希少性が年々薄まった。そんなに焦って全部持ち帰らなくてもいいんじゃないか、となった。
トラウト・フォーラムが立ち上げられた頃は、リリースが果たして本当に有効なのかどうかの議論から始められた。誰も「魚を持ち帰らない」釣り場を知らなかった。「魚がいつもいる」釣り場への巨大な憧れがあった。
都市近郊のギスギスした釣り場へ通う釣り人は困っていた。たまの楽しみで釣りへ行って悲しい思いや腹のたつ思いをしたくない。なにか妙案がないか。ひょっとしてC&Rという舶来のクスリを振りかければ万事収まるのではないか。
フライフィッシングは、人工的な環境でも水があって魚が泳いでいさえすれば、最低限の釣りは成り立つ側面がある。とにかく魚がいてさえくれれば何とかなる、という思いが募った。今となれば勘違いなのは自明だが、皆お腹が減っていた。
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リリース区間の設定を「一部の釣り人が持ち上げたりするのはおかしい」という記述がある。当時のつり人社さん、地球丸さんのフライフィッシング雑誌の与えた悪い影響は大きいと、わたし(堀内)は考えている。
個人の釣り人を〈C&R区間設定の立役者〉というような定型的な表現とともに、しばしば誌面に登場させた。その時点で意味も趣旨もなんだかよく分からないと思いませんか。
本特集のアンケートでは、地元らしき人々が我が物顔をしている釣り場が、嫌な思いをした釣り場の事例として、いくつか挙げられている。川は公共の財産だ。誰か特定の人物や組織の顔色をうかがいながら釣るような釣り場は、嫌がられて当然だ。
わたしも何年か前に経験がある。東北のリリース釣り場で楽しくニジマスを釣っていたら、対岸の土手に10名ほどのお揃いのヤッケを着た釣り人の集団が現れた。
数名がなにごとか話しながら川へ降りて来て、川岸へ覆い被さっている木の枝をノコギリでギコギコとやり始めた。こちらはまさにその木の枝の下を狙っていた。それくらいは分かりそうなものなのに。だってフライラインが届く距離だ。
わざとなのか、ひとことの声かけもなかった。先方はお酒も入っているようだったので、関わり合いになりたくなくてその場を離れた。それから二度と行っていない。
漁協の人たちではないようだったから、ひょっとして〈C&R区間設定の立役者〉さんたちだったのかなあ、と思っている。あるいは放流とか監視とかを手伝っているとか。それでも〝ぜひ釣りに来てください〟と釣り人を呼ぶ釣り場のホスピタリティとしては失格である。
午前中に釣り券を確認に来た漁協のおじさんの対応は、とても気持ちがよかった。聞かれてもいないのに、東京から釣りに来ました、と言ったらニコニコして「それは遠いところを。楽しんでいってください」と言ってくださった。いい川だなあ、と思っていたらノコギリぎこぎこであった。
釣り場で嫌な思いをするのは人間がらみと決まっている。
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「C&Rを商売で利用しようとする人々も絡んでくる」(25ページ)で思いだした。
1990年代後半、わたしは小誌の編集と並行して、トラウト・フォーラムの機関紙を編集していた。景気のよかったフライフィッシング業界の人々の行状をつぶさに観察していた。当時、まさに最新のトレンドだったC&R釣り場には、メーカーや業界の有名人たちが群がってきた。
地元の川を大切に思っている釣り人たちがコツコツと地道な調整を重ねてきた釣り場へ、とつぜん舞い降りてきて、いかにも自分がお膳立てしてきたようなことを釣り雑誌に書く有名人がいた。
事情を知る人は〝落下傘〟と呼んで笑っていたが、書くほうも書くほうだし、載せるほうも載せるほうだ。最近は姿を見なくなった。
また、これはティムコさんですが、寒河江川が話題になったら、それまで関わってこなかったくせに、いきなりメーカー主催のスクールを開いて地元の釣り人をアゴでこき使ったと聞いて、義憤を覚えた。社名が入ったリリースの看板を川沿いに立てるなど、あからさまな利益誘導だ。
えらいひとはとくに妙にエラぶっていた。わたしのような下々の者から疑義を呈されるとすぐ逆ギレした。今ならパワハラもいいところで、メーカーの人としてそういう態度は、釣りの喜びともっともかけ離れていると思う。
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本誌第56号、第59号、第75号のC&Rに関する記事は、そこらへんの憤懣を裏側にかかえつつ書いていた。読み返すと多方面に暴発しているし、誤爆もある。
当時わたしがC&R関連の記事を書いて載せると、関係者からよく言われたことがほぼない。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。間違ったことを書いたわけではないが、違う書きようはあった。
さらにいうと、寒河江川がリリース区間をつくって一年目、二年目のころは、自分も東京から仲間と一緒にわいわい出かけて行って、「いい釣り場だなあ」とか言って大騒ぎしていた。子供のころからの憧れだった西山徹さんと一緒に釣りができてすごく嬉しかった。
脳天気きわまりない。自分の立場を俯瞰すれば「釣り場を商売で利用」と言えないこともなく、人様をえらそうに批判できない。編集部の床に頭をめり込ませている。
それにしても、メーカーを始めとする釣り業界は一過性の単体イベントをいくらがんばってやって集客しても、釣り人数の増加にはつながらないことを認識したほうがいい。
まず自前の常設の管理釣り場ひとつを持つことから始めよう。業界が目の敵にしている中古釣具の販売会社はとっくにやっている。タックルベリーさんという。
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後半へつづく
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