【公開記事】釣り場時評86 〈元気な漁村 村張りの定置網、養沢毛鉤専用釣場、漁村の相互扶助論へ〉 水口憲哉(フライの雑誌-第113号)

釣り場時評86

元気な漁村
村張りの定置網、養沢毛鉤専用釣場、漁村の相互扶助論へ

水口憲哉
(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)

フライの雑誌-第113号(2017年11月発行)掲載

魚が減った、漁業は大変だ、水産業の先行きはないと世間で言われている。しかし、これは間違っている。

魚が減った、漁業は大変だ、水産業の先行きはないと世間で言われている。しかし、これは間違っている。

海面漁獲量が一一〇〇万トン近くで世界一の漁獲量であった一九八〇年代から最近十年間は五〇〇万トン以下と大きく減ったのは事実だが、この内容を魚種と漁業の種類でていねいにふ分けしてみると、全く別のことが見えてくる。

大衆魚と言われるマイワシは、四〇〇万トンを超える一九八〇年代をピークに三万トンまで激減し、現在は十数万トン台になっている。この変動の原因は黒潮と親潮との関係など海洋環境の変化と考えられている。

サバ類は一九七〇年代に一五〇トンを超えて惣菜魚として好まれていたが大型まき網による乱獲でつぶされてしまった。そして、その前の一九七〇年前後に北太平洋で三〇〇万トン近く獲れたスケトウダラは二〇〇カイリ体制のもとアメリカや旧ソ連との国際関係によって漁獲規制され輸入に頼らざるを得なくなった。

このように、マイワシやサバ類を漁獲する大型まき網による沖合漁業と、大型底曳き船でスケトウダラを獲る遠洋漁業では、次々と漁獲量が大幅に減少していった。

これら大量の魚は魚粉にして飼料用に、冷凍にして養殖用餌料にまわされているので、私たちの食用に不足を感じることはなかった。

遠洋や沖合の無差別、大量、大規模漁業で起こっていることと、十トン以下の漁船による釣りや刺網、はえなわなどの選択的、少量、小規模漁業で起こっていることは分けて見てゆく必要がある。

大型定置網の漁獲量はこの三〇年あまり減ることなく安定している

しかし、沿岸で日帰りの漁で獲るアジ、サバ、ヒラメ、カレイなども沖合での大規模漁業の影響によって減少しつつあるのも事実である。とはいっても、沿岸漁業の総漁獲量や、海面養殖生産量は共に一〇〇万トン超を維持しており、元気である。

その沿岸漁業漁獲量の四割弱を占めるのが定置網漁業による漁獲である。二〇一二年のその内訳は、大型定置網二〇万トン、さけ定置網一二万トン、小型定置網一〇万トンである。

これらの内、さけ定置網については昔からこれだけ獲れていた訳ではなく一九七〇年までは二万トンゆくかゆかないかであった。それは、北洋漁業のエースとして戦前から、さけ・ますの多くが冲獲り漁業の流し刺網で大量に漁獲されていたからである。

しかし、米国、旧ソ連、カナダとの漁業交渉により沖獲りが禁止されるにつれて日本の沿岸にもどってくるシロザケの量がふえた。それを漁獲したために、北海道や東北地方のさけ定置網による漁獲量が一九八〇年代に五万トンから一〇万トンに増えたというわけである。以後、人工ふ化放流事業の影響もあって一二万トンから二二万トンの間を変動している。

二〇一五年に公表された水産庁の一番新しい調査によると、定置漁業権を免許された大型定置網は全国で一八一六、うち北海道が一一〇八である。続いて、岩手八二、富山七九、石川七三、長崎五七と続き、三〇以上は宮城三五、福井三八、新潟三〇、京都三二、三重三五、高知三三である。

西日本の大型定置網は主にブリ狙いで歴史が古い。なお大型定置網は大敷網、大謀網とも言われるもので、沿岸を回遊移動する魚群を垣網で誘導し、身網という大がかりな網のわなで捕獲するものである。この身網の水深が二七メートル以深のものを大型定置網という。

この大型定置網の漁獲量がこの三〇年あまり減ることなく安定しているのが、沿岸漁業は元気に健在であるということの大きな理由である。

生物多様性を維持的な漁法で獲り続けている大型定置網

なぜ全国の大型定置網の総漁獲量が安定しているのか。

①ブリ、クロマグロ、マイワシ、サワラ、マアジ、ウマヅラハギなど多様な魚種が増えたり、減ったりしているが、それらが各地で入れ替り、立ち替り漁獲される。お金になるものだけでも毎日十種類以上が獲れる。

②回遊するものが主だが、各定置網の近くの海域に付いている魚群もあり、それらが毎年増えたり減ったりしている。

③こういった魚群を追いかけ回して獲るのではなく、待って獲る漁法であるために乱獲にならない。

④大型定置網の数が一〇〇年近くそんなに大きく変わらない。漁獲努力量が大きくは変わっていないということである。その理由としては、大型定置網のよく獲れて経営的にペイする漁場が特定され限られていること、急潮、台風、大時化などにより、一億円を超える仕込み(設備投資)を失うこともあるリスキーな漁法であることなどがある。

⑤結果として言えるのは、生物多様性を維持的な漁法で獲り続けているということになる。

この商売は、百貨店(デパート)と同じで人(魚)の往来の多いところで、多種の商品(魚種)を扱っている。もう一つ似ていることは、二月と八月に客の入り(漁獲量)が少なくなり景気が悪くなることである。

このリスキーで億を超す設備投資を必要とする大型定置網漁業を経営するのはどんな人たちなのだろうか。

大型定置網を営む漁業権の免許については競願した場合の優先順位というのがあって、現在は〝地元漁民の七割以上を含む法人〟が一位である。このような要件を満たす法人というと漁業協同組合ぐらいしかない。

この漁協自営の定置網が圧倒的に多かったのが一時期の京都府である。たとえば一九九〇年、田井、成生、養老、伊根、新井崎、蒲入、島津、浜詰浦、湊の九漁協について組合自営定置網の経営実態が京都府立海洋センターから報告されている。

この中の舟屋で有名な伊根をはじめ多くの漁村は次に述べる村張りで戦前は有名であった。そして現在は一、二の組合自営を除いて、個人や会社など他の法人の経営になっている。

それではなぜ戦後の数十年、組合自営になったのか。このことについて、筆者は、一九五〇年から七期二八年続いた革新知事、蜷川虎三の府政が大きく影響したと考えている。

大敷網経営は浦の住民に平等に富を分配し、生活を安定させた

これに対して、旧態依然というか明治の昔からの村張りで、全県的にがんばっているのが高知県である。この成り立ちについて述べている島村泰吉さんの〝漁村に生きる知恵─室戸岬・三津集落の場合─〟(土佐地域文化第六号(二〇〇三))が村張りの本質をよく教えてくれる。少し長いがその部分を引用する。

〈2 一戸一株制の共同経営

○一戸一株制のはじまり

室戸岬東岸の先端から高岡、三津、椎名と続く三つの集落は、漁業に生きる浦であり、漁業生産のほとんどを定置網(通称大敷網)が占めている。三津の平成13年度全漁獲高に占める定置の割合は88%、約9割を占めている。この定置網経営は戦前から一戸一株制という他の漁村と違った形が続けられている。

芸東(現在の室戸市東洋町)沿岸に大敷網が敷かれるようになったのは明治28年(1895)ごろである。椎名の多田嘉七は津呂捕鯨の役員として足摺岬へ行くことが多かったが、当時幡多郡沿岸に敷かれていた伊豫式の大敷網を椎名に導入した。
このとき、多田は漁業利権を私有化することなく、当時の椎名集落の全戸105戸にそれぞれ一戸一株を与え、集落全体の共同経営の形を取り、これが現在に続いている。

三津は明治34年(1901)ごろ大敷網が導入され大敷組合が経営していたが、その株は偏在し、株を多く持つ家、少ない家、持たない家とばらつきがあった。

そこで、昭和5年(1930)三津漁業の中核をなす長碆沖漁場の賃貸期限が切れて、経営権が貸してあった大東漁業から地元に移ったとき、集落内に大敷組合の株を椎名にならって一戸一株にせよという声があがり、一戸一株制の新しい大敷組合が出来た。結成時の組合員数は112人であり、ほぼ三津の全戸が加入した。

○一戸一株制とは

一戸一株というのは藩政時代の村張り漁にその基盤があるように思う。室戸岬を三津から山越えに下った岬の西岸の浮津・津呂集落の捕鯨業にその形態が見られる。子どものころから捕鯨組に入り組より扶持米を支給されて生活してきたのが浮津・津呂浦であり、他浦の介入を許さなかった。明治になって捕鯨の経営権が浦の有力者たちに握られようとしたとき、地下人がこれに反対し、暴力事件や裁判ざたになったのは、捕鯨が浦全体のものであるという考えからきている。

近世の漁村では、地先の海は村人の共有であるという考え方があった。大敷網という近代的な資本制の漁業が導入されたとき、その経営権は浦全体が持つべきであるという考えが生じるのは当然である。まして、大敷網は回遊魚の通路をさえぎり、在来の各種漁業の消滅を招くという側面を持っていたから、なおさらである。

こうした背景から生まれた当時県下でもまれな大敷網の経営形態はどのようなものであるかを略述する。この株は

1、一戸に一株を与える
2、売買譲渡を禁じる
3、株主としての義務を果たすこと

などが定められている。昭和5年一戸一株の組合が出来たときの112人の組合員の資格は、その家に与えられたものということができるので、株主が死亡すれば当然その相続者が株主となる。〉

このように一戸一株制の大敷網経営は浦の住民に平等に富を分配し、生活を安定させたのである。

「村張りの定置網」の経営体数は

個人が集まって大敷生産組合をつくっても、法人としての登記ができなかったり、法人登記をしないために法人格を有しない。このような村張りの定置網経営団体は人格なき社団として免許の優先順位は低い。

二〇〇七年に〝定置網漁業における経営組織に関する研究〟で東京海洋大学において博士学位を取得した山内愛子は、一九九八年時点で全国の村張り的人格なき社団の経営体数は概ね全体の一〇パーセント、二〇〇件前後であると推測している。

分布状況には地域差が強く、北陸地方、紀伊半島、高知県ではこのような組織の割合が高いという。紀伊半島東岸熊野灘沿岸はリアス式海岸で、三重県には昔から村張り定置が多かったのだが、優先順位や税務面から行政の指導で殆どが法人化してしまい現在は人格なき社団は消失してしまった。

その一つ尾鷲市の九鬼町には、久木浦共同組合というのがある。協同組合の「協」は三人で一人の人を支える意味もあるらしく、「共」は皆が平等にという意味なので面白い。この共同組合の成り立ち等については現在究明中なのでそのうち知らせることができればと思う。

地域住民が管理している養沢毛鉤専用釣場(東京都)

村張りの定置について本誌編集人と話をしていたら、それって養沢毛鉤専用釣場の成り立ちと似ていませんかとの反応。本誌一〇五号で「フォト紀行 六〇年目の養沢毛鉤専用釣場(東京都あきる野市)」として、木住野勇さんの写真で素敵な渓流と沿川の部落からなる釣り場風景が紹介されている。

五ページの記事の最後に付けられた編集部の四行の説明で何となくそれは分かるが、今回もう少しつっこんで、この釣場のことを調べてみた。

多摩川の支流秋川のさらに支流養沢川にフライフィッシャーとして惚れ込んだGHQ法務部所属の弁護士トーマス・レスター・ブレークモア(一九一五〜一九九四)が、四キロ区間の清流を自己資金で借り上げて魚を放流し、毛鉤専用の釣場を開設した。一九五五年六月のことであった。しかし、ブレークモアも日本を離れることになり、この釣場の運営を地元の養沢地域(自治会というより旧来の村落共同体)に委ねた。

その後、この釣場は養沢地域の人々が結成した社団法人トーマス・ブレークモア記念社団により管理運営が行なわれ現在に至っている。

そこで、東京都の漁業調整担当者に養沢川の共同漁業権はどうなっているかを訊ねてみた。

養沢川は本流秋川と同じように秋川漁業協同組合に漁業権が免許されているが、養沢川の一部については、そこと沿川の地区住民(この場合は養沢部落)とのこれまでのかかわりを認めて漁協が地区住民(トーマス・ブレークモア記念社団)に管理を委託しているとのことである。このような事例は多摩川上流にも何カ所かあるとのこと。この地域全体で運営した釣場の〝売り上げの一部は住民の自治運営や、清流を守るための落葉樹の植林、環境整備などに使われています。〟(養沢毛鉤専用釣場HPより)。

海面における村張りの定置網の管理運営と似ているところが確かにある。しかし、トーマス・ブレークモアが養沢川の一部を借りて魚を放流して専用(私用)釣場にするとき、それを養沢地区に委ねる(権限などをゆずって任せる)という時に漁業権はどうなっていたのか、これは一九五〇年前後の東京での特殊な例なのかこれから調べてみたい。

みなさんのまわりにもこのような部落(地域住民)が管理している釣場があるのか調べてみてはいかが。

元気な漁村はどこにある

村張り定置というのは、現代において、漁業協同組合とは別の集落(村、町の一地区、一〇〇年前の村)として大型定置網を経営することである。村と漁協の関係性はどうなっているのか。

現在筆者は、一村一漁協の村に関心をもっている。北から猿払村漁協(北海道)、佐井村漁協(青森県)、利島村漁協(東京都)、神津島漁協(東京都)、姫島村漁協(大分県)、読谷村漁協(沖縄県)、これらの地域では村張り定置やそれとはまた異なる様々の相互扶助の仕組みが息づいている。

その結果として、冒頭に述べたような世間で言われる繰り言など、どこ吹く風と無視している。

これら元気な漁村はほんの一例で他にもたくさんのどっこいやってやるぜの漁村がある。

そんなことを考えながら現在「漁村の相互扶助論」の究明に取り組んでいる。

(了)

養沢毛鉤専用釣場(東京都)

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