【公開記事】作家・樋口明雄さん 山暮らしインタビュー(単行本『目の前にシカの鼻息』から)

作家・樋口明雄さんがノリにノッている。

2021年の上半期は、「山と溪谷」誌への「屋久島トワイライト」連載に加え、超骨極太の山岳冒険小説『還らざる聖域』、昭和の不良少年たちの切なすぎる青春群像『ストレイドッグス』を連続リリース。二冊とも大注目を浴びている。

9月には人気のK-9シリーズ第10作となる、『異形の山 南アルプス山岳救助隊K-9』発刊が待ち構えている。そして初めての新書書き下ろしの予定もある。こちらはエッセイ集第二作目となる。

「フライの雑誌」では第72号(2006年)に初めて寄稿していただいて以来、1号も欠かさず連載をいただいてる。第122号の「灯台守奇譚」では夏にふさわしいテーマをぶっこんでいただいた。樋口さんの手のひらでコロコロ転がされて全米が大爆笑。もちろん、「フライの雑誌」次号123号へもご寄稿をお願いしている。ここまであっというまの15年間だった。

今回、樋口さん初のエッセイ集、単行本『目の前にシカの鼻息』(フライの雑誌社)から、「山暮らしインタビュー だんだん、自分には山暮らしがあっていると気づいていったんです。」を公開します。

南アルプルの麓に佇む、樋口さんの仕事場兼ご自宅のログハウスで収録しました。

・・


山暮らしインタビュー

だんだん、自分には

山暮らしがあっていると

気づいていったんです。

犬が好き、猫が好き

─ 樋口さんの犬好きは有名で、犬が主役の小説もいくつか発表しているほどです。でももともとは猫が好きだったんだと聞いています。よく犬派と猫派に分かれると言いますが、樋口さんはどちらなんですか。

樋口 以前、杉並区の阿佐ヶ谷に住んでいたころは、小春という猫と暮らしていたんです。猫は人間ベッタリではないでしょう。その適度な距離感覚が好きだった。猫という生き物は人を自動エサやり機ぐらいにしか思ってないようなところがあるけど、それでもいいやと。そばにいてくれればかわいいし、癒しの対象にもなるしという考えね。チャンドラーの『長いお別れ』を原案にした『ロング・グッドバイ』という映画があります。くたびれた探偵の主人公が猫と暮らしている。夜中にニャーニャー起こされたりしてさ。その探偵の姿に孤独さと悲哀、ペーソスがあって、とてもハードボイルドな感じがした。格好いいな、そんな暮らしもいいなと思って友人からもらったのが小春でした。

─ 『酔いどれ犬』(徳間文庫)は阿佐ヶ谷を舞台にしていますね。

樋口 ゲラを読み直してみると、主人公が猫を飼っているんですよ。別れた女房に押しつけられたという設定だった。犬を飼っているより猫を飼っている方が阿佐ヶ谷には似合う。

─ 都会の孤独には猫が似合う。

樋口 そう。

─ 田舎の孤独には犬が似合う。

樋口 うん。犬は生活の相棒だから、同じ目的に一緒に走っていける。猫とはまったく違うペットなんだね。僕の場合、どちらかというともともと犬の方が合ってたんだと思う。猫をまったく嫌いになった訳じゃないけどさ。

─ さっき、庭のビニールハウスに上ろうとした猫をすごい剣幕で追い払ってましたよね。

樋口 あれは実害があるから。よその猫にはそんなに興味はない。でも自分が飼った猫は徹底的に好きでしたよ。『じゃりン子チエ』の小鉄とアントニオJr.、独立独歩的な頭のいい賢者じゃないですか、あいつらは。プライドがあって人間とほどほどつきあってて、たまにちょっと慰めにきてくれるような存在がよかった。でも結婚して子供を持って家族意識が強くなったせいかな。犬の方が相性が良くなった。今や犬なしではいられない人生になってしまいました。(笑)

─ そこには転換があったんですか。

樋口 飽きっぽいわけではないけど、コロリと180度自分が変われるんだと思った。目線が反対を向いちゃったような感じかな。

犬の叱り方は子どもと同じ

─ 犬は家族ですか?

樋口 うん。家族です。自分は犬にとっても親なんですよ。で、今いるココ、あいつは娘であり、その前に飼っていたダンは息子だった。教育して、一緒に育てて。そういう感覚があったからね。犬に対する叱り方と子供達に対する叱り方は、まったく同じです。それは訓練を受けてよくわかった。

─ 〈里守り犬〉の訓練のことですね。人も犬もともに影響は大きかったんですか。

樋口 大きいですね。あれもあって、自分の中の犬に対する関係が、ある意味では成就したんじゃないかとは思います。

─ 一般に、犬は飼われている家の中の人間の序列を決めていると言います。あれはどう思いますか。

樋口 うちは意識しません。でもココの場合は、あいつプライド高いし、多分僕と妻の次の3番目くらいの位置だと思ってるだろうな。うちの子供たちにマウンティングしてるしね。

─ ココはメスですけれど。

樋口 マウンティングはメスでもやりますよ。うちの上の娘はのしかかられたまま、引きずって喜んで歩いてます。犬は必死ですがね。マウンティングは、犬の優位性の主張ではなく、愛情表現や遊びの行為なんだそうです。

─ 人間がご飯を食べる前に犬が先にエサを食べると、犬の方が優位だと思いこむとも言います。「待て」というコマンドは犬にとってどうなんでしょう。

樋口 エサにパーッと来るようじゃダメなんです。まだだよっておすわりさせて、よし! って言って食べさせるのはいい。ただ訓練のインストラクターに聞いたら、食事の順なんて関係ないそうです。一定の時間にエサをやればいいし、人間が食べるものと犬が食べるものさえちゃんと区別すればいいんだそうです。

─ 一緒だとよくないんですね?

樋口 人間が何かを食べながらそれをやるのはよくない。人間が食べてるものを犬が食べることは、おねだりになるんです。犬が要求を始めたりとか、悪い癖が出てくる。それに人間の食べ物の方が塩分が強めですから健康にもわるい。

私の家族を守らないと

─ しつけには上位の者が下位のものにいうことをきかせる意味があると思うんですが、犬のしつけはどうなんですか?

樋口 飼い主と犬には上下があるべきなんだよ。

─ あるべきなんですか?

樋口 うん。ただ、飼い主の家族と犬には、そんな厳然たる上下はいらないだろうと思う。

─ 家族との上下ではなくて、ご主人様はパーソナルなものだと。

樋口 そう。犬は社会的な動物です。仲間とか家族、犬の集団のことを「パック」と呼ぶんだけど、そのパックを作る動物で、仲間意識がある。仲間の間では上下関係があるけど、だからといってそれでいじめをやったりはあまりない。ココは甘えん坊なんで、うちの下の子がママに抱っことかお願いすると、ココも〝だぁ〜〟て走ってきます。〝だぁ〜犬〟とか呼んでます。

─ かわいいですね。

樋口 家族とのそういう親密な関係があるから、よそから人が来たら吠えてくれる。家族守らなきゃ、私が守らなきゃって。

─ なるほど。

樋口 そんな関係がたぶん犬と人とのベストだと思う。で、今まで日本の犬は必ず外飼いだった。ほとんどの国は家の中で犬を飼ってるのね。外に繋いで飼っているのはむしろ珍しい。これは習慣の違いなんだけど、最近僕が言えるようになったのは一緒に同じ屋根の下で寝てる方が、家族意識が強くなる。犬は犬で、自分は外にいなきゃいけないと思う犬もいるだろうけど、なんで私だけが外なんだと思ってる犬もいっぱいいる。家の防衛の意味では、外に繋いでいると容易に毒餌を投げられちゃう。僕が泥棒だったらまず犬をやっつけるね。ところが犬が屋内にいるとそれをやりにくい。家の中から吠えられるしね。だから家の防衛の意味でも、中飼いの方が実はいい。

─ じゃあ樋口さんがいまココとホタル(もう一頭の飼い犬)といるベランダ飼いは最適ですね。

樋口 だと思う。走り回れるしね。

犬は忘れやすい

─ しつけのコツはありますか。

樋口 まず、犬は忘れやすい。叱らなきゃいけないのは、なにか悪いことをする寸前です。ココは猟犬の血が入っているから、以前は他人様のニワトリでもすぐに咬もうとした。あ、ニワトリだ、咬もう、と行こうとした瞬間を怒る。究極のやり方だけど、スプレー首輪っていって、リモコンで作動してプシューって嫌な臭いを出す首輪もありますよ、犬のしつけ用に。

─ 恐ろしい首輪ですね。孫悟空の金剛圏のようです。

樋口 成分は無害なんだけどね。ニワトリを咬みに行こうとしたらプシュっとやって、あ〜ヤダ、ニワトリ=ヤダっていう風に短絡的に覚えさせる。そうするとニワトリを見ても行かなくなるっていう理屈です。でもできれば、ポジティブトレーニングっていう褒めるトレーニングがあるんです。ニワトリを見て「待てっ」と言って、やめた瞬間にヨシヨシと褒めてエサをあげるっていうことを繰り返す。長く繰り返していると、「あ、ニワトリを咬みに行っちゃいけないんだ」と覚えるようになる。とにかく褒める。悪いことをしようとすると、その寸前に人間の方がそれを悟って、ダメだよとかノーと言う。悪いことをやった後に叱っても、叱られたこととやったことの因果関係を犬はわからないんだそうです。とくに時間が離れれば離れるほど忘れちゃう。

─ 「いまおれ怒られてるけど何のこっちゃ」と。

樋口 犬が家の中にウンチしたとして、なんだこのウンチはと殴ったりしても分かんない。

─ 「お前これやったんだろ!」と首を押さえつけても…。

樋口 まったく意味がない。犬はただ耐えているだけです。怒られてる理由が分からないから。

─ 「なんだよぉ」と思うだけ。

樋口 そうそう。動物は思考が非常に単純なんで、二つの物事を結びつけることができないんだということです。

私は風呂に入るべきじゃない(ココ)

─ 娘だか息子だか孫だかわかんないけど、きれいな服を着せてベタベタしている犬好きの人もいます。

樋口 僕は基本的に犬に服着せるのは大嫌い。あれは擬人化以外のなにものでもない。犬はプライドを持っていると思うんだよね。服を着せられた時の犬の心情を考えたら、やっぱり嫌だろうな。せっかく毛皮という服があるのに、人間的なスタイルをさせられて、まぁかわいいって言われて、果たしてこの犬は幸せだろうか? と。

─ 自分の犬のことを、「この子は人間だと思っているのよ」と言う飼い主がいますよね。

樋口 それはまた違うんだ。人と一緒にいる犬はたしかに自分を人間だと思っている。うちのココも、自分を僕の子どもらと兄弟だと思ってる。自分も女房の子どもだと思っている節もある。(笑)

─ それは感じるんですか?

樋口 感じます。だけど犬が服を着るとか人と同じ何かをすることとはまた違う。例えば家族が風呂に入っているからといって、ココは絶対風呂には入ってきません。「自分だけは風呂に入るべきじゃない」とアイツは思ってるんです。昔一回だけ入れたことがあるけどね。

─ 嫌がってましたか。

樋口 うん。基本的にウチは風呂に入れません。入れすぎると油が抜けてよくないと聞いたこともあるし、別に臭くないからいいんじゃないの。犬は本来風呂に入る動物じゃないんだし。よっぽど汚物まみれになった時は別だけど。そうじゃなきゃ彼らは自分で自分の毛皮を舐めてきれいにします。

─ プードルのトリミング、耳のカットやしっぽカットだとか、ああいう愛玩犬はどうでしょう。

樋口 愛玩犬は人間が愛玩するために作った生きものです。遺伝子操作でどんどん加工していったから、あれはあれで犬とはいえ、もう別の生き物なのかなと思うことはある。だから服着せてるのかな、香水かけてるのかなと。

─ 犬とのつき合い方は飼い主と犬、それぞれということですね。

樋口 結局はそう。今となっては、僕みたいな犬の飼い方の方が特殊なのかもしれない。ココは山中湖のH君という猟師からいただいたんです。犬たちといっしょに暮らしているH君に犬とのつきあい方を色々話してもらって共感したから、僕は彼のコピーを無意識的にやってるんだと思う。だからココと一緒に山に入っている。猟こそしないけど、犬と一緒にシカを追いかけたりとか、猟をする寸前くらいまでのことは毎日やっています。僕はそれが楽しいし、ココも猟犬の血筋だから、毎度のエサより山が大好きみたいなところがある。僕と犬と、それぞれお互いに似合ったスタイルで暮らしていると思いますよ。都会的な飼い方とは明らかに一線を画していますよね。

肝硬変と阿佐ヶ谷と

─ 以前『フライの雑誌』でも書いてくださいましたが、樋口さんのなかでは阿佐ヶ谷時代の印象というか影響が、その後の人生に大きいのですね。

樋口 20代の終わりから30代の終わりまでの約10年弱を阿佐ヶ谷で暮らしました。僕らはガード下大学とか飲み屋大学とか呼んでたけど、酒の飲み方、会話のやり取りで、人間関係や人間同士の距離感を学びました。むやみに人にからむことはない、暴力はしない、暴言をはかない。あとは、人を傷つける表現を絶対言わないように言葉を選ぶ。酔っていても言葉を選ぶことは、できます。言葉の選び方であるとか、痛いことをつかれた時にくるっと逃げる言葉の選び方なんかは、飲み屋で上手くなりました。だから面白かったですよ阿佐ヶ谷は。あのままいたら多分死んでたと思うけど、肝硬変で。(笑)

─ もう南アルプスに来てからの時間の方が長くなりました。

樋口 阿佐ヶ谷の頃はまだ独り身で適度に遊べるくらいのお金を稼げればそれでいいやと思っていました。将来的な見通しはなかった。刹那主義でした、非常に。

─ 阿佐ヶ谷は人口一人当たりの飲み屋密度が日本一だと言われています。私事ですが樋口さんが阿佐ヶ谷にいたころ私も阿佐ヶ谷に暮らしていたんです。界隈をうろうろしていました。

樋口 じゃあ今はもうない『チャンピオン』で会っていたかもね。

─ 『チャンピオン』は行けませんでした。

樋口 あそこはちょっと入るのに勇気がいる。いきなり殴られそうで。(笑)

─ なにせ『チャンピオン』ですからね。樋口さんが繁く通っていらして、『武装酒場』『武装酒場の逆襲』(ハルキ文庫)の舞台のモデルにもなっている『木菟』は、大人の店という雰囲気で近づきづらかった。地場産業の匂いがしました。

樋口 (笑)それはわかる。

─ 同じ地場産業でもガード脇の『暖流』は大丈夫なんだけど。

樋口 『暖流』は東の空が明るくなってから行く店ですよ。

─ その点『吐夢』は放置してくれるのでくつろげるいい店です。

樋口 ジャズ屋だからね。思うと僕の阿佐ヶ谷での記憶のほとんどは飲み屋絡みがしめている。あそこはやっぱり飲み屋の街だった。

自分には山が合っている

─ 渓流釣りも阿佐ヶ谷時代に覚えたんですよね。

樋口 うん。飲み屋で知り合ったある人(※本文に登場するSさん)にフライフィッシングのことを淡々と語られた。で、僕が丹沢の山に通うようになったら沢にヤマメがいた。それをルアーで釣るかフライで釣るか考えて、ルアーは荷物が重そうだからフライに決めた。(笑)

─ さっきの都会の猫の話ではないですが、阿佐ヶ谷で夜ごとに飲み屋へ通う生活を離れて、なぜ山に向かうようになったんですか。

樋口 …ガス抜きかな。飲み屋で会うだけの飲み友達と飲みながら、結局この人たちとは本当の友達じゃないかもしれないということを思ったんだね。それに、みんな夢を語るくせにそれで終わっちゃう。俺は何になりたい、何をやりたい、どこへ行きたいと、しゃべるんだけど、それでおしまい。ああそうですか、と思うようになった。突き放した。僕はなにか本物が欲しかったんだと思う。だから一部の人間には身勝手と憎まれた。

─ 安穏として袋の中に収まっている相手を、覚ましちゃったんでしょうか。

樋口 ある意味ではね。…僕は山は高尾山から始めたんですよ。最初は無目的に高尾山に行ったんです。

─ 普通の格好で?

樋口 ジーパン履いてたと思う。ナイフを背中のリュックに入れてさ、なにか役にたつだろうって。

─ 高尾山でナイフか。

樋口 そう。(笑)そうして高尾山の奥までずっと行ったわけです。なんとかっていう峠まで歩いて行って満足した。俺はロープウェイ使わなかったぞ、と。(笑) それが気分良かったから次は丹沢に行きました。山に行く時は一人。そうして、だんだん山が自分に合っていることを知ったら、日常生活でもふっと山のことが思い浮かぶようになった。

─ 何かのはずみに?

樋口 そう。風呂に入っている時とかトイレに入っている時とか、飲んでいる時とかに、ふっと思い浮かぶ。丹沢の滝とか、奥多摩のヤマメとか、森のトラツグミの声を思い出す。ああ、行きたいなって思って毎週行ってたら、そのうち西丹沢の山小屋に住み着いてしまった。都会を離れて山暮らしをしたい気分はそのへんから徐々に高まっていったんでしょう。わざわざ山に行くんだったら、住んじゃえという発想だった。

─ 通うのは面倒くさいから住んじゃえ、ということですか。

樋口 手間省けるでしょう。(笑)

─ 手間の問題じゃないと思いますけどね。

樋口 それこそ窓の外に竿だして釣りができればいいなとふつうに思っていましたからね。

時々引きこもります

─ 釣りは最近どうですか。

樋口 このところ釣りのテンションが落ちてるんです。毛鉤釣りは4月からだと思っているから、僕は3月にはいっさい川に行かない。去年は4月に入ってすぐ川に行って、このまま怒濤の川通いだと思ってたら、いつの間にか行かなくなっていた。

─ 仕事が忙しくなったんですか。

樋口 そうじゃない。仕事とは関係なくて心の波なんだ。ガーッと釣りに行きたくなる時とそうじゃない時があって、去年はこの落ち込みが早くきた。だから5、6月のフライの最盛期にも川へ行かなかった。で、夏は雨ばっかりになってすっかり萎えちゃった。9月がきたら毎週行くだろうと思ったらやっぱり行かなかった。(笑)

─ 釣りの他になにかをやっていたんですか?

樋口 いや、何にもやってない。ぼぉ〜っとしてた。(笑)

─ いつでも行けると思うと行かなくなるとよく言いますよね。

樋口 それに近い。せっかく川のそばに暮らしているのにね。都会は住んでいるだけでエネルギーを使うでしょう。こっちにいるとその刺激はありません。

─ 刺激はないですか?

樋口 ない。

─ 断言しますか?

樋口 うん、断言します。例えばね、都会にいると電車に広告があったりテレビも映ってるし、いっぱい人がいて人を見るだけでもおもしろい。飲みに行ったらいろんなおもしろいヤツが飲んでるから、話しこんだりする。でもここにいたら、ウチと同じ敷地内にある仕事場との通いと、インターネットくらいしかない。

─ 会社に通うわけじゃないと。

樋口 引きこもりですよ、言っちゃえば。

─ 1週間くらい家族以外に会わなかったりしますか?

樋口 たまにそれが身につまされることがあるんだよね。そんな時にちょっと焚火したくなったり、山に行きたくなったりします。

─ 中央線に乗って新宿に行こうかとは思いませんか。

樋口 できれば都会へはあまり行きたくない。駅を出たとたん、職質にあうから(笑)。

焦れば焦るほど

樋口 こっちで暮らし始めてから、一年に一度か二度、用事で都会へ行くでしょう。あるとき、突然阿佐ヶ谷の街が小便くさくなりました。

─ 子供じみてると感じたんですか。

樋口 そうじゃなくて物理的、嗅覚的に。いつも自然の中にいるでしょう。排ガスがなくて森の匂いがあって風の匂いがあって、川のオゾンの匂いがある。純粋培養じゃないけど、24時間ずっとその中で暮らしているうちに僕の細胞が変わったと思う。

─ 細胞ですか。

樋口 人間の脳細胞は1年で入れ替わるといいます。僕はこっちに10年いるから…。

─ 10回変わった?

樋口 その入れ替わった脳細胞で都会に行くと、違和感を覚えるんだよね。今までガード下の匂いとか大好きだったんだけど、くさいんだ。あとは音がうるさい。

─ まさにそれが、刺激なんじゃないですか?

樋口 だからね、都会に行くとその時に色んなネタが浮かぶ。逆に仕事に取り組む意欲が都会にいると浮かぶんだよ。騒音だとか人の話し声、排ガスの匂いは嫌なものだけど脳のどこかの部分を活性化させる何かがある。創作意欲に関係する。電車のつり革に掴まっていると色んな話がばあ〜っと浮かんできますよ。メモしとかなきゃって思ってるうちに忘れちゃうんだけど。(笑)

─ 阿佐ヶ谷に暮らしていたころはどうだったんですか。

樋口 阿佐ヶ谷のころは、そうだねえ、売れない作家というジャンルがあるとしたら、僕はそれなんだろうなっていう自覚があった。

─ どういうジャンルですか。(笑)

樋口 小説の主人公で俺は売れない作家っていうのがあるじゃないですか。そういう感じ。

─ それは気取りですよね。

樋口 そう。阿佐ヶ谷の時代は気取ってた。でもどこかにきっと焦りもあったのかもしれない。あの頃は一時期ホントに無我夢中で、職業作家であり続けるためには何か文学賞をとらなきゃいかんと焦ってね。焦れば焦るほど何にもできなくて。で、ふと軽くなって、まぁ人生長いからそのうちとれるよと思って、だら〜んとお酒を飲んで暮らしていたの。(笑)

〝来たりもん〟の心得

─ いざ山暮らしを始めると、ガスは抜きっぱなしですか。

樋口 ところがね、住めば住んだで別のストレスがある。こちらに来て真っ先にハンター問題があった(※自宅敷地の前で猟をするハンターに抗議したところ銃で威嚇されたなど)。すいぶんいじめられて、ひどい目にあって、帰ろうとも思ったけどもう帰る場所もないから、ここに根性をすえました。ただ逆にそのハンター問題のおかげで、この地で自分の家族を守って住む場所を勝ち取ったという気持ちにもなった。

─ 飼い猫を殺されたんですよね。

樋口 そう。僕の家の庭に入ってきたハンターの犬に、阿佐ヶ谷から連れてきた小春をかみ殺された。小春を殺されたあのとき、都会に終止符を打たれたんだ。─うちの裏山は法律的には禁猟区ではなかったから、猟はやってもいい。僕たちは山に暮らしたいから山に来た。でも庭先で銃を撃たれちゃ困る。向こうは向こうで、俺たちの猟場に何で家を作るんだ、後から家を建てたお前らが悪い、という思いがある。そのせめぎあいなんだけど、最終的に思うのは、目の前に人の生活があったら普通は銃を撃って猟をしないだろうということですよ。話し合いには時間とエネルギーが必要でした。

─ どう落ち着いたんですか。

樋口 お互いに折れた。かんたんなことで、裏山で猟をするときは僕に電話をくれとそれだけの話です。うちにも近所にも子供がいるし、お客さんも来る。近くにジンバ・フライフィッシングエリアという管理釣り場もある。銃猟禁止地区ではないといってもボーダーライン上なんです。でも犬はラインなんか知らないから走ってくるし、流れ弾だって飛んでくるかもしれない。だから猟をやる時は事前に電話をくれ。そうすれば僕が周りに連絡して、今から何時まで猟をやるよと通達する。それでいいかと言ったら、相手もわかったと納得してくれました。

─ なるほど。

樋口 それでね。僕はいつも犬と一緒に山に入っているから、どこにイノシシが寝てるかを知ってる。お互いに情報のやり取りをしようじゃないかと。さっき、阿佐ヶ谷の飲み屋で人と人との距離感を知ったと言いましたけれど、山暮らしを始めてからも、さらに時間をかけてようやくそれを見つけられたという感覚があります。この土地では移住者のことを〝来たりもん〟と呼びます。来たりもんは10年住んでも来たりもんなんです。

─ 移住者と先住者との距離感は『約束の地』にも描かれていた樋口さんの作品のひとつのテーマです。都会の飲み屋の客同士の距離感と、始めから距離を置こうとする相手との距離感は違う。最初は大変でしたでしょう。

樋口 ギリギリまで自分が主張できる距離と、相手を怒らせない距離。そこの理屈は同じですよ。時間はかかったけれど、いまは地元のハンターから獲物のシカを分けてもらうくらいになった。お互いの距離をうまく測って、快適に暮らしています。だからいまだに分からないのは、女房との距離感くらいかな。

─ …今のがオチですか。いいんですか、そういうことで。

樋口 いいんじゃない。(笑)

・・・

南アルプスの麓の仕事場にて/2009年12月
ききて:堀内正徳(『フライの雑誌』編集部)

『約束の地』で日本冒険小説協会大賞・第12回大藪春彦賞をダブル受賞
NHKラジオ第一「ラジオ深夜便」朗読 第六章「サルを待ちながら」
『目の前にシカの鼻息 アウトドアエッセイ』
四六判208頁 1,885円税込
フライの雑誌社刊
ISBN978-4-939003-44-8

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解説 荻原魚雷

フライの雑誌-第122号|特集◉はじめてのフライフィッシング1 First Fly Fishing 〈フライの雑誌〉式フライフィッシング入門。楽しい底なし沼のほとりへご案内します|初公開 ホットワックス・マイナーテクニック Hot Wax Minor Technics 島崎憲司郎+山田二郎 表紙:斉藤ユキオ

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初公開 ホットワックス・マイナーテクニック Hot Wax Minor Technics 島崎憲司郎+山田二郎 

フライの雑誌-第118号|フライの雑誌 118(2019秋冬号): 特集◎シマザキ・マシュマロ・スタイル とにかく釣れるシンプルフライ|使いやすく、よく釣れることで人気を集めているフライデザイン〈マシュマロ・スタイル〉。実績ある全国のマシュマロフライが大集合。フライパターンと釣り方、タイイングを徹底解説。新作シマザキフライも初公開。永久保存版。|島崎憲司郎|備前 貢|水口憲哉|中馬達雄|牧 浩之|荻原魚雷|樋口明雄

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フライの雑誌-第121号 特集◎北海道 最高のフライフィッシング|121号の連載記事で人気ナンバーワン。夢を挟むタイイングバイス フライオタクの自由研究2 大木孝威(2020年12月5日発行)

版元ドットコムさんの〈読売新聞の書評一覧〉に『黄色いやづ 真柄慎一短編集』が載っている。もう本当にありがたいです。

真柄慎一さんのデビュー作 朝日のあたる川 赤貧にっぽん釣りの旅二万三千キロ
(2010)

春はガガンボ号 ガガンボは裏切らない。 頼れる一本の効きどこ、使いどこ 

『フライの雑誌』第120号(2020年7月20日発行) 特集◎大物ねらい 人は〈大物〉を釣るのではない。〈大物〉に選ばれるのだ。|特集2 地元新発見! The new discoveries around your home

桜鱒の棲む川 ─サクラマスよ、故郷の川をのぼれ! 水口憲哉(著)
ISBN978-4-939003-39-4
本体 1,714円