フライの雑誌-第120号(2020)から、〈水辺のアルバム17〉太陽黒点のせいかも(水口憲哉)を公開します。
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水辺のアルバム17
太陽黒点のせいかも
水口憲哉
(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)
フライの雑誌-第120号(2020年発行)掲載
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川名さんは26年間に1112日出漁し、6342時間釣りをした。
釣りに関する面白い論文に出合った。
川名武(一九七一)〝磯釣から見た東京湾における(昭和20年─昭和45年)クロダイの発生量の変動 水産増殖一九(二)51〜53〟は、二六年間というのがすごい。
筆者も長年にわたって色々な水産生物の漁獲量変動を検討してきたがある種について同一漁法で同一海域(漁協)での二五年間というのはなかなかない。まして、釣りでは漁獲するが、漁業の対象として農林統計で取り扱われることの少ないカイズについてである。
それで思い出したのは、拙著『原発に侵される海』(南方新社)で鹿児島県吹上浜でシロギスの投げ釣りの釣果をキス釣り日記としてネット上で公開されている方の記録を二〇〇五年より一〇年分引用させてもらったことがある。そこでは、原発停止後の吹上浜の一時間当り釣果の増加の程度が、風裏に当たる鹿児島湾の喜入のそれより二〜三倍大きいということが判明した。全くそんなつもりがないのに川内原発稼働の影響調査をやっていたことになる。これが長期間の釣り日記の面白いところである。
川名さんは九月から翌年四月(これをカイヅ釣年度とした)にわたって休日はかかさず未明から出かけ、釣れても釣れなくても暗くなるまで釣り続けた。定年退官した昭和四〇年(一九六五年)以降はほとんど毎日のように出かけた。なお戦後の二〇年は当時月島にあった水産庁の東海区水産研究所で仕事をしていた。富津から毎日二時間近くかけて通勤していたようである。
その結果、二六年間に一一一二日出漁し、六三四二時間釣りをした。出漁日数は一九四五年と一九七〇年が二一日と最少で、上記のように一九六五年は一一一日と最多であった。二、三歳魚とクロダイを除いたカイズ(当歳魚)の総釣獲尾数は七一二一尾で、一日当り六・四尾、一時間当り一・一尾となった。これらの数値を表にしたあと、年次別釣獲総尾数と時間当り尾数の折れ線グラフの図を作成している。
そしてこの論文の目玉というか最大関心事としての太陽黒点極大年(一九四七、一九五七、一九六八年)と同極小年(一九五四、一九六四年)をその図に表示している。
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太陽黒点数の極大年と極小年との間に必ず一回の大発生が起っており、かつ極大、極小期には発生量がすくない
ところでクロダイは成長につれて関東ではチンチン─カイズ─クロダイ、関西ではババタレ─チヌ─オオスケと呼び名が変わる。
川名は居住地千葉県富津市湊では当歳魚をカイヅ(ケイヅ)といい、二、三歳魚はそれぞれ二歳、三歳と区別して言うとして、本論文では当歳魚のみを扱ったので、その釣獲量を発生量に比例すると考えている。
そこでまず、発生量のピークは一九四六年、一九五〇年、一九五六年、一九六〇年および一九六五年であり、発生の谷は一九四八年、一九五四年、一九五九年、一九六三年および一九六八年であるとしている。
そして時間当り釣獲尾数の変動傾向が大発生の山も谷もその値が年々低下しているのは、東京内湾の開発による埋立てや汚染そして藻場(アマモ、小アマモ)の減少等が引き起した当然の帰結であろうとしている。
これは一九七一年に刊行された『東京都内湾漁業興亡史』にも書かれていない具体的漁獲量変化を示した衰退過程の貴重な資料とも言える。川名さんの釣り技術の向上とか体力の衰えとかを考えさせない美事な分析である。
そしてこの長期変動を気温、水温、海水比重、日照率、降水量、暴風日数雨等とも比較したが相関的な関係は見出されなかったとして、最後に次のように結語している。
〈ただ、その理由は明確にし得ないが、太陽黒点数の極大年と極小年との間に必ず一回の大発生が起っており、かつ極大、極小期には発生量がすくないことが(一年のずれが起ることがある)第一図から明らかに認められる。このことは筆者の調査した北海道ニシンの場合と一致している 4) 5)。〉
これは川名が戦前北海道の水産試験場でニシンの研究をしていた時に、日本水産学会誌に発表した論文、〝倉上、川名(一九三六)太陽黒点とニシン発生数量および漁況との関係〟等の論文を引用してのことである。
若い時に関心をもち面白かったことが忘れられず三五年後にこの仮説をクロダイに適用してみたのかもしれない。
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太陽黒点は一一年ほどの周期で増減を繰り返している。このことを切り口として
ところで、太陽黒点仮説とはどういうものか。
四〇〇年前にガリレオが太陽の黒点を観測し始めてからいまだもって多くの未解明の点をもつ黒点は、普通の太陽表面温度の約六〇〇〇度に比べて二〇〇〇度ほど低い部分が黒く見えるのでそう呼ばれている。
この太陽黒点が一一年ほどの周期で増減を繰り返しているが、このことを切り口として大気、気候変動や社会変動との関連を考えるいろいろの説すなわち仮説がうち立てられてきた。
そういうことで、日本の水産研究者の中にもニシン、マイワシ、ハタハタ、スルメイカなどについてその漁獲量を検討するに当って、太陽黒点数の変動に注目し関連づける人たちがこれまでもいた。
漁獲量変動についてはもう一つややこしくしているのが、乱獲や漁獲圧力増強等の人為的影響と卵や稚魚の生き残りを決定する海洋環境等の自然的影響と、どちらがより大きく要因として左右しているかという問題がある。
明治時代の北海道はニシン漁で栄えたと言っても過言ではないほどニシンがよく獲れた。そのニシンが一九五五年以降ほとんど姿を消してしまったことについては『ニシン山に登る』の本で言われたような陸上で木を伐採し過ぎたという説や、海況の変化で分布の中心がもっと北に移ってしまったというのや諸説あったが、最近北海道水産試験場の田中伊織(二〇〇二)〝北海道西岸における二〇世紀の沿岸水温およびニシン漁獲量の変遷〟によって、この点について明確に決着がついた。
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マイワシの増減の究極の要因は、太陽黒点等の太陽活動の変動かもしれない
田中は近年発見された小樽市高島の一八九七年からの水温観測資料等をもとに解析し、〈北海道─サハリン系ニシンの再生産に対しては低水温年代では卓越発生の頻度が高く、高水温年代では卓越発生の頻度が低くなる〉とし、〈大気─海洋相互作用による水温の変動〉がニシンの資源量変動に強い影響を与えているとしている。
ニシンと同じようにというのかそれ以上に私たちの暮らしに密接な大衆魚の代表とも言えるマイワシについても、漁獲量変動の原因究明には昔から多くの人々が関心をもっている。当然太陽黒点の増減と関係ありと主張する研究者もいる。ただそうは言っても具体的に数値をあげて証明することはできない。
魚の減ったり増えたりは、大量に産み出される卵や稚魚が遭遇する海洋環境の条件下で、どれだけ生き残れるかが決め手であると昔から考えている筆者は、マイワシの増減の究極の要因は、太陽黒点等の太陽活動の変動かもしれない、とはよく学生に言ったものである。
それは地球が太陽系の一惑星として太陽の活動によってその気候や大気の様子、そして海流が強く影響を受けている以上、当然のことである。ただし、そのメカニズムがほとんどわかっていない現在では至近要因としての海水温等を手がかりとして考えてゆくしかない。
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太陽黒点変動と漁獲量変動との間にはいろいろな要素が複雑にからんでいる
そんなことを考えているときにカナダのビーミッシュほか(一九九三)が大変面白く刺激的な報告〝気候と関連する太平洋のサケの生産量〟を発表した。
その当時筆者は北太平洋における日本のサケの漁獲量について、密漁等により、実際に公式報告されている漁獲量の倍以上を乱獲している実態を把握しつつあったので、公式報告の数値を使っているビーミッシュらの図に密漁分で補正した日本の漁獲量を書き加えると、気候変動による漁獲量予測がより適合することに喜んだものである。
この報告の中で、アリューシャン低気圧の変動がサケの生産に強く影響していることを知った。このビーミッシュらのいくつかの報告等をも土台にして、マンツァほか(一九九七)〝サケ生産に強く影響する太平洋における一〇年間隔の気候変動〟が発表される。その考察の冒頭で、ミノベ(一九九七)〝北太平洋と北米における五〇〜七〇年気候振動〟を引用して全くその通りだと絶賛している。
この北海道大学の見延庄士郎が地球物理学研究通信に発表したレジームシフト仮説は、その後の漁獲量と海況の変動関係を解析する際の一つの大変有効な道具となった。
その結果マイワシについてもそれまでもごもご言っていた水産庁の研究者が、「アリューシャン低気圧─黒潮続流域─黒潮とつながる海洋構造の変動の過程にレジームシフトを組み込んで考えることによりその海況にプランクトンの繁殖が影響を受けマイワシの生残がそれに強く関連している」という考え方を明確にし物を言うようになった。
見延のレジームシフト仮説というのはマンツァほかも認めるように、一九二五年、一九四七年、そして一九七七年にあった海洋構造の大きな体制転換によってそれぞれの年代区分ごとに漁獲量と海況の変動関係の分析方法を変えなければいけないという見方に通じるものと筆者は理解している。その後見延も追加報告を出したりして、この年代区分は一九七七〜一九八八年、一九八九〜一九九八年、そして一九九九年以降と分けられると考えられている。
この考え方によって筆者らはイセエビやマダコの漁獲量変動機構を検討し、漁獲量予測を行なっている。すなわち、イセエビは一歳のプエルルス幼生の沿岸への着底量が黒潮の流れ方によって決定されるので、その時の海況から二年後の漁獲量がかなり確実に予測できる。
また南三陸から外房へのマダコ渡り群についても幼生の分散予測により半年前の海況から漁獲量を予想できる。共に海上保安庁水路部から海洋速報として黒潮の流れ方に関する情報が報告されだしたのが一九六三年からなので、それ以降のことではあるが。
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何から何まで予測通りに起ってしまったのではそれこそ大問題
漁獲量予測に関わる人々が太陽黒点に魅力を感ずるのは、きちんとした一一年周期があり予測が可能だからというのがある。しかし、太陽黒点変動と漁獲量変動との間にはいろいろな要素が複雑にからんでいるので周期が合わないことも多い。
またイセエビやマイワシでは間には黒潮の流れ方やレジームシフト等があるが、黒潮もレジームシフトもきちんとした周期がある訳ではなく、今のところ変り方の予測ができないというのが問題といえば問題である。とはいえ、何から何まで予測通りに起ってしまったのではそれこそ大問題で、どう対応してよいかわからなくなってしまう。
いっぽう、最近では気象衛星をはじめ国際的な気圧、海水温計測ネットワークの整備とともに進んだ地球環境研究と太陽活動の研究があいまって、エルニーニョやアリューシャン低気圧の変動と太陽活動の変動との関係もわかり始めている。究極から至近までの関連も解き明かされつつあるということである。
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地球温暖化といわれる今の時代はエディ極小期のまっただ中にある
再び太陽黒点の話にもどると一一年周期の他に長時間周期として、八八、一〇四、一五〇、二〇八、五〇六年というのがあり、きわめつけは四つの惑星の位置関係で決まる小氷期を形成する二三一八年の周期としてハルシュタット周期というのがある。また、約五五年のコンドラチェフ循環は、五〇〜七〇年周期の気候レジームシフトのサイクルに通ずるものがあるとも言われている。
ここでやっかいなのはこういった周期とは別に、太陽活動の低調期を木の年輪の14C(炭素14)や氷中の10Be(ベリリウム10)濃度から宇宙線の活動状況を把握した七つの太陽黒点量の極小期として、次のものがあると定説化している。オールト(一〇一〇〜一〇五〇年)、ウォルフ(一二八〇〜一三四〇)、シュペーラー(一四二〇〜一五七〇)、マウンダー(一六四五〜一七一五)、ドールトン(一七九〇〜一八三〇)、グライスベルク(一八七〇〜一九三三)、エディ(二〇〇九〜二〇三〇)。
この極小期が、地球の寒冷期に相当し、気候変動と密接な関係にある。そして、ことをややこしくしているのは、地球温暖化といわれる今の時代がエディ極小期のまっただ中にあるということである。
それはさておき、これら長短いろいろなサイクルについて小麦や農産物の収穫量変動、工業生産量、景気、株価等の経済的変動と関係づけて一〇〇年以上昔から論議されている。そしてその因果関係における原因というか結果として宇宙線、磁気、そして気候の変動さらには晴天日数や人々の気分や心理状態等いろいろ多様なものが検討されている。
なお、これから寒くなる寒冷期に入るという考え方を強く主張する人もいる。これは地球温暖化に真っ向から反対の考え方の一つで、桜井邦朋(二〇一五)『日本列島SOS 太陽黒点消滅が招く異常気象』(小学館新書)はその身近な見本と言える。そういうことには我関せずとばかりに太陽活動の周期性一筋に資料を集めまとめたのが、住田紘(二〇一二)『太陽黒点と気候・社会変動』(ナカニシヤ出版)と言える。
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パンデミックや大不況も太陽活動周期と関係があるという説もあり
なお、地球温暖化といわれるものについても、
1 太陽活動をほとんど考慮せず、人為すなわち人間活動によるものであると主張する人々。
2 太陽活動の変動でほとんど説明がつくと考える人々。
3 1と2の温暖化への寄与率はいろいろだが両者によるという折衷派。
筆者は今のところ3である。
なお、川名はクロダイにおいて、太陽黒点の一一年周期に東京内湾の開発という人為的改変によるクロダイ発生量の長期的低落傾向を重ね合わせて見ているので、折衷派といえるかもしれない。
一番やっかいなことは、この極小期には寒冷化も起るがそれ以上にそれまで順調だった気候が激しく変動するようになるということである。
近年世界各地で起っている異常気象といわれる豪雨や暴風は地球温暖化のせいと考える人も多いが、エディ極小期であるがゆえの現象とも考えられる。
さらにややこしくなっているのは、このように太陽活動と気候変動の関係に諸説がある中で、コロナ禍というパンデミックが起り、その結果としての経済活動の大後退が起っているが、パンデミックや大不況も太陽活動周期と関係があるという説もあり何が原因で結果かもわからない混迷情況になっている。
そこで、太陽活動の一一年周期とそのエディ極小期との関係からある程度の予測がつくと考えている人の中には、何はともあれあと一〇年で以上の問題には一つの決着がつくと期待している人もいる。
(了)
『フライの雑誌』第123号
定価1,870円(税込み) 本体1,700円+税
(2021年10月15日発行)
ISBN 978-4-939003-87-5
釣れるスウィング
Simple&Refreshing FlyFishing with a SWING
シンプル&爽快 サーモンから渓流、オイカワまで
アリ・ハート氏の仕事 Ari ‘t Hart 1391-2021
フライフィッシング・ウルトラクイズ!
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※店舗には2021年10月16日以降に並びます。
※少部数です。ご予約注文をおすすめします。
※Amazonなど各書店・ネット書店でも扱われます。ネット書店経由での発送は10月下旬からになります。
〈フライの雑誌〉第123号は10月15日の発行です!
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