学生時代に一泊だけお世話になった、北海道のとほ宿さんの名前をふと思いだした。
検索したら阿部寛のホームページみたいなホームページがヒットして、いまも営業していた。ご主人の生れ年が出ていた。ずいぶん老けて見えた記憶があるけど、ご主人は当時まだ30代の後半だったようだ。わたしは19か20だった。
夕飯は、奥さんと小学生の息子さんのご家族3人と、おなじテーブルを囲んだ。とても質素な食卓で、わたしだけおかずのお皿が一品多かったの、今もつらい。乾いたマグロのお刺身を、「ぼく、食べる?」とあと一歩で聞きそうになった。あの小学生がいま40くらいか。
さて、世相はこんな感じだ。半径6371kmのご近所を見回して考えるには、分かり合えない人と分かり合う希望と努力を諦めたら、出版に関わる意味がない。分かってくれる人は何も言わずとも分かってくれている。初心に帰って自分の仕事をするべ、という思いを強くしている今日この頃です。
いつか知らない間にずいぶんトシとったから、ときどき自分で石炭ぶっこむ必要がある。
少年老い易く釣り成りがたし。一寸のアタリ軽んずべからず。
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『フライの雑誌』第124号は、待ちに待った春、ココロもカラダも自由な「春の号」です。