【公開記事】
『葛西善蔵と釣りがしたい』より
アテネ書房と
『ザ・フライフィッシング』
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「釣りはいくらやっても釣りでしかない。いくらやってもきりがない。」と創刊編集発行人の中沢孝氏が言っていた。だから釣りは適当にやっておけばいいんだとも、だからこそとことんまでやってみたいよね、とも聞こえる。わたしは後者の意としてとらえた。そしてこんな感じになっている。わたしの釣りなんか少しも「とことん」ではないことを、今はよく分かっている。
一九八〇年初版の『ザ・フライフィッシング』は、〈国内初のフライフィッシング・アンソロジー〉を謳った単行本だ。開高健氏の序文から始まる。まだ広く知られていなかったフライフィッシングを、寄稿者たちは高度に、知的に遊んでいた。中学生のわたしはこの本と図書館で出会った。
大人の世界に憧れて日夜悶々としている釣り好きの子どもにとって、『ザ・フライフィッシング』の世界は麻薬そのものだった。きら星のような作品群の中で、船井裕氏のエッセイ「毛鉤釣雑記」がいい。
︱投げた毛鉤に魚が出る。この一瞬、釣師と魚は毛鉤を介して一体となる。それは文字通り一瞬にしか過ぎない。しかし、正しく何ものにも換え難い一瞬である。…次第々々に、私達は準備段階に於ける様々な幻想を打ち払う為にのみ、釣りに行くようになる。そして釣場での体験をもとに、又新たな幻想にのめり込むのである。︱(二四頁「エクスタシーは一瞬であること」)
『ザ・フライフィッシング』は、アテネ書房から発行された。知る人ぞ知る異色の版元だ。自然、釣り、戦記ものなどの書籍を数多く出版している。『山釣り賛歌』(山本素石編著/一九八二)、『ヤマメ・フィッシング』(しばた和著/一九八二)、『バス・フィッシング』(吉田幸二著/一九八四)、『アングラーのための水生昆虫学』(宮下力著/一九八五)など、釣り人の記憶に残る作品は多い。
アテネ書房の社長と電話でお話しさせていただいたのは、中沢さんが亡くなって、わたしが『フライの雑誌』の編集を預かった直後だ。どうやって前に進めばいいのか分からず、何度も繰り返し読んできた書籍の版元へ、いきなり電話することを思い立った。いま思うと先方にはご迷惑だったろう。
社長は一度会社へ遊びにいらっしゃいと言ってくれた。その電話で『ザ・フライフィッシング』の編集作業は実質的に中沢さんがこなしていたことを教えられた。生きている間そんな話はひとことも聞いたことがなかった。社長の口ぶりには、読者には明かす必要のない事情がある様子で、そこがかえって本の深みを増したように思った。
わたしがアテネ書房を訪ねたのはそれから三年後の蝉時雨の季節だった。
本郷水道橋、神田川の脇にたたずむ赤煉瓦色のアパートの一室が、アテネ書房だった。汗まみれになって窓の中をのぞき込んだ。人影はなかった。
アテネ書房は先月廃業しているのをわたしは知っていた。
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