フライの雑誌-第118号(シマザキ・マシュマロ・スタイル特集 2019年10月15日発行)から、樋口明雄さんの「クマならちょくちょく出ますけど?」を公開します。第118号は売切れです。
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クマならちょくちょく出ますけど?
樋口明雄(山梨県北杜市・作家)
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自分にとって小説家という職業はもはや天職だと思っているのだが(というか、いくら今のように本が売れない時代でも、職歴三十年、しかも還暦間際までこれをやっていると、もはや現世における社会復帰は無理)、たったひとつだけ、これだったらやってもよかったなと思う職業がある。
NPO法人ピッキオは、自然環境の調査や保全、啓発運動などのほか、クマの調査や追い払いなどをしている団体。拙著『約束の地』に登場する環境省野生鳥獣保全センター(WLP)のモデルとなった。
そこに日本で初めてのクマ追い犬(ベアドッグ)が導入されて久しい。
『約束の地』の執筆前、軽井沢の星野リゾートにあるピッキオに取材に赴いたのは、二〇〇六年の十二月だった。
ここで活躍しているのはアメリカで生まれ、訓練を受けたカレリア犬(カレリアン・ドッグ)で、そのうち一頭から仔犬たちが生まれて、次世代のベアドッグも現場投入を待つばかりとなっている。
そのハンドラー(指導手)に取材してわかったのは、彼らが犬やクマのプロであるのみならず、野生や自然に関する深い知識があり、野生鳥獣保全の全般に関して第一線で活躍しているということだった。
民間ボランティアというかたちで地域で害獣問題に当たり、サルの追い払いや調査などをしてきた自分にとって、ピッキオのスタッフとりわけベアドッグ・ハンドラーたちは憧れの的だった。
アメリカのパークレンジャーみたいな彼らの制服もかっこいいんだけど、やっぱり経験豊かなアウトドア・マンであるというところに強く惹かれるのである。
ピッキオのマークが描かれた車に犬たちと乗り、現場に颯爽と向かう──そんな仕事ができたらどんなにいいだろうと思うのだが、どうやら来世を待たなければ夢がかなうことはなさそうだ。
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ピッキオのクマ対策チームは、クマの調査、研究、追い払いなどにくわえ、ときとして捕殺も担当する。
クマが人里に出没するようになると、彼らは罠で捕獲し、麻酔処置をしてから個体の調査をする。それから発信器付きの首輪を装着して奥山放獣する。ところが、中には人間の残飯や畑の作物などの食べ物に味をしめて、また里に舞い戻ってくるのがいる。
捕獲と放獣を何度繰り返しても戻ってきてしまうクマは、仕方なく捕殺という処分となる。里通いをするようになったクマはいずれ遠からず人との不幸な遭遇を招き、事故を起こす。そうでなくても夜間、庭先をクマにうろつかれたら、おちおち眠ってもいられないだろう。
そこで再捕獲し、麻酔で眠らせたクマに薬を打って安楽死させる。そのことが愛護団体の反発を招いているわけだが、彼らは何も喜んでクマを殺しているわけではない。
放獣するクマの一頭一頭に名前をつけているぐらい、彼らは愛情を注いでいるのだから、本当はつらくて、心の中で泣いているのだ。しかし人前やマスコミ取材の前で涙を見せるわけにはいかない。
──その代わり、家に帰って思い切り泣きます。
ハンドラーのひとりから、そういう話を聞いたことがある。
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クマが人里に出没する原因はいろいろあるが、とりわけ多いのが餌付けである。
むろん「仔グマがかわいいから」といって、観光客などが餌を投げるというのは論外で、そうした自発的な行為だけではなく、無意識あるいは無知による間接的な餌付け行為も多い。
庭先に臭いの強い生ゴミを埋めていたり、渋柿だからといって、柿の木にいつまでもたわわに実をつけたまま放置をしていたり、あるいは嗅覚の鋭いクマがペンキなどの揮発性の臭いに誘われて民家に近づいてくることもある。
観光シーズンが終わるたび、コンビニ弁当の容器やおにぎり、サンドイッチのビニール袋や残飯など突っ込まれたレジ袋(それも決まって手提げの部分をていねいにキュッと縛ってあるところが、むしょうに怒りを呼ぶ)が車道の路肩などに投げ捨てられ、あるいは放置されている。
ああいう無責任な観光客による刹那主義的行為も、クマなどの野生動物を里に呼び寄せる大きな理由となっている。
アメリカのパークレンジャーの間で慣用句になっている言葉がある。
A fed bear is a dead bear.
餌付けされたクマは死んだクマ
人間の無用な干渉によって里に寄せられたクマは、かわいそうだが殺さなければならない。愛護団体がいくらヒステリックに叫んでも、捕殺以外に代案はない。餌付け状態になったクマによる人的被害の例はあまりに多いからだ。
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実はつい先日、またまたクマに遭ったのである。
犬の散歩中だった。
私はなぜかクマとの遭遇率が高い。これで八回目ぐらい。もしかしたらもっと? めんどくさくなってカウントをしなくなってしまった。
フライの雑誌社から刊行された『ムーン・ベアも月を見ている』の著者、山﨑晃司さんのような専門の研究者ならともかく、たんにアウトドアが趣味なだけの一市民である自分が、ここまでクマと遭遇するのはいったいなぜだろうかと思う。
最初は恐怖したし、生きた心地もしなかったが、何度も遭っているうちに、しだいに馴れてしまった。
馴れた頃が危ないとはよくいわれるが、最近はクマに遭いたくてわざわざかれらがいるような場所に足を向けてしまう。つまりたぶん……クマという生き物が好きなのだろうと思う。
今回はうちのすぐ近所だった。
いつもは愛犬ココ(もう十三歳!)との散歩は我が家の裏山に入ることが多いのだが、この夏はとにかく蒸し暑く、森に入ると猛烈な湿度で、まるで熱帯雨林状態。おまけにヤブ蚊がしつこくまとわりつく。だから仕方なく、里にばかり行っていた。
が、秋の登山に備えて、すっかり衰えた足腰の筋肉をそろそろ回復させないとならないと、蒸し暑いのを承知で犬と裏山に入った。ところがいくらも歩かないうち、ふと足を止めた。
別荘近くの木立に、影法師みたいに黒いヤツがいた。
しかもその黒い頭の上にちょこんと乗った小さなふたつの丸い耳が、何の冗談だと思うほど滑稽に見えた。
クマに出会うたびに思うのだけど、自然の中であんなに黒い存在は他にいない。違和感があるほどに真っ黒だ。背を丸めてごそごそと何かをやっている後ろ姿は、まさに〝黒いおっさん〟という感じである。
数年前、同じ町内で小学生の通学路にクマが出たときは、目撃した児童がこういった。
──ガードレールの下からおじさんが出てきたかと思った。
もさっとした感じが、そう見えたのだろう。
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これまで遭遇するたびに、さいわいクマのほうから逃げてくれたのだけど、このときもそうだった。
目が合ったとたん、あっという間に身をひるがえして反対側へと走り出し、小さな谷を越えて、向こう側の森へと消えてしまった。
さほど大きくはない。一メートルちょっとぐらいの若い感じのクマだった。
イノシシもそうだけど、野生動物が走るときはほとんど足音を立てない。あんな体躯のくせして、実に身軽で、木立の間を流れるように走り去っていくのに驚かされる。
私はしばし呆然と立ち尽くしていたのだが、日頃、おとなしい犬のココが珍しく威嚇の唸りを発していたし、クマが逃げ去ってもしばし興奮して異様な騒ぎ方をしていた。
右腰にベアスプレーを入れたホルダーがあったのだが、こういうときにかぎってその存在をすっかり忘れてしまう。万が一、クマがこちらを襲撃してきたとしても、とっさにホルダーから抜いてそれを使うことはできないかもしれない。ふだん頭の中でいくらシミュレーションしていても、いざという場合はそれがまったく役に立たないことを痛感する瞬間である。
それからどうしようかと逡巡した。
このままいつものコースで山に入れば、さっきのクマと出会ってしまう可能性がある。実際、昔おなじような遭遇をして、いつもの道とは別ルートで山に入ったはいいが、クマのほうも気を利かせてわざわざ逃走経路を変更してくれたらしく、しばらくすると、またばったり出会ってしまった。
二度目の遭遇もクマのほうから逃げていってくれたのだけど、走りながらグーグーと怒ったような声を発していた。
そんなことがあったものだから、クマが去った方角とは真反対の道を選び、簡易な往復ルートをたどって無事に戻ってきたのだった。
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出没原因はやはり餌付けだった。
その別荘周辺の林は、年に何度か、定期的に東京方面から来るボーイスカウトがキャンプをしている。どうも彼らの誰かが臭いのするもの(生ゴミか何か)を持ち帰らず、穴を掘って埋めていったらしい。いつもその場所をココが鼻先をつけて嗅いでいたから、何か埋めてあるなとは思っていたのだけど。
まさにそこを二カ所、クマが掘っていたのだった。
これはまずいだろうとボーイスカウトの指導者に連絡を入れてもらった。
数日後にやってきた指導者ふたりに厳しくいっておいたので、翌週から行われたキャンプの跡はすっかりきれいになっていて、何かを埋めた形跡もなかった。人間もこうしてしっかり学習しなければ、いつまで経ってもクマとの軋轢は解消できない。
そういえばと思い出すのだけど、この何カ月か、裏山に入るたびに目についたのが、何者かに咬み砕かれた風倒木だった。そのときは、イノシシのような野生動物が内部に巣くったアリを食べているのだろうと想像していた。
今にして思えば、あれをやったのはクマだったのだろう。
山﨑さんも著書に書いておられたが、八月つまり盛夏は意外にクマの食べ物がない季節であり、仕方なくハチの巣を襲撃したり、アリの巣をほじくったりしているらしい。
ということは、私と愛犬がいつも入る裏山を、あいつは自分の縄張りにするつもりかもしれない。
さて、これは困ったことになったぞ。
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クマに遭遇した場合、背中を向けて逃げてはいけない。
野生動物は逃げる相手を本能的に追いかける習性があるからだ。よくいわれる死んだふりもできれば避けたい。クマの好奇心を呼んで、倒れている人間のところにやってきて、顔をボーンと前肢ではたかれるかもしれない。それでも死んだふりを維持できるほど度胸があれば別だが。
枝などを振り回して騒ぐのも危険。クマを興奮させたら攻撃を挑発することになる。
やはりその場に静かに立っておき、チャンスがあればゆっくりと後ずさりして距離を空けていくべきだ。
私のいくつかの経験のように、たいていの場合はクマのほうから去って行くものだ。あっちのほうが、人間との距離感覚をよくわかっているのである。
クマ鈴は有効だと思う。だから私はベアスプレーとペアで身につけて山野を歩く。
アラスカのグリズリーはクマ鈴を聴くと逆に喜んで走ってくるそうで、現地では「クマ呼び鈴」と揶揄されているそうだが、国内の山域なら、人間の存在をあらかじめクマに知らせるという意味で役に立っていると思う。
『クマにあったらどうするか』(木楽舎)という本では、アイヌのクマ撃ち猟師だった姉崎等氏が、「空のペットボトルをパコパコ鳴らしながら歩くのがいい」といっている。自然界に絶対にない音だからだそうだ。
クマ鈴がない場合でも、たいていの場合、クマのほうが先に人間の存在や接近を察知して、さっさと逃げてくれるようだ。そのことに人間が気づかないことが多い。たまに犬と山を歩いていて、異様な獣臭を感じて緊張することがあるが、おそらくそのケースだろう。そんなときは知らん顔をして、速やかにその場を通過することだ。
案外とすぐ近くの茂みにクマが隠れていたりするからね。
今は冬だから山に入ってもクマと遭遇しない──などといってる人もいるが、とんでもない誤解である。
よく冬眠というけど、実はクマの場合は正確にいえば〝冬ごもり〟である。越冬穴の中でうつらうつらしているわけだ。
ことに牝グマの場合、受精していて、しかも越冬前の栄養状態がよければ、穴の中で身ごもる(着床遅延というらしい)し、越冬中に仔を産む。だから、冬でも空腹になって穴から這い出し、食べ物を探してうろつくことがある。
山﨑さんの著作を読んでいてびっくりさせられたのは、越冬穴から出てきたクマがそのまま全力疾走できるということ。人間であれば、寝ぼけたまま走れば足がもつれるところを、クマならば〝瞬時にして運動に移れる〟というから凄い。
これはさすがに知らなかった。
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ベアスプレーを携帯するようになって、二十年以上になる。
ウィルダネス・エリアのみならず、犬の散歩などの日常でも腰にホルダーを吊していることが多いのは、我が家のすぐ横の斜面にクマがいたことがあったからだ。さいわい、まだ、実際にクマ相手に使用した経験はない。
ベアスプレーはクマよけスプレーともいわれ、中身はカプサイシン(唐辛子)成分を使った高圧ガスで、基本的には女性などが持ち歩く防犯スプレーと似ている。大きく違うのは刺激性ガスの濃度と噴射パワーだろう。
国内ではいくつか製品が発売されているが、私が最も信頼しているのはアメリカのメーカーが作った〈カウンターアソールト〉という製品だ。
これは北米のグリズリー撃退用に開発されたものだから、北海道のヒグマならともかく、本州のツキノワグマには少々オーバースペックかもしれない。だが、実際にクマに襲撃されたときには、相手のことを考えてなんかいられないだろうから、躊躇せず噴射するしかない。
〈カウンターアソールト〉には二種類あって、標準タイプとやや大型のストロンガーというものがあり、それぞれ飛距離は標準で九メートル前後、ストロンガーで十メートル以上届く。つまりそれだけガスの圧力があり、白いセーフティクリップを外してトリガーボタンを押すと、噴射の反動が感じられるほどだ。
しかし飛距離が九から十メートル──つまりその射程にクマが入ってくるまで、トリガーボタンに指をかけて待っていなければならないわけである。それ以上、離れた状態で噴射しても、突進してくるクマをストップさせることは難しい。実際にクマ相手に噴射の必要が生じたら、緊張と恐怖で棒立ちになっているだろう。
たとえクマが三十メートル先にいるとしても近すぎる。フライラインをフルラインキャストして三十メートルまで届かせるのはえらく遠く感じるのだが、相手がクマとなればこれは別だ。
昔、農家の老人が「クマよけスプレー」ということで、自分の畑の周囲に噴霧していたという証言を聞いて大笑いしたことがあった。あくまでもこれは直接、相手に噴くものだからね。
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スプレーは一本、税込みで一万円前後と高価なものだが、クマと遭遇したとき、それが腰にあるかないかの安心感の差は大きい。
ただし密閉された缶の中でも唐辛子の刺激成分が次第に薄れてくるため、メーカー指定によって有効期限は四年間とされている。当然、期限が過ぎれば、また大枚はたいて新しいものに買い換えることになる。たしかに高いがこれは保険だと思って割り切っている。命には代えられない。
近所の渓流釣りに行って竿をつなぎ、いざ入渓というところでベアスプレーを忘れたことに気づき、家まで取りに戻ったこともある。
期限が切れてしまったスプレーは山の中など人気のない場所で空になるまで噴射し、自治体の法律に従って廃棄するわけだが、そのときに実際に噴射ガスがどこまで届くか視認することができる。完全な無風状態のときですら、オレンジ色の噴霧が届く距離はあまりに短いという感覚がある。
逆風のときにこれを使うとどうなるか。
実は経験がある。
期限切れのベアスプレーはクマには威力が薄れるかもしれないが、防犯用としてはまだまだ使える。ということで、我が家にはそれが常備されているし、ことに若い女性など、治安に関して不安を持っている知人にプレゼントすることもある。
一度、ある人の家に持って行き、庭先でテスト噴射してみたところ、突如、向かい風が吹いてきてオレンジ色のガスが自分たちのほうに戻ってきた。
その場にいた者全員がパニックだった。
目や鼻の粘膜の刺激はもちろん、呼吸困難に陥るほどの猛烈な刺激で、みんなが激しく咳き込みながら屋内に避難し、顔や目を執拗なほどに流水で洗った。それでも三十分近くは行動不能だったから、もしもまともに真正面から浴びていたら半日はもがき苦しんでいるんじゃないか。
こんなものを浴びせられるクマはたまったものじゃないだろうが、人間だって命がけなのだから、こればかりは致し方ないと思っている。
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林業が衰退し、炭焼きなどで人が山に入らなくなって久しい。
里人たちの生活が山から遠のくにつれて、山はどんどん荒廃していった。現代は山菜採りやキノコ狩り、登山やトレイルランなど以外で、人が山に入ることはほとんどない。
誰も山に目を向けなくなるとともに、自然への無知が蔓延していく。
高速道路によく掲げられている〈動物注意〉の看板に描かれたシカのシルエット。頭に生えた角が逆向きであることに気づいた人がどれほどいるだろうか? あれはあまりに恥ずかしすぎる看板だから、とっとと撤去してもらいたいものだが。
クマに関する無知も多い。
どこそこにクマが出たというので目撃証言を聞くと、毛色が薄茶だったり灰色だったりする。おそらくイノシシかカモシカを見てクマだと思い込んだのだろう。北海道のヒグマならともかく、ツキノワグマはとにかく真っ黒だ。大きさが二メートル以上あったという人もいた。いくら何でもツキノワグマでそれはない。
釣り人の自慢じゃないけど、両手を縄で結んで証言させるべきだったかもしれない。
一方で市町村が掲げた〈クマ出没注意〉の看板を見ると、グリズリーも真っ青な感じの、いかにも凶暴なクマのイラストが描かれていたりする。これは違うだろうと市役所の担当によくいったものだ。こうしていたずらに市民の恐怖をあおったりするから、クマと出合い頭に悲鳴を上げて逃げ出し、追いかけられることになる。
だいたい〈出没注意〉って何? って思う。どう注意すればいいのかわからない。
よくある〈落石注意〉の看板だって、私はてっきり上から降ってくる石をTVゲームのように右に左に車のハンドルを切って避けることかと思っていたら、実は道路に落ちている石を避けてくださいということらしい。
だからあの類いの注意看板は、ここでもしも事故があっても、ちゃんと看板をかけておいたから責任を負いませんよという、行政側の逃げじゃないかと思う。
その点、軽井沢のピッキオが掲げた看板はわかりやすい。
「鈴を鳴らして歩き、犬にはリードをつけ、ゴミや食べ物は屋内保管」
と明記してある。さらに
「クマに遭ったら騒がず、走らず、後ずさり」─!
かつて市民ボランティアで野生鳥獣の保全活動をやっていたとき、ピッキオから許可をいただいて同様の看板を作成し、市役所職員によって市内各地に掲げてもらったことがあり、地方新聞の記事にもなった。
ところが行政の大きな欠陥は、何年かおきの人事異動である。本来ならば官民一体でぶつかるべき野生鳥獣問題。我々がいくら頑張っても、行政側の担当者がどんどん代わってしまう。プロが育たず、担当者の顔ぶれが変わるたびに一から教えなければならない。けっきょく、その無意味な制度に振り回され、疲弊してしまい、我々の活動はほとんど成果を出さぬまま終わった。
そしてせっかく作成した看板も、いつの間にやら単なる〈クマ出没注意〉の看板に戻ってしまった。
まるで形状記憶合金だとあきれかえってしまったものだ。
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獣害は人害なのだと思う。
山が荒廃したのは、無秩序な開発もあるが、人が山に目を向けなくなったことが大きい。
戦後からの経済林政策で、広葉樹林がどんどん乱伐されて、代わりに杉やヒノキの植林が広がった。ところが貿易自由化で外材が入ってくるようになるとともに、国産材の需要がなくなって林業が衰退し、森や林の手入れをする者がいなくなってきた。
それでもまだ各地で植林が続いているのは、行政から助成金を受け取れるからだ。
山の持ち主はその助成金目当てに森を丸裸にし、杉やヒノキの苗を植え、そのまま放置する。苗はシカに食い荒らされるし、たまさか育った樹木も枝打ちもされないため、日光の入らない真っ暗な針葉樹林ができあがってしまう。ニュース番組などで大規模土砂災害が起こった場面を見ると、たいていはそうした荒廃した人工林の斜面がごっそりとえぐれるように崩落している。
だから、植林の助成金は苗を植えた直後ではなく、ある程度、手入れをして樹林が育ってきてから、きちんと審査をして払うべきだとさんざん行政に忠告してきたが、聞く耳を持つ者はいなかった。
真面目にその問題に取り組もうとしても、どうせ二年後は人事異動で他部署だし──と行政の担当者はあきらめてしまう。こうしてスキルのない無責任で無気力な役人がどんどん増えていって、決まり事だけを自分たちの仕事にしている。
そんなことだから、里山の荒廃問題も、それに連動する害獣問題も、根本的な解決への道は閉ざされてしまっている。
クマはたしかに恐ろしい動物だが、一方で愛嬌もあり、生態のあり方も興味深い。
よく人食いグマなんていうが、そんなものはもともと存在しないし、秋田で連続して起こった食害事件も、本来はおとなしいツキノワグマがたまたま人の弱さを学習した結果だろう。
吉村昭『羆嵐』で有名な三毛別事件のヒグマでさえも、最初は軒先に吊していた野菜目的で人家に近寄り、クマからすると恐れるべき人間が逆に自分を恐れていることを知ってしまったことが原因の悲劇だった。
それで襲ってみたら、思っていたより華奢な生き物だし、ちょっと肉を食ってみたら美味かった。それが人食いグマを作ってしまう原因である。
そうなれば人間が鈴なんか鳴らして歩いていたら、喜んで飛びかかってくるだろう。
本来は臆病で、おとなしい習性の動物であり、はなっから肉食に徹するクマはいない。
基本的にかれらは春先は若芽を食べ、秋はドングリなどの木の実を食べて生きている。そんなクマが人を襲撃するのは、あくまでも人が怖いから無我夢中でかかっていった結果である。
──何だ、人間ってヘタレじゃん!
そうした学習をしてしまったクマは、かわいそうだが捕殺しかない。
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クマは人間並みに個性の差異が大きい動物だといわれる。すなわち臆病グマもいればヤクザなクマもいるというわけだ。
クマが向こうから人間を襲撃する原因は学習もあるが、母グマが仔グマを守ろうとしてやむなく人を襲うケースもある。が、ごくまれに、何の理由もなく、あっちから向かってくるクマもいた。
我が家の近所で釣りをしていた人が、川の反対側に現れたクマが突如、渡渉して走ってきたため、あわてて車に逃げ込んだという話があった。おそらくそいつはヤクザな性格なクマだったか、あるいは好奇心が恐怖を凌駕するタイプだったのかもしれない。
体が大きなヒグマならなおさらだ。
私はたとえば知床半島とか日高山脈などで、ひとりでテント泊をする勇気はない。
もしもクマが襲撃してきて、ベアスプレーもなければ、急所の首の後ろを両手を組んでかばいながら俯せになり、ひたすらクマの猛攻に耐えるしかない。当然、足や頭に噛みつかれるだろうし、もちろん無事ではすまない。
クマと戦って追い払った話もよく聞く。ナタで顔に切りつけたとか、クマにのしかかられたら、たまたま巴投げ状態になって、相手がびっくりして逃げていったとか。いずれもほとんどが偶然の勝利である。
空手の師範が渓流釣りをしていて、クマに襲われ、自ら傷を負いながらもクマの目に貫手の指を突っ込んで眼球を破壊して退散させたというニュースもあった。実は私自身ももう十年、空手をやっているが、さすがにクマに勝てる自信はない。だから腰にベアスプレーを常備している。
極真空手のウィリー・ウイリアムズがヒグマと戦う動画を観たことがあるが、あれはどう見ても人に飼い慣らされたクマだったし、むしろ彼がクマにからかわれているようにしか見えなかった。
武道をたしなんでいて自信があるからと、クマを相手にするのはよしたほうがいい。身長一二〇センチのツキノワグマだって、爪の一撃で車のドアに穴が開くといわれている。
かれらの前肢の筋肉は、どんなプロレスラーよりもごつくて立派だ。
クマの前肢の付け根は、人間や他の動物のように骨同士が関節で連結されておらず、筋肉のみによってつながっているそうだ。だから、体の正面で抱きしめる、いわゆるベアハッグはクマには苦手だといわれる。
そういえばと思い出したのだけど、クマとバッタリ鉢合わせをしたら、とっさに相手の懐に飛び込めば安全と、食生態学者にして探検家の故・西丸震哉先生がかつて名著『野外ハンドブック』(光文社)に書いておられた。
さらにナイフでツキノワの部分を突き通せばクマは失血死するそうだが、もしもナイフを持っていなかったらどうするのか。
〝それじゃどうにもならんよ、君。いつまでもクマとだき合って、ダンスでもしていたまえ。そのうち友情でも芽ばえるかもしれない〟(※原文ママ)
そんな笑い話ですむうちが花。
敵対行為はできれば慎みたいものだ。
□
高校生の頃に観た『グリズリー』という映画のおかげで、しばらく森が怖かった。
『ジョーズ』を観たのは、そのずいぶんあとで大人になっていたためか、海に入れなくなったなんてことはなかったのだが、あんな巨大で獰猛な野獣が、それも人を襲って食べる奴が、きっと日本の山にもいるに違いないと想像して勝手にびびっていた。
クマはたしかに怖い。しかし必要以上に恐れると、むしろ危険を呼び込むことになる。いちばんいいのはクマとの距離を適正に保つこと。お互いが敵同士にならずに離れたかたちで共存できればいい。
昔、北海道のどこかの海岸で漁師たちが縄を結っているずっと向こうで、ヒグマの親子がのんびりと何かを食べている場面をテレビで観たことがある。ああいう姿が、双方にとって理想な距離感覚ではないかと思う。
数年前、東京のある会社から不動産経営の電話勧誘があった。いわゆる迷惑電話である。いい話ですから、ぜひお宅にうかがって説明させてくださいと男性がしつこく電話の向こうでいうので、一計を案じ、こんなホラを吹いた。
「それはいいけど、うちって、もの凄い山の中ですよ。車も入ってこられず、二時間ぐらい林道を歩いて、しかも断崖絶壁にかかった吊橋を渡らないと来られないんですが、そういうのって平気ですか?」
すると、相手の男性は「頑張ってみます」という。
これは困ったなと思ってこういった。
「それからね……うちの周辺ってクマがちょくちょく出ますけど?」
とたんに向こうが黙り込んだ。
ややあって、彼が恐る恐る訊いてきた。
「走って逃げられませんか?」
「あいつら、瞬間最高速度で時速四十から五十キロぐらい出ますが、それより速く走れるなら可能です」
「近くに……池とか湖とかないんですか?」
「クマは泳ぎの達人だし、あと、木登りも得意です。逃げる場所なんかありません。だから、うちはいつもライフル銃を常備しているんです」
たしか、向こうから電話が切れたと記憶している。
莫迦にされたと気づいたのか、あるいはこちらの言葉を信じたのかは定かではない。
(了)
南アルプス山麓のログハウス発、
大藪賞作家のユーモアと人間味あふれる初エッセイ集!
『フライの雑誌』掲載作品+書き下ろし+インタビューをまとめました。
…ダウンベストをはおり、三和土で靴を履くと、仕事場のドアを開け、外へ出た。すぐ近くにある母屋に向かおうと、暗がりに一歩足を踏み出したところで、硬直した。
玄関先、数メートルと離れていないところに異形の影があった。
牡ジカである。
二メートル近い巨大な体躯。焦げ茶の冬毛が針金みたいに背中にケバ立っていた。太い胴体から凜々しくそそり立った頭部には、それぞれ一メートルぐらいの長さの立派な角が対になって生えていた。
そいつは、ぼくの目の前で躰を横に向けたまま、まるでどこかに展示された剥製か何かのように、 じっと動かずに〝存在〟していた。
一瞬、何の冗談かと思ったほど、そいつには現実感が欠落していた。
右手に握っていたぼくのライトの光を浴びて、ふたつの目が金色にギラリと輝いたかと思うと、牡ジカは真っ黒な鼻の下にある大きな口を開けて、草食動物独特の白い四角い前歯を剥き出した。
口蓋と鼻先から、呼気が真っ白な蒸気となって噴出した。
そして、ビールを飲み過ぎた酔っぱらいが洩らすゲップのような低い声で、ぼくに向かって「ぐふぅ。」と啼いた。…
(「まえがき」より)
『目の前にシカの鼻息 アウトドアエッセイ』
四六判208頁 税込1,800円
フライの雑誌社刊
ISBN978-4-939003-44-8
『約束の地』(2008)で日本冒険小説協会大賞・第12回大藪春彦賞ダブル受賞
樋口明雄 =著 Akio Higuchi
収録作品:
犬と歩む
ようこそ山小屋へ
あのころ奥多摩で
都会のナイフ
薪を割る
サルを待ちながら(NHK「ラジオ深夜便」で朗読)
クマと生きる
〝イセキ〟を渡れ!
インタビュー〈だんだん、自分には山暮らしが合っていると気づいていったんです。〉
犬が好き、猫が好き/犬の叱り方は子どもと同じ/「私の家族を守らなくちゃ」/犬は忘れやすい/私は風呂に入るべきじゃない/肝硬変と阿佐ケ谷と/来たりもんの心得
・・・
フライの雑誌 125(2022夏秋号)
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